ルサンチマン諸君、カタルシスはアートで味わおう

ネット上で誰でも何でも言えるようになった結果、非常に数は少ないけれど、ネトウヨとか、ネトサヨのトンデモカルト暴言が伝え漏れてくるご時世だ。

私はSNSにはそんなに知り合いがいないのでこういう体験はないが、先日あるラジオで、「知人がネットでネトウヨに与するような書き込みをしているのを見たときほどがっかりすることはない」というのを見た。

実際に、知り合いがそういうことをしたら(たとえばLGBTを生産性がないと攻撃した破たん政治家を擁護したりしたら)、私はその知り合いとは直ちに関係を断つか、またはランチに誘うなどして最終的には別の方法で憂さ晴らしを勧めようと思っている。

憂さ晴らしというとふざけているように聞こえるかもしれないが、鬱はれっきとした病気で、トンネリング(視野狭窄)の中で、見苦しい前近代的な発言をネットに書き込むのは「憂さ」がもはや周囲に迷惑になるほど重篤化してきており、鬱病になりかけていることを意味していると私には思える。したがって、ここではやはり、憂さ晴らしが喫緊の処方となるだろう。

私がおすすめする憂さ晴らし、それはアートだ。絵画、詩作、何でもいい。なにかを創出することがもっともすばらしいことだと思う。

アートが人にすばらしい効果をもたらす証拠は、科学的に次々解明され、枚挙にいとまがない。ただ、わかりやすいところでいうと、これまたNHKクローズアップ現代の世界が注目!アートの力が社会を変える!とか、ドヤ街と詩人とおっちゃんたちをみるとよいだろう。アートは何より人を幸福にしてくれる。そして、孤独から脱する機会を与えてくれるし、健康長寿にも効果がある(医者がそういうほどである)。

そもそも人類は、何千年何万年も前から、壁に絵を描いたりしてきた。「表現欲求」は本能に根ざした切実なモノであるはずで、それを抑えたり、ないものと思い込んだりするのははなはだ不健康で、不幸への片道切符となり得る。どんなひとでも、絵を描く、絵が下手なら、詩を書く、文章を書く(これのブログ!?)、そういう表現活動を日常的に暮らしに取り入れて、幸せになることができるのだ。

ネトウヨの諸君は、みっともない排外主義の受け売りや擁護はやめて、何でもいいからはじめてみたらよいと思う。

ただ、詩作については一点だけ注意したいことがある。それは寝不足になると危ないということ。

NHKクローズアップ現代で、萩原慎一郎さんという歌人が特集された。この人は、中学、高校とずっといじめられたあげく、鬱病を発症。何とか回復して就労しても、ずっと非正規で先が見えない人生を余儀なくされる。この間の胸中いかばかりか。短歌を読むと、彼が引き受けてきた、一見ありふれたような人生なのだがそのじつ、生きにくくただ耐えるばかりの人生の辛さが「ずしり」と伝わってくる。

非正規でも、家族や恋人に恵まれていたら、それほど悲惨にはならないだろう。しかし資本主義は、地域社会を破壊し、家族は核家族化が進展して、包摂機能が両者から奪われて久しい。

それでも萩原さんは、一生懸命、気持ちを歌に読みつづけた。歌人の中ではたいへん名誉な賞も多数受賞している。角川からでたこの歌集も話題になっている。

残念ながら、彼は32歳で自殺してしまった。私が思うに、文芸を実践する人が自殺するケースの原因は、もちろん思春期のいじめによる鬱病の関連もあるかもしれないが、単に寝不足が続いて(もちろん本を読むために睡眠時間を削る)、鬱が悪化し、自殺するに至ったと踏んでいる。クローズアップ現代では今ひとつ理由ははっきり報道していなかったけれども。

よく本を読む人が、ある日、自殺してしまう。私は、そういう人を何人か知っている。

私も読書が趣味なのだが、本をしっかり読むのに夜ほど適した時間はない。本は、第二の人生を生きることができる。それで、夢中になって本を読んでいると朝が来る。その朝の残酷なまでの明るさ。これで非正規で、家族に恵まれなかったら、本当に死にたくならない方がおかしい。

最近は私はだから、怪しいな、こいつ、と思ったら、まずは寝ることを奨めている。睡眠は、じつは本に代わることができる唯一の人間のアクティビティーだと思う。本は身体を消耗し、最後は鬱病になって死に至る危険もある一方、睡眠はその逆だ。同じように、昼の人生に対してオルタナティブな機会を提供するが、寝て起きれば朝はスッキリと明るく、希望にみちたものに感じられる。

そうだ。書を捨てて、枕を買いに行こう。

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