50億年たてば、あるいは、50億年前は

最近、歳(38歳)のせいか、この人類のはかなさに思い至ることがよくある。
この地球、最後の氷河期が終わって一万年くらいしか経っていない。人類もその頃から今のようなだいたいのかたちになったらしい。

そして、50億年後にはもうこの地球、太陽が膨張したりしてとても人間なんて住める状況じゃないそうだ。

そういう風に考えると、今生きている私たちの宇宙における途方もない孤独に胸が詰まる思いがする。私たちが見聞きしたこと、生きたこと自体が、本当に一瞬の出来事で、ほかの宇宙の何ものにも認識されることなく終わるんだろうなと。

人は、他者に承認されてはじめて生きていける。地球に住む人類は、そういう意味で、生きていくのに欠かせない他者からの承認欲求が永久に満たされないで終わる。でも、それってかなりつらい。だから、金に余裕のある国家が、科学技術や税金を使って、地球外生命体を必死に探すんだろうね。

そういう感慨を持ちつつ、今日はイトーヨーカドーのうどんのチェーン店(おもに家族を持つ低所得者や、没落したミドルクラスが週末に利用)の配膳口から汚れた食器がいかに食洗機に送られて、きれいにされて再利用されるかのプロセスを、鳥肌もので眺めて過ごした。

アルバイトでも誰でも、手足が生えていてそれをうまく制御できる脳さえ搭載されていれば、膨大な量の食器を洗うことができるシステム。となりのラーメンチェーンの店も同じようにシステム化されていた。

でもこの感動的なシステムも、50億も経てば跡形もなく消えるとなると……。にもかかわらず、ここまで感動的に食器を洗う機械を作って、使っている人類って、なんだかけなげというか、真面目で愛すべき存在だ。

地球外生命体になったつもりで、地球人を承認する、そのアイデンティティを寛大にも受け入れて励まし、評価する。これが、これからの哲学の仕事になりうるかもしれないってちょっと思った。

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