宮台真司まとめ

宮台真司が大好きなんです。私が好きという対象は、嫌いという人も多いのが特徴です。ただ、宮台真司の言説については、知っておいたほうがいい、本質的な論点、主張も多く、もったいないなーと思っています。

「クソ」とか「ケツ舐め」、「ウンコおじさん」といった、生理的嫌悪感をもよおさせることばをあえて多用してバズる手法ですが、じつは、こうしたことばに「キーッ」となるのかどうなのかが、ひとつのリトマス試験紙になっています。

キーッとなったら、それは宮台先生にいわせれば、「症状」です。なんの症状かというと、神経症的な病気の症状なんです。今、社会は地域の絆と包摂を失い、人々は先が見えない不安の中で、孤独で単調な日々の暮らしを強いられています。

そんな不安を解消するために、「神経的反復症状」が出てきます。私は爪を噛んだり、貧乏ゆすりしたり…。本人は不安解消のためにこういう症状が出てきているとは気がつきません(それこそが病気の証明でもある)。人に言われてはっと気がつくわけです。

宮台にいわせれば、ネトウヨ、クソフェミ、クレーマー、モンスターペアレンツ、みんなこういう症状に過ぎません。そして、ほとんどの市民は「損得勘定」に基づき、神経症的症状としての「ギャーと沸騰」を起こします。

損得勘定というのは、超短期の私的な欲求や必要から、それが得か損かでのみ、すべての物事を判断することです。そういうレベルでしか頭を使っていないから、ネトウヨ、クソフェミ、クレーマー、モンスターペアレンツが言っていることは箸にも棒にもかからない、「わめき声」にしかならないのです。

クソ、ケツ、ウンコ、なんて言ってきたないし信じられない、失礼だ、ナニサマのつもりだっていう「怒り」。この感情こそ、現代的な神経症にすっかり罹患してしまっていることのあらわれだというのが宮台真司さんの考えです。

重要なキーワードを紹介しましょう。

「ケツ舐め国家」……対米従属、従属どころか隷属、隷属どころか、ウンコまみれのケツをペロペロと舐めてるほどの屈辱的な奴隷状態。これこそが日本の今のありさまです。

「ことばの自動機械」……お金をいれるとジュースがでる飲料自販機のように、なにかの事象がインプットされると同じものがひたすら出てくるばかりの、まるで機械に成り下がったバカな国民の有様

「クズ」……日本人のほとんどがクズです。親も、官僚も、政治家も、みんなクズになってしまった。これはどういうことかというと、長年にわたって、日本は経済のための社会が回ってきた。経済の穴を埋めるために、社会が犠牲になってきた。しかしもはや、人口減少などにより、経済の穴は、社会の犠牲だけでは埋めきれないほど大きくなってしまった。その間、父親は家族や地域から引き離されて、会社や組織のためにたくさんの時間を費やすことを強制されてきた。人生を捧げてきた会社や組織は、じつは虚構に過ぎず、しかも「資本主義」という前世紀に陳腐化して機能不全に陥った古いイデオロギーに基づく、社会を破壊するダメな虚構(ハラリ)に過ぎなかった。こうした虚構のために尽くせば、当然「クズ」人間が大量に出てくる。そういうわけで、日本はクズ=会社のために働くのが精一杯で家庭や地域をないがしろにする、燃え尽きたカスだらけになったと言うことです。

「悪貨が良貨を駆逐する」……SNSでは、最初、たとえばフェースブックなどは、仲間内のコミュニケーションをサポートする優れたツールであり、そこではたしかに、質のよい議論ややりとりが行われてきました。しかし、今では「クズ」によるひどいマウンティングやディスリ、神経症的症状が爆発する場に成り下がってしまった。書かれることはすべて読む価値もないゴミのような書き込みばかり。この結果、まともな人はSNSからいなくなってしまいました。このような現象を悪貨が良貨を駆逐するといっています。インターネット全体に言えることだと思います。

「法の奴隷」……法というのはあくまで、人類が所有権を明確にして紛争を起こさないようにするツールに過ぎません。しかし、法を目的化して、これまたギャーッと沸騰するクズが増えてきてしまった。ちょっとでもルール違反をする人を見つけると、ギャーッとわめいていーけないんだーいけないんだーとやるそういうタイプの人間です。法は健全で包摂力のある社会を維持するための手段だが、法を守るために、息苦しい社会、排他性のあるの雰囲気を作ってしまう人が法の奴隷です。

「孤独であることをわざわざアピール」……もし家族や友人に、中国や韓国の人がいたら、彼らのようなヘイトスピーチをするでしょうか。するわけがありません。もし、家族や友人、パートナーに、男性や女性がいたら、一方的に性別だけをもって男性や女性をディスリますか?しませんよね。つまり、ネトウヨやクソフェミのような排外主義者、差別論者は、考慮すべき友達がまったくいない、孤独な境遇であることを世間にアピールしているに過ぎないのです。

「加速主義」……でたらめで本当にダメな安倍首相が、このまま政権に居続けることにより、今の日本の基盤である諸制度の崩壊が「加速」して、新しい時代の幕開けをむしろ早めることになること。そういう理由から、宮台氏は安倍を支持し、「美しい国」や「道徳」を守ることを逆説的に主張しています(もちろん括弧「」付きです)。

宮台真司のこうしたクソ社会、奈落の底に真っ逆さまに落ち込んでいく日本ではどうやって生きていったらいいのか。処方箋を示し、そして実践しています。

たとえば、本当に現状を正しく認識し、神経症的症状もまだ軽いか、かかっていない人だけを対象に、私塾のような活動をする。趣味のサークルを催して、そこを包摂の場所として機能させ、神経症的症状がすすまないように支援する。そうしたサークルはインターネット上では隠された存在であることが必要です。なにかネットで不必要に広げると、たちまち「クズ」な神経症人間からの不毛な攻撃を受けて、ムダな消耗を強いられることになるからです。

宮台さんにはウンコおじさんの取り組みもあります。親も先生も、劣化した社会そのものがもはやクズ。クズに取り囲まれた子どもをこれ以上クズにしないようにするために、どうしたらいいのか。それはウンコです。子どもを正しい方向に導くのは、じつは「自然」であり、「虫取り」や「泥遊び」といった無垢な冒険なのです。ウンコは、理不尽で臭くて、身も蓋もないほどボラティリティーがあるかもしれません。ボラティリティーというのは振れ幅であり、お金をいれると同じものがでるだけの自販機、ことばの自動機械の真逆の事象です。人や、生き物それぞれにウンコは多様性を持っていて、そしてコントロールもできなければ、お金をいれても出るような物でもないのです。ウンコは真実であり、そして自由であり、有史以来生き物が生き物であるために出し続けてきたものです。

ウンコに今こそ真摯に寄り添う。これが重要です。ウンコおじさんは、突然道陰から現れて、ウンコーとかいって子どもの関心を買います。子どもは、そうか、ウンコというのがこの社会にあるんだな。ウンコはどこからでるのか。虫も、小さい生き物も、みんなウンコをするんだ。ウンコっていうのはすごいな。こういうふうに発想を広げることができるでしょう。

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