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ベーシックインカムはここからはじまる

ベーシックインカムは国が、憲法25条の要請(国民がまともに暮らせるようにする)にしたがい国民全員に無条件で定額を定時に給付する制度のことである。そして、現在資本主義が人間の数が減ってデフレが恒常化し、制度存続に赤信号がともっているなかで私みたいに子どもをたくさんそだてるためにはつまり資本主義の今後の存続のために努力している人間に報いるのに、ベーシックインカムしかないと言うことはずっとわたしが言ってきている。 何しろ今の日本では5000万世帯のうち約半数だったか3分の1は単独世帯である。デカい声で物を言うにはこどもの世話なんてやってたらそれはできない話しなのでいわゆる世論というのは子どもの数が少ない世帯前提で進んでいるように思う。だから、ベーシックインカム月7万じゃやっていけないって騒がれている。実際のところ足りないのはボッチ(ラウドスピーカー)たちの心の寂しさを埋め合わせるなにかであって金じゃない。ボッチが7万もらったって足りるはずがない。金額の多寡ではなく、ボッチに足りないのは孤独を癒やすコミュニティーからのフィードバックだがそこは混同されて語られている。孤独を癒やすコミュニティーは「資本主義の都合により」世界からものすごい勢いで消え去っている。詳細は宮台真司などの社会学者らの研究を参照してほしい。 で、うちのように子どもがたとえば4人いるとしよう。ベーシックインカム、「足りない」7万とはいえ、両親会わせて6人分、つまり6倍、42万円が入ってくる。42万あったらそもそも足りる。足りすぎる。このブログの活動じゃなくて、いよいよ拡散りょくの強い動画に着手する時間も出来るうれしいー!! というわけでベーシックインカムを待望しているのは私のような貧乏子だくさん世帯において最も切実で真剣だ。ところが声は非常に小さい。 さて金を1億人以上の人間に配るというのは書くのは簡単だが実行するのはこれはたいへんな手続きが必要になるだろう。また、手続き以前の話として、そもそも政治的には導入は現在困難である。ところが、ベーシックインカムとまでは行かなくても、少なくともこの憲法25条の国民の権利からの要求に応えることはまもなく出来る気配が私には感じられる。 それはマイナンバーカードの驚くべき普及の加速だ。管政権は2021年度からデジタル庁を設置する。この新省庁の爆誕こそがベーシックインカムの

『つくられた格差』

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『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』エマニュエル・サエズ, ガブリエル・ズックマン他著はアメリカの、めちゃくちゃクレバーな学者たちが誠実な態度でいまの社会の問題点(特に格差を加速させる「税制」について)を鋭く突いた本。2年くらい前出たかな。朝日も読売も書評で取り上げてる。 こういう本はいくらでも類書がある。よく、国は金がない。財源どうする?消費税上げるしかない、とか、公務員を減らすべきだ、とか言う人たちがいる。こうした主張は、この本を読めばいかに間違っているかが分かる。残念ながらほとんどの政治家や、官僚、政策コンサルは、こういう本と縁がない(あっても意図的に無視している)。 制度設計に大きな影響力を持つ主体(大企業、グローバル企業、保守政治家など)は、自らの利益を最大化するために、手段をいとわない。問題は、経済成長に伴う、もっぱら隠蔽された「外部コスト」を、男性稼ぎ手の再生産や子供、高齢者ケアが行われている家庭へと転嫁されがちである点だろう。 育児には法外な費用がかかる。託児所の年間費用が幼児一人あたりに万ドルに及ぶケースもざらにある。そのため多くの家庭では、親が育児をすることになる。親といっても、この仕事を主に引き受けるのは母親のほうだ。これは事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているに等しい(時間は、もっとも古くからある課税対象である)。この課税は、女性のキャリアに深刻な影響を及ぼし、男女の格差を広げる。実際、アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親にくらべて平均31パーセント減少する。その結果、女性のほうが男性要理教育水準が高く、大学を卒業する割合も高いというのに、収入面での大きな男女格差がいまだ解消されていない。(引用終わり) もちろん、個別企業の福利厚生意識の高まりやもとより国連のもろもろのとりくみが奏功して大企業の一部には、女性でも不利益を被らなくても済むようになってきてはいる。しかしゲームのルールとしてひろくシェアされ競争の前提として外部コストからとにかく逃れたもの「勝ち」の大きな構造はそうかんたんには変わらないだろう。 マルクスガブリエルが言うように、今の資本主義や経済のルールというのは道徳的には間違ってセットされているのだから、そのルールをきちんとやり直して、改めて市場を回していくという選択肢だって全然ありだと

