孤独という問題

最近厚労省が発表した数字によれば、いわゆるモデル世帯とされる、夫婦+子供の世帯は、全世帯のうち38%となった。もはやモデルというにはどうなのかなというほどの、少数ぶりだ。

日本は5000万世帯がある。2025年には、一人世帯が半数を超えるらしい。2025年というのはまるで先のことのようだが、6年後だ。小学1年生が小学校を卒業するくらい。本当に一瞬だ。

知り合いが先日愚痴ってきた。彼は地域のお祭りとか、趣味のツーリングのグループ、あるいは会社などで、同世代の独身男性が「やらかす」事例を数多く目にするようになったという。

ちなみに知り合いの彼は妻子がいる。

独身男性のやらかしの内容は、暴言、失言が多いのだが、攻撃の矛先は妻子持ちに向かう、という点で「一貫している」らしい。妻子持ちへの妬みが彼らの性格をゆがめさせ、何かをきっかけに失言という形で爆発する。

ニーチェのルサンチマンのようなモノだと思えば良かろう。

バイクのツーリングのグループ、それは地域のバイク店のオーナーが主催している趣味のサークルなのだが、そこはむしろ独身男性ばかりである。もちろん高齢化している。

高齢化する独身男性は、彼によれば、かなりの割合で妻子持ちを敵視し有形無形のやり方で排除にかかってくる。彼はもうそのサークルの、何となく妻子持ちを排除する「空気」に耐えられなくなり、やめてしまったそうだ。

この長い人類の歴史の中で、高齢男性の孤独や妬みをいやしてきたのはもちろん宗教だった。あるいは、地縁や血縁だった。20世紀の資本主義の進展で、世界は生産者と消費者に分けられ、消費者はメディアの洗脳に従いひたすら消尽を繰り返す自動機械になってしまった。

孤独をいやしてきた宗教は相対化され、家族や地縁、血縁も解体された。パートナーに恵まれなかった人が増え、そういう人たちが高齢化。彼らの孤独のはけ口はいまどこに向かっているのか。言うまでもなくSNSとかネットだろう。

一般的な消費者が孤独のまま高齢化するだけで、だんだんとやばいかんじになってくる、まじで、と、彼は真剣に私に語った。「独身高齢者の、妻子持ちへの妬みはマジヤバイ」彼は何度も繰り返した。彼は私みたいにブログも書かなければ、社会学や哲学の本も、ハラリの本も何も読まないが、人生を生きてきて、いろいろ経験した「肌感覚」でもって話している。それだけに、彼の発見は重い。

いまの自民党政治を支えるネトウヨは高齢孤独者のはけ口になっている。だから自民党もキモいし、支持者の何もかもがヤバイ。はけ口をそういうところ(政党への支持)に設定してはいけないと思う。もっと別の、イベントとか、コミケとか、フェスとか、カーブスとか、詩歌の結社とか、芸術表現とか、そういうモノの方がいいし、宗教ならもっといい。

今のままでは良くない。イギリスが孤独問題専門の省庁を立ち上げたらしいけれども、国家統治の観点からも、孤独は早期発見、早期退治が鉄則だろう。

ちなみに、私は仮に妻子持ちのモデルケースであったとしても、家庭内で孤独化する事例もメディアでは報道されるようになった。ワークライフバランスではやく家に帰れるようになったにもかかわらず、会社近くの喫茶店などで時間をつぶす「フラリーマン」たちだ。要は彼らは家事が嫌だし、妻に家庭でマウンティングされるのがきつい。そもそも仕事のほうが全然ラクで承認欲求も満たされる。家事育児はそういうのは一切ない。ひたすら単純な作業が延々続き、子育てなど一歩対応を間違えれば、命に関わってくる。

孤独は単に結婚していない人だけの問題ではなく、古い価値観(男尊女卑、家父長制の価値観)のまま結婚した男性にも内在化された問題である。孤独は爆発的に増える。たとえると二酸化炭素のようなものだろう。温暖化で氷が溶けるとメタンハイドレードが大気に出てきて、さらに温暖化を加速するようなモノで。

やはり世界の富の半分を8人が占有しているいまの状況は、一刻の猶予もなく再分配の仕組みを変えなければならないだろう。その富は地球環境保全と、孤独の解消のために使われなければならない。

このブログの人気の投稿

宮台真司まとめ

消費税についての本質的な発見を2、3点

レンタルなんもしない人研究