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ADHDの私が落ち着いて集中できるようになった、たったひとつの理由

私の人生は、やるべきことが出てくる、やる、フィードバックが得られるのくりかえしでした。というか、先進国の成人の活動はそういうことに収斂していきますよね。仕事も生活も。

私の問題は、これは10代になるとすぐ自覚したんですが、物事に集中できない。飽きっぽい。物忘れ、ケアレスミス、おっちょこちょい、物を無くす。こういうのに苛まされ続けてきました。

子どもの頃は、たとえばいまでも忘れないのですが、冬にプールの微生物を採集しようという理科の授業で、網をプールの底に落としてみたり。大人になればなったで、本の注文部数を間違えて何千冊も多く発注したり。消費税の書類を出し忘れて何十万円も損したりとか。枚挙にいとまはありません。

なにかに取り組んでいるとすぐほかのことが気になります。そして実際、途中で放り出してほかのことをはじめてしまいます。その結果、何も完成せず、中途半端な成果しか得られません。また、大人になるとこの弊害の影響は深刻化します。

特定のビジネスをおっぱじめても飽きてしまって苦痛になります。もちろん、さすがに放置するわけにも行かないので、我慢してやるんですが、年々、うんざり具合が高まってきていました。収入(売上)が減っても、決まり切ったことをやるのが精一杯なので、必ずじり貧になるのです。家計は火の車になります。

KADOKAWAの川上社長がこういっていたのに非常に共感を覚えました。引用します。
僕は、仕事をすることが退屈で仕方がない。結果が分かっているのに、結果が出るまでには半年かかったりして、かったるくてやっていられない。それを数学を勉強することで、何とかごまかして毎日を過ごしているのです(笑)。(週刊ダイヤモンド2018.6.27)  結果が分かっていること、これまでに何十、何百とやってきた所作、活動、これをやるのがもうダメなんです。会社勤めも、何がいちばん「恐怖」だったかといえば、役職を上り詰めていって、席があそこに移って、そして部屋があそこになって、最後定年、お花もらってはいさよなら、みたいなそういうのが日常的に見えるわけです。それがもう無理でした。なぜ無理かというと、生き物としての人間の最大の恐怖である「死」へのコースに見えるじゃないですか。結局は、毎日会社いにいって、そして何十年後かは、あの個室の中にいるハゲの社長みたいに加齢臭を発する老齢となり、定年で終わ…

2020年4月~大学学費が無料に(所得制限付き)

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前回の投稿でも書いたとおり、通常の家計に於いて、大学学費のインパクトは他の支出にくらべて突出して大きい。

特に、高3の2月、滑り止めも含めると10校くらい受けるし、また、2月中に入学金を振り込まないと、せっかく合格しても入学する権利を失う。ほとんどの私立大学は、2月中に入学金を振り込ませて生徒を確保するが、これは、国立大学の発表が3月になることに関連している。親や奨学金の都合を考えず、国立大学に生徒を取られたくないことだけを念頭に置いた期日が設定されているのだ。これでは、借金を背負って社会に出たとしても高卒より生涯賃金が低いことも珍しくない昨今では、子を大学へ入れたいと考える親は減る一方だろう。

今、ほとんどの大学は、少子化のために存亡の危機にたっている。学費、つまり生徒が集まらなければ、倒産しかない。大学もまた一私企業の経済で回っている。しかも、大学を出ればまともな会社には入れるから(実際は本当にわずかな人だけの狭き門だから、これは完全に虚構なのだが)、という有効性に黄色信号がともって何年もたつフィクションが存在意義ときては、不安で理事たちは眠れないに違いない。

社会を見てみよう。給与所得者の所得がこの20年で、下がり続けているうえに、増大の一途をたどる社会保障の源泉徴収で可処分所得はますます減り続けている。FPは高齢化社会にあっては、給料の2割3割は持って行かれてしまうので、奥さんも働くべきだとずっと言ってきた。実際のところ、周りを見ても専業主婦はすくなく、たいていはパートの仕事をしている。しかしそんなことをしても、このばかげた2月の学費振り込みを前にしては焼け石に水である。

