決定版!生きがい、自己実現、幸福のためのTIPs 2018

やっぱり、日本語のソフトカバーの本じゃダメで、TEDとかで追究しないと。

というわけで、まず最初に今日の発見としてはじめに言っておきたいのが、生きがいと自己実現は違うということ(そのあとで話す幸福とはなにか、ももちろん微妙に違う)。

生きがいというのは、おもに対人関係の中で生じる、人のためになにかをするアクティビティーのうち、非常に軽微で短時間で終わるが、脊髄反射的にすぐに取りかかってしまうようなこと。

たとえば、子どもの世話をする。妻に、テーブルの反対側にある塩を渡す。遊びに来た友達に、飲み物をサーブする。

そういうようなこと。生きがい=幸せで生き生きと取り組める活動と思っている人は多いし、私もそう思ってきた。たとえば、おじいちゃんの生きがいは、盆栽だとか、手芸だとか。いや、それって、趣味じゃん。じゃあ、趣味がない人は生きがいがないじゃん、となる。したがって、趣味ノットイコール生きがい。

趣味が生きがいと勘違いされてきたのには理由があるだろう。なぜなら、趣味という活動には生きがい発火点がたくさんあるから。

カナダで、1000awesome(1000のすごいこと)というテーマでブログを始めた人が注目されて、同名のタイトルの本を出版し、ベストセラーになった(TEDから)。このブロガーが取り上げたのは、スーパーのレジで後ろに並んでいたら、たまたま近くのレジが空いてそこにさっと入れたとか、本当に些細で小さいこと。これまた生きがいとは違うとおもう。

次に、自己実現とはじゃあなにかと。これは生きがいとは違う。なにか長期的な目標や、結果(利益)のために、ある程度の長期的なスパンのもと、努力を積み重ねるようなこと。GRIDはこっちだろう。自己実現が生きがいとは違うのは明らかだ。誰も、公園で子どもがおしっこーって言ったからとトイレを探す「行動」を、自己実現とは言わないだろう。

このように、生きがいと自己実現をまず区別してみたい。そして、じつは幸福になるためには、生きがい、自己実現、それぞれを持ったほうが良さそうだと言うこと、それをここから話そう。


元ネタはこれ↑。

ところで、こういう話しって、ぜんぜん妻に刺さらない。子どもにもあまり話してもピンとこないようだ。なぜかは分からない。学者が、科学的手法で証拠を集めて見つけた法則なのだから、もっとありがたがって聞いてほしいんだけど(愚痴)。まあ、彼女たちからすれば、「言ってるだけじゃん」的な感じかね。

それはそうと、戻すけれども、幸せとはなにか、の話題。幸せを、まずセリグマン教授は3つに分解した。

  1. 快感・ポジティブ感情
  2. 時間を忘れて没頭するフロー状態
  3. 意味
順番に説明する。まず、1は分かりやすい。彼女と楽しいひとときを過ごした。おいしい酒を飲んで、騒いだ。旅行に行った、おいしいディナーを食べた、らんちき騒ぎをした。そういうの。ドーパミンがバーって出て興奮する。もちろん、これは長続きしないし、金とか、あれこれ、代償も大きい。ただ、かといってまったく快感がない人生というのはそれはあり得ない。人は本能的に快感を求めて、なにかする。適度に快感を得る経験をすれば、それはそれで人生にある程度幸福をもたらす。少なくとも不幸じゃない。

2。これは有名なミハイ・チクセントミハイのフロー体験てやつ。なにかに没頭していると、人は時が経つのを忘れる。これは私が、パソコンをいじって作業しているときとか、ブログ書いているとき、人としゃべっているとき。私で言えば。

3。意味。なにかデカいことのために、自分が役に立っているんだって感覚。会社のため。お国のため。神のため。これまた分かりやすいな。イデオロギーや宗教、政治信条とか。

さて、セリグマン教授は、じゃあ、幸福は分かったが、人生の満足感に寄与するのはなにかという調査もした。答えは、3>2。1はほとんどない。

幸福になりたい、生きがいが見つからないと悩んでいる人がいたら、ぜひこれを参考に、明日朝早く起きて朝日を浴び、6分間、早足で散歩してみてほしい。まずそうすると、脳内物質のおかげで、生きがいも意味もフロー体験もないって人も、なんだかハッピーに、前向きになれる。少なくとも、もやもやした気持ちは晴れる。

その気持ちになったら、2とか3になり得る対象を探し始めてはどうか。

PTAというのが評判が悪い。たしかに、給与所得者の収入が減り続けている中で、高齢化のために社会保障費の負担も現役世代におもくのしかかり、基本共働きでないと人生の持続可能性に黄色信号がともっている中で、なんで、子どもの学校のために無料で形骸化したPTA活動に参加しないといけない?会費まで払って?あり得ないというのは分かる。大津市は冊子を作って、無理なさんな、やりやすいかたちで、前例踏襲せず、改革しなはれって冊子を教育委員会が作って校長に配ったほどだ。

