投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

高齢ドライバーは日本版「銃規制」の火種

87歳の高齢ドライバーが運転するプリウスが、池袋で暴走して、気の毒な母子を含む10名近くを殺傷する事件が起こった。運転者は事故後、「アクセルが戻らなかった」といったらしいが、調べたところ車両に故障はなかった。

私は子供がまだ小学2年で、自転車に乗って街を走っていると高齢のドライバーが運転する車をよく見かけるが、この事故の後は、なんだかぞっとして、細い道では車が去るまでいったんチャリをとめてなるべく離れることにしている。

長寿政策科学研究部のHPでDLできる「認知症高齢者の自動車運転を考える 家族介護者のための支援マニュアル」を読むと、一律に、高齢者から車を取り上げるような法律が未整備の中、家族や医療関係者や警察が個別のケースごとに大変苦労して高齢者に免許返上を促している様子が分かる。認知症の多くは病識がないし、また診断すらされずに相変わらず車を運転し続ける高齢者はいくらでもいる。

このパンフレットはかなりリテラシーの高い層でないとリーチしないことを自覚しているのか、面白いことが書いてある。(高齢者に運転の目的を訪ねた)「アンケート」によると、高齢者は必要もないのに、単に楽しみや生きがい、自分の自立を示すものとして、車を運転している人が多いと言ってる(ように読めなくもない、正確には3割程度がそう思っているんだと、くわばらくわばら)。

前年代で交通事故件数が下がる中、65歳以上つまり高齢運転手による事故だけは増えている、とかも言ってる、うーんナイス。(別の調査では、死亡事故はほかの世代の倍になってる。走る凶器といわれるゆえんだ)

これは昨今のご時世ではかなり刺激的だ。表題が「認知症高齢者の自動車運転を考える 家族介護者のための支援マニュアル」とまじめで地味なのに、言っていることは刺激的。ダサかっこいい?!

正直、身近にも今すぐやめてもらいたい高齢ドライバーさんがいる。これは非常に難しい問題。だからこそ、個別の「工夫」とか説得に任せるのではなく、上からドカンと、法律で一括して取り締まってほしい。そうなれば、国が法律で決めたんだから仕方ないといえるから、人間関係も壊れずに済むよ。ついでに大麻も解禁して、殺人運転ではなく、誰も殺さない大麻で「生きがい」「楽しみ」「自立」をたしなむようにすればよかろう。

このまま放置すると政治的論点になって、結果、何も変わらず、アメリカの銃規…

わたしのDIY=作業療法説

私は紛れもなく自閉症スペクトラム障害・ADHDなのだが、DIYに夢中になっているときの精神状態の平和さといったらない。
ADHD患者に処方されるコンサータのようなクスリは一切いらない。対象に集中できるし、チクセント・ミハイのフロー状態のまま、何時間も作業に没頭できる。そして娘も同じ血をひいているわけだが、ペンキ塗りやサビ落としといった作業は好きなようである。
従来、私のDIYは生業や家事育児からの逃避として、それらの活動に劣後していたけれども、この評価は間違っていた。
世間の人は、私の作業の様子あるいは結果を見て驚くし、またどうして作っているのか、なんのためなのか。「日曜大工」を「平日」にやってるぞ、仕事しないで大丈夫かこの人は?となる(実際、家計面では当然大丈夫ではない)。
ここ十年くらいのあいだで見ると、最初は棚とか、テーブルのような、まあ日曜大工であるある的なものだった。ところが、この半年くらいのあいだに、小屋のようなもの、そして部屋丸ごと全部、といったふうに、規模が拡大している(予算規模も)。
それで、作業療法士という国家資格を調べていて思ったが、やっぱり、ある種の発達障害の人には、作業とか、身体を使った遊びがとてもいい効果をもたらしているらしい。すると、まさにこのDIYは私にとっては、作業による自己治療そのものと言える。
他の人(定型発達者)が私のDIYを見て、理由が分からないのは当たり前だ。なぜなら、目的自体が最初から存在しない。なにか作るのがゴールなのではなくて、「作るプロセスを過ごすこと」がゴールである。一秒一秒がゴールであり、完結している。
だから、ひとたびできあがってしまったら、そのDIYの対象物には一切関心がなくなってしまう。なぜならもうそれで「作業」することが出来ないからだ。完成し対象物は、もはや関与する機会を失っているため、非存在(そこに存在しない、見えない対象)となる。
そして、次がはじまる。次に何を、どこに、どんな材料で作るか。あたらしい作業がはじまる。
私はブログでベーシックインカムを導入すべきと訴えているけれども、私のような「患者」の場合、既存の福祉制度ではなんの補助も出ない。なんか作っていりゃ暮らしていけるわけだから、公金使ってサポートする理由なんてないだろう。既存の福祉制度の場合は、このように私はサービスの網からこぼれ落ちてしまうケースである。