このように、家計のために各家庭が奔走して、そしてやっと子供1人、2人、育てられるかどうかのところである。しかし、3人ともなれば、つまりうちは、大学学費のために家計はアウトになる。だから私は、ベーシックインカム論者になって、ブログもそういうタイトルにしたのだが、ベーシックインカムではなく、今般の自民党の高等教育学費無償化、こういう社会保障的な給付政策も歓迎せざるを得ない。

ケチな自民党政府が、大学無償化に舵を切ったのはどういうわけだろう。こういう政策をやられると、私などは現金なものなので、自民党の個々の政治家がどんなにポンコツでも、自民党で良かったと思わざるを得ない。トランプを支持したラス…

異常に高い大学進学費用

私がこんなことを書くと、ますます少子化が進むことはわかっています。しかし、残念ながら、これは不都合な真実として是非とも書かねばならない。

子育てで、全部公立で、高校までやれば、何とかなると思っていました。しかし、大学進学の段階で、とてつもない金が、いっぺんに流出する事態に直面し、これは子供を持つということは、今の日本だと単なるやばいギャンブルじゃないのかというふうに確信しました。

海外では、FIRE(The Financial Independence, Retire Early)とかいう、アーリーリタイア(さっさとばかげた仕事に貴重な人生の時間を使うのをやめて、働かないで生きていくことを選ぶこと)がミレニアム世代の間ではやっているそうです。

それはそれでいいんですが、その人たちの子供が大学進学の段階になったらどうするんだろうと心配です。

今日は地元の公立中学の「放課後カフェ」(放課後の居場所、生徒は自由に来て、ボランティアスタッフが出すお茶を飲みながら漫画やゲームに興じる)に参加しました。私のやくまわりはモニタとラズパイを持ち込んで、スクラッチやオープンソースのグラフィックソフト、オフィスソフトを生徒に紹介することでした。

それ自体楽しかったんですが、いろいろと分かったことがあり、残念な気持ちにもなりました。

特に分かったことで残念なのは、親の大部分は、家計のために子供との時間を犠牲にして、働いているということです。しかも、そうやって働いている大部分の給与所得者や、パート労働者の給与は、ここ20年、下がり続けています(安倍の粉飾統計は全くあてにならない)。仮にちょっと上がったとしたところで、仕事の内容は極端に進んだ分業制と細分化で、味気なく、わざわざ人生の大事な時間を犠牲にしてまで取り組む意義は全くないわけです。

いや、そんなことはない。楽しく仕事していて、自分は働くことが生きがいだというのなら、そういう人は子供との関係はどう評価しているんでしょうか? 子供や、奥さんは自分の親に押し付けて、会社に逃避しているだけなんじゃないんですか? そんな会社は、あなたに今でこそ居心地いいかもしれないけど、会社の経営者たちのみている方向は株主とか、会社の存続とか、そんなことばかりで、あなたはもとより、あなたの家族のことなんて一ミリも考えてはいないと思います。すべての従業員は、…

決定版!生きがい、自己実現、幸福のためのTIPs 2018

やっぱり、日本語のソフトカバーの本じゃダメで、TEDとかで追究しないと。

というわけで、まず最初に今日の発見としてはじめに言っておきたいのが、生きがいと自己実現は違うということ(そのあとで話す幸福とはなにか、ももちろん微妙に違う)。

生きがいというのは、おもに対人関係の中で生じる、人のためになにかをするアクティビティーのうち、非常に軽微で短時間で終わるが、脊髄反射的にすぐに取りかかってしまうようなこと。

たとえば、子どもの世話をする。妻に、テーブルの反対側にある塩を渡す。遊びに来た友達に、飲み物をサーブする。

そういうようなこと。生きがい=幸せで生き生きと取り組める活動と思っている人は多いし、私もそう思ってきた。たとえば、おじいちゃんの生きがいは、盆栽だとか、手芸だとか。いや、それって、趣味じゃん。じゃあ、趣味がない人は生きがいがないじゃん、となる。したがって、趣味ノットイコール生きがい。

趣味が生きがいと勘違いされてきたのには理由があるだろう。なぜなら、趣味という活動には生きがい発火点がたくさんあるから。

カナダで、1000awesome(1000のすごいこと)というテーマでブログを始めた人が注目されて、同名のタイトルの本を出版し、ベストセラーになった(TEDから)。このブロガーが取り上げたのは、スーパーのレジで後ろに並んでいたら、たまたま近くのレジが空いてそこにさっと入れたとか、本当に些細で小さいこと。これまた生きがいとは違うとおもう。