しかし、PTA活動は、今まで述べてきた生きがい、幸福になる「チャンス」がいっぱいある活動でもある。人によっては。まあそうは言っても、すでに、人それぞれ、幸せを見つけて日々暮らしているわけで、それで時間がもうないんだろう。PTAを、子ども産んで10年後とかにいきなりやれって、その唐突感が、評判を悪くする原因だ。しかも、クジなどでまるで罰ゲームのようにまわってきて、長らく忘れていた同調圧力もうざい中、つまらない活動にせっかくの土曜にび関わらないといけない。

これじゃあ、PTAを生きがいと幸福をつかむチャンスに、なんて言ったって説得力は皆無だろう。だから、PTAは、やりたい人がやりたいことをやればいい。もちろん、会費は徴収しない。会費って聞いただけで虫ずが走る人は少なくない。そういうのは、だからやめる。金なんてかかるはずがない。なにかに金がかかっていたら、やり方が間違っている。市役所に無料でそれをやる方法をまず聞いて、それでも金がかかるなら、自分がやりたいんだから自分で金を出せばよい。

とにかく、PTAは、仕事場でもないし、家庭でもない、今流行の「サードプレイス」になり得る可能性を私は秘めていると思う。というか、サードプレイスに生まれ変わるために、既存のPTAはいったん、その諸活動を見直すことが必要だろう。繰り返しになるが、くじ引きなどやめる。委員会も、つまりは、役員も作らない。活動毎にやりたい人がやるようにする。「会長」もおかない。強いていうなら、会長にかわって、SNSをたちあげればいい。AWSでもslackでもいいから、タダ同然でクローズドなSNSを立ち上げることができる。そこに情報を全部集約すればよい。

メール一斉配信のために、どっかの業者に年間数万円払っているだろう。それがまずバカげている。メールなど今誰もやらない。

あれナンの話しだ。そうだ、幸福とはなにか、についてだ。

書き忘れたけど、PTAがなぜつまらないのか、もちろん、PTAに限らず、いわゆるルーティンワークがなぜつらくて取りかかるのが苦痛なのか、これは、新奇性がないから。新奇性がないと、ドーパミンが出ないので、取りかかる第一所作に身体が発火しない。常に、それ以外の、よりドーパミンがでやすい新奇性のあるものを探し、そっちに取りかかってしまう(逃避)。

PTAは、たいていは大して意味がない、不条理とも言える(ベルマークだとか古紙回収とか)活動=ルーティンワークを、前例踏襲でいい年の大人に強いることになっている。人間の成り立ちから言って、やりたいと思うわけがない。

ただ、幸福な人生を送っている人へのインタビュー調査から明らかになったのは、彼らに共通するあるパーソナリティー(性格)である。それはなにか。「社交性」だ。

おっと間違っても誤解しないでほしい。PTAは社交の場だから、参加したら楽しい幸せになれるとはいっていない。生まれつき、ある程度社交的なキャラの人が、単に幸せな人生を送れていると言うことが分かったというだけで、これは因果関係ではなくて相関関係である。

社交的が幸福の原因では決してない。だから、PTAを社交の場=幸福をつかむチャンスとは言えない。そうではなくて、縷々述べたように、いったん解体して白紙になったPTAで、子どもの福利になるような活動を自分でやることによって、フロー体験や、意味を見つけることができるかもしれないと言っている。

たとえば、おやじの会というのがある。紙で作った棒で、たたき合う「チャンバラごっこ」とか、夏の夜、学校でキャンプして泊まるとか、放課後カフェを開くとかやっている。驚くべきことに、これはPTAではない。オヤジの会である。そして、これはスゴく楽しそうだ。主催する人も楽しければ、参加する人も盛り上がる。こういうのはいいと思う。オヤジの会の役員決めがくじ引きだとか、欠席者におもに重責が割り当てられるとかは、聞いたことがない。やりたい人がやっているから、そんなことが起こりようもない。こどもがきゃんぷにさんかするんだったら、てつだいにいくにきまっているし、れんらくのためにでんわばんごうだっておしえるだろう。あれ?PTAも同じはずなのに(つまりあくまでボランティアの任意団体で、強制力がないと言うこと)、オヤジの会となんと違うことか!?

オヤジの会の活動については、正直言って私はやりたくはない。チャンバラでたたき合ったり、エアコンのない真夏の体育館の床に雑魚寝して一晩過ごすとか(被災者?!)。もちろん、魅力的に思う人がいることは理解できるし、尊重されるべき活動であることは間違いないんだけど!今は興味ないですー。

で、私がやるとしたら、もちろん放課後自習とか、プログラミング体験会とか、カレーを作って食べるとか、図書館巡りとか、ドローン飛ばしとか、ユーチューバ―二なりたい人に編集の地獄を教えるとか、FX教室とか、国会中継をみるとか。そういうことかな。あとは店主死亡によりつぶれた駄菓子屋ムサシ屋を後生に伝える小冊子を編纂するとか(笑)。それだったら、フロー体験になれるし、私的には意味があると思っているから、私は幸せだ。

PTAはこんなふうになってはじめて、本来の姿を取り戻すはずだ。

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