最近ブログの更新が滞っている理由について備忘

 アマゾンのアレクサはすごい。まったくナチュラルな日本語で、Kindleの本を朗読してくれる。次々と本が読める。夢のようだ。 格差とか、資本主義の本、経済学、あと民俗学、通貨や簿記会計の歴史物…。 マニアックすぎる。読んでるものがマニアックすぎて、ネットに書いたところで誰も興味を持たないに違いない。自分だけ知って、ほくそ笑むようなイヤな趣味になってきた。趣味が読書ってのは微妙だな。取り付く島を与えない感じだ。 歴史本が面白いと思うようになったってことは歳を取ったからか…。 ブログに書く暇があったら次々他の本を読みたい衝動が起こる。そもそもブログに書くという表現行為と、読書行為は違うと思う。それぞれに時間が必要だ。 最近は9時間寝ないとダメってことが分かって、募る一方の読書欲が去るまではブログの更新も、当分進まないだろう。 長いインプットの期間を経たほうがいいものが出来そうだし。

竹中平蔵が日経平均4万円も視野と発言

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 2021.3頃のプレジデントの別冊版か何か本誌かもしれん、日経平均が4万円言っても不思議ではない旨の発言をしていた。 資本主義終わってる、だとか、自民党の政治だめだ、とか、コロナ対策日本やばいとか騒いでいるメディアばっかり見ていると、到底日本株なんて買う気は起こらない。 ところが、こういう経済誌をたまに読むと、一点だけ首肯できることがある。 それは、金余りだ。中央銀行がバンバンお金を刷ってばらまいている。だぶついたマネーは実体経済ではなくて株、不動産などの投資に向かう。それで、バブルが起こっている。 ここで買うのは天井で買うようなものだからとずっと様子見てるし、そもそも元手がないが、冷静に考えると確かに下がる要素はない。というか、散々言われてきているのに、一向に下がらない。 平三はデジタル庁、グリーン基金、統合型リゾート施設、スーパーシティをキーワードに銘柄を物色するのが吉だと言っていた。 こういう風な見方もあるんだなと感心した。

現代資本主義社会での賃労働はもはやムリ――生活保護受給申請書提出国民運動

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  タイトルの通り、私のこの10年以上にわたる膨大な読書、研究、熟慮の結論としては、現代資本主義社会の賃労働者が「国民が 健康で文化的な最低限度の生活 を」送ることは無理ということである。 とりわけ子どもを養育している場合、そのような生活はもはや「フィクション」にすらなりつつある(しかも悪いことに、ありもしない「自己責任」という違法で根拠のない思い込みで多くの国民が自分を「断罪」あるいはそれを果たせない弱者をネットで公開処刑し合っている有り様は集団狂気的で目を覆いたくなる)。 ここにNPO法人もやいが公開している 生活保護受給申請書のダウンロードリンク を貼っておくので、まあざっくり言って15万も収入がないすべての国民は明日、お住まいの自治体の 福祉事務所 にこの書類を郵送してほしい。相談でもなければ、申請に行くのでもない、単にダウンロードして書いて、封筒に入れて切手を貼って送るだけだ。 なお、各自治体ごとに、世帯の形態に応じて、最低生活費が決められている。生活保護費は、その最低生活費と収入の差額を埋める形で給付される。 郵送した後日、電話がかかってきたり担当者が家に来るだろう。そこで支援してくれる親兄弟親戚はいないのかと聞かれた場合は、いないと一言言えば良いだけである。いないものはいない。いるわけがない。そもそも関係ない。いるんだったら証拠を出してもらいたい。もし向こうがその証拠を出せたら、場合によってはあとで問題になるかも知れないが、それは後の話で、今回受給申請を審査に回す回さないとは別問題だろう。また、働けないのか、と言われたら、いや、働いている、もうダメだというだけでいい。ダメじゃない、若いし頑張れるだろうといってきたら、(他の就労支援制度のパンフレットとかではなくて、あなたがダメであることを直接的に裏付ける)証拠を出せといおう。そのことを理由に申請を拒否するなら、そのことの根拠法令を示せといおう。ないんでね。彼らにはそんなの示すことはもとより出来ない。 受け取らずに長時間、あれこれいってきたら、行政は違法行為をしていることになる。担当者にはじめに生活保護受給申請をしたい旨を伝えたときに、必ず録音スイッチを押すことを忘れないことだ。結局受け取ってもらえなかった場合はただちに貧困支援の事務所に録音した物を持っていこう。 もやい とか、 POSSE とか。生活保