次に、自己実現とはじゃあなにかと。これは生きがいとは違う。なにか長期的な目標や、結果(利益)のために、ある程度の長期的なスパンのもと、努力を積み重ねるようなこと。GRIDはこっちだろう。自己実現が生きがいとは違うのは明らかだ。誰も、公園で子どもがおしっこーって言ったからとトイレを探す「行動」を、自己実現とは言わないだろう。

このように、生きがいと自己実現をまず区別してみたい。そして、じつは幸福になるためには、生きがい、自己実現、それぞれを持ったほうが良さそうだと言うこと、それをここから話そう。


元ネタはこれ↑。

ところで、こういう話しって、ぜんぜん妻に刺さらない。子どもにもあまり話してもピンとこないようだ。なぜかは分からない。学者が、科学的手法で証拠を集めて見つけた法則なのだから、もっとありがたがって聞いてほしいんだけど(愚痴…

ベストセラーの自己啓発本、ビジネス本の低評価のコメントを読むとなぜか癒される件

たとえば、GRID やりぬく力 という本があります。内容は、世で成功している人は生まれ持った才能とかじゃなくて、何か一つのことをやり遂げた力を発揮していたと。そのやり抜く力を涵養するには、部活とか、一つハードな目標を設定し、練習してトライする習慣を持つとか、まあそれができれば成功もするわな、というようなつまらない本です。

ごめんなさい、つまらないかどうかは、私の主観なので。これは私のブログなので。

それで、amazonレビューではこの本は高評価なのだけれども、星1個しかつけていないレビュアーも意外にいることに気が付きました。

それで、読んでみると、なるほど、確かにそうだよな、無理だよなーという感じで、不思議と癒されるというか、何か勧善懲悪もののドラマを見た後のようなそう快感を味わえることが今日発見されました。

まあ、私も人生折り返しを過ぎたあたりなので、もう、こういうアゲアゲ系のものは受け付けなくなってきたということなんでしょうな。合掌。

あと、勉強法とか、ビジネスやライフハックなんかを、十年以上にわたってかなり見てきたけれども、結局、人の能力は人生の早いうちから、それこそ物心つくかつかないかのうちから決まっているんだよね。経営者、先生役として塾をやるとよーくわかる。塾なんかに来て、まあうまくいく人ってのは、どこの塾に行こうが結果は出せる人。ダメな生徒はどこに行ってもダメ。それで、ダメな生徒に何をどう働きかけようと、なかなかこれが難しい。正直それは、金の力の世界になるでしょう(個人教師を毎日つけるとか)。

塾の仕事していて、やり抜く力を手っ取り早く出す一番の方法は、集団同調圧力を勉強のやる気につなげることかな。つまり、結構怖い、それでいて親身で的確な指導をするコーチのもと、同世代の、目標を同じくする仲間と一緒に勉強をする。

それって学校じゃん、と思うわけだけど、学校には勉強に向かう同調圧力はなぜか働いていない。やっぱ、塾じゃないと。でも本当は、学校でそういうような空気感を出して、子供のやる気の灯を絶やさない何か工夫をするべきなんだよ。税金でやっているんだから。

最近の逃避

決算申告期限まであと4日を切った今日の逃避は次のとおり。
古いノーパソにPC雑誌付録でついてきたUbuntu入れたクーリエジャポン有料会員登録(朝日をやめた) そしてこのことをこのブログに報告。やめたやめた。アホだな。

ポツンと一軒家がなぜ大人気なのか――道徳基準から考える

2014年に買って読んだジョナサンハイトの『社会はなぜ左と右に分かれるのか』によると、人は道徳受容センサーとして次の6種類を備えている。
ケア自由公正忠誠権威神聖 それで、これは味覚の受容体になぞらえて著者が説明しているのが分かりやすいので私もそうするけれども、味覚も、苦み、酸味、甘みなどそれぞれの役割を持つセンサーに分かれている。人が、例えばカレーが好きだとか、ケーキが好きだ、というのは、それぞれのセンサーの感受性がほかのセンサーに比べて高いから、(たぶん)そうなっている。

