勉強法の罠

私の趣味は勉強法でした。つまり、私が好きなのは勉強そのものではなく、そのやり方をあれこれたしかめる趣味的な読書のことです。中学の頃から勉強法が好きでした。実際のところ、勉強法を実践するのは、勉強法を読み聴きすることとはまったく異なる種類の活動だということです。そしてそれは、苦行であり、地獄です。

いつの時代も、膨大な数の「勉強法」本が発売されています。そして、こうすれば東大に受かる、こうすれば司法試験に一発合格する、勉強こそコスパが高い、等という惹句に煽られて、楽しく勉強法を読みます。そして、「やればできるんだ」という未来への(じつは根拠のない)自信に満たされる。こういう読書体験を続けてきました。

そして、肝心の勉強はしないのです。当然勉強法の効果は上がりません。「やればできる」けどやらない。だからできない。そのまま年月が経っていく。いい車を手に入れても、目的地に向けて出発せず、車を眺めるだけで満足してしまう。でもじつはこれが「普通」なんです。

勉強法の本は、著者が輝かしい、そしてやや異常性すら帯びる「神童」なのにもかかわらず、自らを「普通」「暗記は苦手」「スマホで気が散る」など、読者と同じレベルに落として話を始めます。勉強法という商法のこれは定石なのです。が、もちろん、神童が普通のワケがありません。彼ら彼女らは、車を手に入れるやいなや、一目散に目的地に向けて走りだし、走り続けることができる、非常にめずらしいタイプの「個」なのです。

私は塾の仕事を始めて1年以上経ちますし、また自分の子どもを育てていて思うんですが、勉強なんてものは勉強法がどうのこうの以前に、やりたくない、不愉快で耐え難い苦行であることに変わりはありません。どんなに環境を整えても、たちまち眠くなるのが勉強ですし、それで寝ても、また勉強しはじめれば例外なく眠くなります。

ですから、眠くもならずに猛勉強をして、(仮にそこに勉強法のハックはあったとしても)東大に、司法試験に、ガシガシ受かる「普通の」子どもというのは存在しません。もともとすごい子どもが、さらに教育投資や文化資本の後ろ盾を得て、やっと受かるのが東大であり、難関資格なのです。勉強法なんてものは、うどんにかける七色唐辛子程度のものに過ぎないのです。

ある勉強本のアマゾンのレビューにこう書いてありました。
率直に申し上げて、方法論は参考になるやも知れませんが、こんなに劇的な効果(東大や司法試験)は期待しない方がいいと思います。著者が言う普通が、まず天才、神童レベルですね。割と最初の方で、小学二年で中学数学を修了、小学三年で高校数学を修了と記述してあります。私は塾の講師なので数百人の子供達を見てきました。地域もバラバラで、中学受験から大学受験まで見てきましたが、そんな子供は一人もいませんでした。初期の教え子には後に東大に合格した子もいましたし、算数が得意でそれをアドバンテージにして御三家に合格した子もいました。かなり広い範囲の子供達をみたと自負しておりますが、そんな子は一人もいませんでした。人間の発達は段階をおって進みます。とくに、負の数の概念を習得できる、抽象的思考能力が発達し、完成するのが12~14歳と言われており、心理学の研究成果として分かっています。それを7~8歳で、高校数学を修得するような子供が普通でしょうか?
私はそうは思いません。彼は選りすぐりの天才で、海外ではギフテッドとして扱われる存在です。ドラゴン桜で、宇宙人という表現がありましたが、まさにそれということでしょう。一般人はあまり鵜呑みにせず、自分のやり方を模索しましょう。
これはまったくその通りだと思います。このレビュアーの人も気がついているわけです。知人で塾の老先生も同じことを言っていました。先生の塾で40年間で、東大に受かった人はいますか? 私は先月、聞いてみました。87歳の老先生は、力を込めていいました。
「いやしねえ。そんな頭のいい奴なんかいるわけがない。い、な、いっ!」

そして、中学受験で見事成功しても、じつは無視できない数の子どもが精神的におかしくなっています。

まずは、「サピエンス全史」を読んでから考えたほうがいいでしょう。人類史的視点から見ると、お受験なんてものがいかに突拍子もない、動物としての人間の本性をまったく無視した、あまりにも例外的な事象であるかが分かるわけです。

子どもなんて、割となるようにしかならないところ、あまりに過剰に、競争が苛烈になっている領域で子どもを競争させることのリスク、これは私はきわめて大きいと思います。

勉強は「やり方」も重要ですが、もちろんそれだけではないわけです。勉強法を趣味的に味わうばかりで、肝心の勉強時間がまったく足りていない私のような人たちが多数を占めるこの市民社会では、勉強法も大事ですがベーシックインカムはもっと大事です。なぜなら、勉強ができなければ、AIに仕事を取って奪われ、生計が成り立たなくなると「勉強本」の前書きにはかならず書いてあるからです。勉強本の言うとおりだと思います。そこは。そして、勉強本を読んでも、勉強をするようにはならないから、生業はどんどん失われていくわけです。私たち市民には、勉強本の前書きにある未来予測にしたがう限り、ベーシックインカムが必須なのです。

こういうわけで、私の趣味は勉強本からベーシックインカムを訴える社会的運動へと変わりました。これ自体まったく自然な流れだと思います。ひな鳥が巣で、空に向かって「エサをよこせ」とピーピー泣き叫ぶ。ベーシックインカムを私が求めるのは、ひな鳥と同じで、生き物の本性に根ざしたこれは活動だからです。

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