簡単に死にたくなるたった一つのやり方

 際限の無いケアワークと家事(アンペイド) 突発的に生じる、ペットや家族の汚物の清掃(アンペイド) ADHDにとって絶対に無理な「繰り返しの単調仕事」(経理など) これらを午後10時以降にやれば、死にたくなることは間違いない。 その日1日でも死にたくなることが出来るが、毎日我慢して続ければかなり夜型になる(なぜなら取りかかるのに時間がかかるため、どんどん寝るのが遅くなる) 寝るのが遅くなれば単に起きるのが遅くなる、すると昼間の社会的交流の機会が減少、最後は消失し、孤立状態に陥る また、昼仕事があれば、睡眠時間が足りなくなり、これまた死にたくなる。 世の中には生きたいのにいきられない人がいる一方で、妙なことから不運な隘路にはまり込み、外観上ついに理解されることなく人が死にたくなることがあるわけだが、その理由の一つは上述したような非常に些細だが、突発的で避けがたい理由によるものだろう。 私は心療内科医にもかかっているしこうした状況にはまり込んだ場合死なないようにする術も心得ているから大丈夫だが、万が一失敗したらこういう事情で死んだと思って間違いない。万が一失敗って、どういうことかというと、やりたくないワークが自殺念慮を避けがたいまでに昂進させないようにすることに失敗したらと言う意味。交通事故や天災と同じだ。

Youtubeやりたい理由

いよいよもってYoutubeやりたい気持ちしかない。 いつか使えると思ってGoproで素材を撮り始めてる。 やるからにはチャンネル登録者一万人を目指したい。 競争は苛烈だ。どのカテゴリーでも投稿される動画のクォリティーは高まる一方だ。 やりたい、出来るからやっても、登録者数は増えないだろう。 わたしが世の中に伝えたいこととか、あるいはわたしがやる意義はいくらでも出てくるが、チャンネル登録者数を伸ばす具体的なノウハウはない。 チャンネルはもとより動画もアップしたことがない。 何人も、果敢にチャレンジしては消えていく人を見た。もしかしてそれでもいいかもしれない。 間違いなく言えることはひとりで出来るかと言うことだ。出来ない。ひとりでは出来ない。 大事なことはそれだと思う。何をどうやるかではなく、誰とやるのか。 ひとりでやるってのはよっぽどじゃないと。

気味が悪く、害が多く、手の施しようのない邪悪な人間について

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  親が子どもを不適切にしつけたり、愛情を注がない、ネグレクトする、そうした結果、子どもは当然のことながら抑うつ状態に陥る。子どもは「見なし患者」という状態になって精神科医の元に連れてこられる。 親は、社会的地位の有無に関わりなく、精神科医に子どもがそうなったことの原因のすべてが、自分たちの側にあるということを知らされると、ゾッとするような反応を示す。 著者の精神科医が、「家に帰りたくなる」「診察を終わって彼らに部屋から立ち去ってほしい」と言わせしめる。そのゾッとする反応を、一言で言えば、精神科医のそうした診断をせせら笑い、拒否する態度だ。彼らは、精神科医の診断やコメントを全力で、事もなげに否定する(私は医師の診断を否定するなんてことが出来る人がいること自体が衝撃だった)。邪悪な親は子どもを完全に支配しており、愛情はまったく注がない。その結果子どもが精神疾患を患っても、自分たちのせいだとは絶対に、一ミリたりとも認めない。 精神科医とのやりとりの中で明らかになるのは、邪悪な人間は「平気でウソをつく人たち」だと言うことだ。ウソは、彼ら自身の不都合をごまかしたり、直視しないで逃避したり、問題が自分たちの方に向かってこないようにするために、完璧に、全力でウソが紡ぎ出される。 最近、国会で嘘つきが目立っている。トランプ前アメリカ大統領も、合計で数百回のウソをついたと報じられているし、安倍前総理も、新聞報道で、100回以上ウソをついたことが調べられている。 嘘つきは、他人にも自分にもウソをつく。 さて私は塾を経営してきたけれども、生徒に「見なし患者」状態の子がいた。私はしかるべき専門機関を生徒本人に紹介せざるを得なかった(どのクリニックに行くべきか、保険証の場所、予約のための電話番号など)。その後、親は、精神科医に電話で、子への態度をあらためるよう定期的に「指導」されることとなった。 邪悪性の最大の犠牲者は、もちろん子どもである。子育てに関わり続ける者として、この本はすべての親にしっかり読んでもらいたいと願っている。