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中島美嘉は貧者なのか?貧者だ。私も。

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鹿児島で生まれた彼女は転校先の中学校になじめず、友人と共同生活をしながらアルバイトくらしをしていた。高校にはいっていない。彼女は貧困だったかも知れないが、友達や、彼女の音楽的な才能を見いだしメジャーにつなげることが出来た音楽の師匠に恵まれた。鹿児島のファーストフード店の店員は、7年後、中島美嘉として紅白歌合戦に初出場することになる。 貧困には3つの側面がある。人は誰でも貧困に陥るわけだが、もちろん「金がない」というだけが貧困ではない。陥りうる貧困には、経済的貧困の他、社会的貧困、そして身体的貧困があるように思う。 社会的貧困はもちろん、人間関係が乏しい、無い、だから孤独であるという状態のことだ。中島美嘉は違った。 身体的貧困は、疾病や先天的事情から、思い通りに身体を動かせない状態のことだ。私は体育がなぜかまったく出来なかった。他の教科は出来た。理由は分からなかった。体育が出来ない気持ちというのは、完全に貧者の境遇である。 人と同じように、競技できない。みんなが期待しているパスを失敗する。結局25メートル泳ぎ切ることはついに今もって出来ていない(スイミングスクールに通ったにもかかわらず)。やるせない。やりきれない。いつも体育があると思っただけで胸がズキズキした。この体育が週に何度もあり、それが12年続く。そしてすっかり(以下略) さらに、それぞれの貧困は、直接的な貧困と、相対的貧困に分類される。私たちがなぜ、貧困に陥って、いわれなき屈辱、自己肯定感の否定、そして最悪の場合、死ぬ羽目に陥らないといけないのか。私は気がついている。それは資本主義がおかしい。学校教育のなにかがおかしい。 とにかく、いっせいに勉強するのはかまわないし必要なことなんだけれども、職業生活が始まると理不尽で不条理な経済社会にいっせいに放り込まれる(しかも最近はもっと悪いことに奨学金という借金まで負わされ)。身体を動かして人々の生活になくてはならない仕事(ケアワーク)は給料は極めて低いし、人間だからそんなに働けない(労働契約では週40時間以上働いて井はいけない)。一方、契約とか投資といったそういう、ちょっと人類の昔を振り返ると道徳的にまずいんじゃないかと禁止されていたような仕事が、とてつもない給料をもらう(富の偏在の加速)。 まあそれでも、働いているという点でまだ可愛い。ピケティによれば、労働は結局資

ベーシックインカムvsベーシックサービス議論に抜け落ちている物

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 ベーシックインカムは、国民に等しく定額を配る政策。月7万配ると年100兆円という巨額財源が問題視されている。その解決策として、医療費窓口負担無償化、大学授業料無償化、環境問題解決のための投資をすすめることにお金をつかうと、ベーシックインカム月額7万の十分の一程度の11兆円でまかなえるという。 私は、ベーシックインカムの財源については、世界各国が協調して膨張の一途をたどる金融経済への金の流れを強制的に実体経済に振り向けるだとか、租税回避地をなくすことでなんとかなると思っている。 思っているっていっているんですが?あなたが何を思おうと自由ですし、もちろん私も、自由なんで。 ベーシックインカムで、財源を持ち出す人ってのは、金が今世界中で不健全に偏在している、格差の問題に関してどう思っているのか。ぶっちゃけ何も考えておらず、単に、単年度予算主義だとか、中央銀行とインフレの問題とか、そういう既存の枠組みの中だけで財源を用意しようとしてそれでダメだと言っているとしか思えない。そんなのダメに決まっている。だからベーシックインカムはダメというのはおかしいし、怠慢だろう。 で、ベーシックサービスについてはどうか。ぶっちゃけ、貧困の人とか、社会的弱者には、今はすでにそうなっている。環境だけは資本の論理で投資が進んでいないように見えるが、これも国連とかががんばって、地球滅ぶぞまずいぞってことで、それなりにやっているように見える。市民もだ。 ただ、いずれにも抜け落ちている重要なポイントがある。いみじくも以下の動画で堀江さんが言っていることだけれども、今、金がない人に単に金を配ったりサービスを与えて済む話ではない(もちろん与えないといけないんだが、それに加えて必要なことがある、といっている)。 それはなにかというと、きめ細やかな生活の知恵とか工夫、それを丁寧に、寄り添って教えるコンサルティングのようなサービスである。携帯代が月3万で、家賃も6万だから生活保護だのベーシックインカムでは足りないというけれども、格安SIMとか、家賃だってもっと安い物件はいくらでもあろう。 人が孤独に陥った場合、そこから彼を救済することは、ベーシックインカムも、今のベーシックサービスも出来ない。人を孤独から救済し、おなけが無くてもじつは案外快適で楽しく暮らせるという工夫や知恵を丁寧に授ける、そういう情報の流路が求

