無料で小学生に作文教室ひらく

娘がとても親しくしている友達を毎週決まった曜日、決まった時間に呼んで、「作文教室」を開催している。もちろん無料である。

作文教室は、要約と、作文。私は人にものの書き方を教えるのには自信がある。なにしろ浪人して一年間死にものぐるいで小論文対策をし、そして当時小論が必須だった早稲田の第一文学部に合格し、入学したらしたでレポートはほとんど論文だったから書きまくり、彼女(政経学部)のも代筆してやったらあまりに出来がよくて彼女が呼び出されて焦ったほどである。

論文もの、リポートものは大学での成績はほとんど優が来たから、これは自信になった。そんなわけだから、そこら辺の下手なチェーン店舗の塾予備校よりもはるかにマシなことをやっているつもりだ。中身はまるまる『国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書) 』のまんまなんだけどね(笑)。

娘にだけ教えたほうがいいと思うだろうか? なんでわざわざ他人の子どもまで面倒を?と。もちろん最初は私もそう思っていた。しかし娘だけだとどうにも続かない。ダラダラしてしまう。当たり前だ、家族なんだから。「今日はいっか」となってしまう。時間を決めて決まった曜日に、同じことを繰り返すのに、家庭ほど向かいない環境はない。

だからあえて、曜日と時間を決めて、娘にその子を連れてきてもらう。今日は作文教室の日だよ、○○ちゃん来るよ、となれば、さすがの私も無視はできない。

無料で小学生に作文教室を開くといいつつ、なんというか自分の育児のインセンティブに他人の子を使っているだけなのである。こういうふうに不純な動機ではじめたのだが、意外なことが起こっている。

娘が連れてくるその友達の書く作文が思いの外、うまい。人間味にあふれているというか。子どもらしい感性、というか。いやーこういう文章は、いいナーと思ってしまう、そういう文を書くのである。文章の面倒を見始めたあとは、私のなかで、その子の存在感は間違いなく増した。おそれのようなものを感じるようになった(失礼があってはいけない、丁寧にしないと、みたいに)。

そして、こういうふうに立派な、人の心に響くような文章を書く子どもたちを、本当に大切にしておもんばからなければならないと思う。社会が、だよ。全体として。想像力を働かせないと、子どもに失礼なことになる、気をつけようと思った。

(ありがちな結論にはなるが)無料で教えられているのは私のほうかもしれない。

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