哲学者たるもの

この國分功一郎さんがかいたブログの記事を読んで、私は反省し、また、「そうか」と思った

哲学者たるもの、最高の知性の状態に肉薄するためには、まずは日常のルーティーンをきっちりとこなし、平凡な暮らしが維持されることに全力を尽くさなければならない。

まったくその通りである。

私は日頃、家事やら育児に時間を奪われてつい、荒れた心情になるわけだが(それを、こんなまったくどうしようもない労働を家庭に女性を押し込めて押しつけてきた女性差別大国日本の酷さをこのブログで大批判する方法で)、それは間違いだった。間違いではないかもしれない。それはそれで続けたほうがいいに違いない。

ただ、私が個人として家事をやるのは、やらなかったら妻さんが怒って、ブログ更新どころではなくなるからである。膨大な量の家事と仕事をこなして、健康を維持するのに必要な睡眠時間を確保し、そしてまた規則正しく起きるためにはもうたいへん緻密に、計画的に、合理的に時間を使って、努力して生きなければならない。ただ、生きるだけなのに、もうたいへんな努力を注がないといけない。

考えるという営みは、収入も何も生み出さず家計の足しにもならない。しかし考えなければならない。人として。その考える時間と、心身の能力を作り出すのは、とりもなおさず、平凡な暮らしではなかったのか。國分さんがブログで紹介していた内田樹氏の指摘はまったくもって真実だった。

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