『嫌われる勇気』を読んだり、また、最近NHKでやっていた「100分で名著」のアドラー心理学の回を見たりして、アドラー心理学についてのインプットが重なったので、ここでアウトプットを。 「偉いね」ではなく、「ありがとう」 子供がなにか我慢して、たとえば、お医者さんで泣かないでじっと待っていたときなどに、偉いねといってしまうが、これは間違っている。なぜなら、もし子供ではなく、妻や、あるいは、大事なパートナーがそのときに相手だったら、「偉いね」とはいわず「ありがとう」というだろう。 「偉いね」では、上から目線である。上から目線だと何が問題かというと、その場面で、貴重なアドラーエッセンスが出てこない。 アドラーエッセンスとは次のようなものである。 私なりに解釈したものだが、まず人はすべて、どこかに所属している感覚を持つことで幸せになる。どこかに所属するには、その集団で自分が貢献できているという意識を持つことが必要だ。そのためには、自分に自信を持って、自分は自分の意思で、自分の人生を生きているということを肯定できなければならない。 もし、子供に「偉いね」といっただけなら、それで終わるが、「ありがとう」といえば、子供は、親(ひいては家族)に貢献できたんだという意識が芽生えて、うれしくなる。そして、家族でいることに、より心地よさを覚える。こうして家族にすっかり所属している、家族という共同体に居場所を見つけることができる。 すると、どういうメリットがあるか。 学校や、職場で、何らかのトラブル(だいたいは人間関係のトラブル)で難局を来たし、居場所がなくなったときに、もし家族が居場所としてその人にとり、価値があるのであれば、家族という居場所がないよりも、難局を乗り越えることができる蓋然性は高まる。 ある集団がダメなら、別の集団がある、自分はそこに属している。 とはいえ現代社会では、家族も職場にも、居場所がない人だって多い。そこでアドラーはどうアドバイスするか。今、ここにいる日本、世界、地球、宇宙のなかで、自分が生きているという感覚が重要だという。 宇宙に属していると思えるなら、たとえ宇宙にくらべてはるかに小さい企業とか、家族のなかで居場所がなくたって、なんてことはない、そういう感じだろうか?ってかんじで、ちょっと深いところにいくと私もよく覚えて