礼儀正しさの重要性、まあそれにつけてもベーシックインカム

 礼儀正しさは確かに重要だが、それで職場の雰囲気が良くなったとしても、その職場を含有する会社の利益がとても不道徳なやり方で上げられるケースとか、人の無知につけ込んで儲ける情弱ビジネスとか、見通しも何もないのにただ雰囲気だけ良くしてクラウドファンディングで金を集めて内輪で盛り上がるウェイウェイ系の学生ベンチャーとかだと話は別だ。 というか、ネオリベが席巻する現代資本主義社会においては、株式会社形態である以上、礼儀正しくしたところでどうなんだろう(もちろん無礼は論外だしそもそも犯罪的でさえある)という気がする。 株式会社で、終身雇用が約束されているならまだ、礼儀正しい戦略で上を狙う、会社を居心地良くするってのはありかも知れない。しかしいまは、正社員という立場じたいがレアである。ほとんど非正規だったり、アルバイト。しかも労働契約を嫌う営利法人は、人間を使うにあたっては労働契約ではなくて、業務委託契約にすることに命をかけている。 業務委託契約の典型例はウーバーイーツの配達員である。また、民営化のせいで非正規化が進むエッセンシャルワーカーの職場でも話は似たような物だろう(五年以上継続して務め続けるのはいまむずかしいことになっている、なぜならそれ以上だと、労働契約の期間が無効化されるので、まともな使用者とくに、株式会社や持分会社など、雇用者の福利とは無関係に人を使う意思決定がなされる営利法人ではは絶対に契約を更新しないよう「気をつけている」)。 ウーバーイーツや、1年更新の非正規雇用の労働契約で働く人たちはいくら礼儀正しく振る舞ったところで、結局契約自体は変わらないし、時間給も一生変わらないだろう。限界があるんだから(ピケティは、労働からの収益は、資産からの収益に劣後するから、格差はとてつもないことになると指摘した、これホント、冷静に考えると至極当たり前だ、人間なんて1日8時間しか働けないし、体調だって崩す。一方資産なら、複利で、指数関数的に、勝手に増えてい区。人間のキャパシティーとは無関係に、資産は増えることが出来る)。 というわけで、単に働き方を、しかも従業員の意識をちょこっと変えてみたところで、たかが知れている。資本主義のデメリットで金が偏在してしまっている。不健康なイデオロギーを見直し、金を配り直せってことで、礼儀正しく、ハイハイ、待っていますから、ベーシックインカムを