で、たとえば、誰かがケーキが好きだというとして、それに対して、間違っているとか、死ねとか、ディスるのはおかしいというのは自明だ。

誰かがラーメンが好きだとか、カレーは辛いほうがいいとか言って、チリパウダーをバンバン入れているのを見て、ディスることはしないだろう。
道徳も同じで、あいつは権威主義だから、とか、リベラルだから、と言って、それを批判するのは、ケーキ好きを攻撃するのと同様、おかしいし間違っているという主張となる。

リベラル派が今一つ力を得られないのは、保守派が上記の6道徳受容体をバランスよく備えているのに対して、自由と公正とケアしか頭にないからだとハイトは指摘している。これは全くその通りだなと思う。

そして、通常人間というスピーシズは、権威とか、神聖に偏りがちらしい。長いものに巻かれろ、寄らば大樹の陰というではないか。それに、神がいつの時代も大人気。面倒くさいことも、不幸も、みんな神のせいにしてしまえば、とりあえず楽に生きられる。

放っておけば、どんどん保守化していくから、リベラル的な価値観は、努力して維持しないと。それに、リベラルでいるには金がなきゃいけない。明日家族がくうめしだいを心配しながら、自由だの、ケアだのいう余裕はふつうない。それよか、きつい労働に耐えられるのに十分心酔できる、何か偉大な権威とか神様が求められる。今だいたい、みんな貧しくなってきているから、自然に保守化していくのである。

特に日本人は、欧米に比べて権威好きで、保守的な傾向を持っていることは各種調査でも明らかになっている。ルールを守らない人に、異常に厳しいということである。それだけ日本人が置かれている状況がいろんな意味で貧しくなっていることを意味している。

暴走者がひき殺すべきなのは、(ここからやや不正確、潤色あり…

ルサンチマン諸君、カタルシスはアートで味わおう

ネット上で誰でも何でも言えるようになった結果、非常に数は少ないけれど、ネトウヨとか、ネトサヨのトンデモカルト暴言が伝え漏れてくるご時世だ。

私はSNSにはそんなに知り合いがいないのでこういう体験はないが、先日あるラジオで、「知人がネットでネトウヨに与するような書き込みをしているのを見たときほどがっかりすることはない」というのを見た。

実際に、知り合いがそういうことをしたら(たとえばLGBTを生産性がないと攻撃した破たん政治家を擁護したりしたら)、私はその知り合いとは直ちに関係を断つか、またはランチに誘うなどして最終的には別の方法で憂さ晴らしを勧めようと思っている。

憂さ晴らしというとふざけているように聞こえるかもしれないが、鬱はれっきとした病気で、トンネリング(視野狭窄)の中で、見苦しい前近代的な発言をネットに書き込むのは「憂さ」がもはや周囲に迷惑になるほど重篤化してきており、鬱病になりかけていることを意味していると私には思える。したがって、ここではやはり、憂さ晴らしが喫緊の処方となるだろう。

私がおすすめする憂さ晴らし、それはアートだ。絵画、詩作、何でもいい。なにかを創出することがもっともすばらしいことだと思う。

アートが人にすばらしい効果をもたらす証拠は、科学的に次々解明され、枚挙にいとまがない。ただ、わかりやすいところでいうと、これまたNHKクローズアップ現代の世界が注目!アートの力が社会を変える!とか、ドヤ街と詩人とおっちゃんたちをみるとよいだろう。アートは何より人を幸福にしてくれる。そして、孤独から脱する機会を与えてくれるし、健康長寿にも効果がある(医者がそういうほどである)。

そもそも人類は、何千年何万年も前から、壁に絵を描いたりしてきた。「表現欲求」は本能に根ざした切実なモノであるはずで、それを抑えたり、ないものと思い込んだりするのははなはだ不健康で、不幸への片道切符となり得る。どんなひとでも、絵を描く、絵が下手なら、詩を書く、文章を書く(これのブログ!?)、そういう表現活動を日常的に暮らしに取り入れて、幸せになることができるのだ。

ネトウヨの諸君は、みっともない排外主義の受け売りや擁護はやめて、何でもいいからはじめてみたらよいと思う。

ただ、詩作については一点だけ注意したいことがある。それは寝不足になると危ないということ。

NHKクローズアップ現代…