リーダーが高級ステーキ、市民は餓死

 ロイターで、日本の首相「ガースー」が高級ステーキを頬張る様子が報じられて世界で嘲笑の的だ。 一方、大阪では母娘が餓死するという痛ましい事件が報じられた。 私は今の政府というのは、国民の生命を守る義務というのを放棄し、一部のレントシーカー(政治的寄生虫)や、数十年前の新自由主義(ネオリベ)の亡霊に取り付かれたとんでもない犯罪者集団であると、識者が相次いで声を上げているのを見たことがある(私はそうはいっていない)。 また、これまでの失政において、医療基盤を「コストカット」の名目で毀損しまくった挙げ句、今般の感染症拡大では、カルタを作ったり、妙なお題目を言うばかりで肝心の医療従事者への給付を減らしたりしている。完全に「気が狂っている」と指摘する医療関係者もいるらしい(が私はそういうことを直接言明したことはない、医療関係者でもないし)。 さらには、国民が総じて困っていて、家賃が払えない。学費が払えない。挙げ句の果てに餓死する人も出てきている事態なのに、国民への直接給付はおろか、家賃減免やフードスタンプの大規模発行など、巨大な財政出動をする気配は一向にない。 そして国民は総じておとなしく、旅行に行けなくなったな残念、レベルの思考停止状態にあるように見える。え?私だけ? 困っている人は憲法の規定に従い、しっかりと、政府、地方自治体の福祉担当部署にたいして声を上げていく必要があると思うし、出来る申請はすべて、会社を休んででも、取り組むべきだと強く訴えたい。 面倒なことはいやだ、おっくうだともし思ったのだったら、正直言って、もはや一刻の猶予もないと私には思える。つまり、政府や自治体に請求するレベルを通り越し、もはや心療内科マターだと言わざるを得ない。 国民の多くが大人しいのは、こうしたある種の「抑うつ状態」に陥ってしまっているからだと思う。その証拠に、自殺者は急増しているし、餓死だってとてもじゃないが先進国の体裁からは大きく逸脱している。ほんとまじで。

法務省申請用総合ソフト商業登記持分会社本店移転で管轄をまたぐときの申請先

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  A県からB県へというように、管轄をまたぐときは、本店移転登記申請書は元々の管轄だったA県に、2通出さないといけない。 法務省のHPから無料でDLできて使える申請用総合ソフトの具体的な方法は次の通りである。 まず、ふたつの申請書を作成する(おなじ)。申請書一覧画面(上手の、2番目のウィンドウ)で、送信するふたつの申請書をシフトキーを押しながらクリックして選択する。 「申請データ送信」ボタンを押すと出る画面で、順番に1、2と書いて送信する。この手続きのことを「連件」という(らしい)。連件というのは、到達した申請書に自動で振られる受付番号が連番になっている「事件」のことなんだろう。 私はこの申請のために何度も電話相談センター(法務局登記の)に確認し、もといた管轄局宛と、移転先管轄局宛、両方とも元いたところに送ってねと言われていた。しかし、電話相談センターの相談たちはこのアプリのことは知らない。 アプリで送信するときに、連件送信でやってくれ。やり方:連件したい申請書を複数選択し、送信画面で順番を入れてくれと相談センターの人が言ってくれたらこうした間違いは起こらなかった(生まれてこの方「連件」(れんけん)なんて言葉は聞いたことがないんで)。 申請書作成画面には、申請先登記所を記入する欄があるので、そこには当然、両方ともA県の法務局宛にすれば良い。 しかし、B県用に作った申請書にもこの申請先登記所記入欄がある(当然それはそう、別々の申請書だから)。申請者としては、申請先は、あとでまた別のところで選ぶんだろうと思って、ここにうっかり管轄の登記所を書いてしまった。それは違うということである。 登録免許税も数万納付してしまった。この場合、いったんこの登記申請を両方とも取り下げる必要がある。金は一ヶ月二ヶ月返ってこない。そして、新たに、再度申請し直さないといけない。 時間外でも、間違った登記をすると電話がかかってくる。最大の教訓は、登記してから、問題ないことを確認したあとで、免許税を納付したほうがいい。一、二ヶ月とはいえ、また、全額帰ってくるとはいえ、倍の金が一時的に手元から流出するのは痛い。 私にこの業務を託した人にはこの場を借りて心からお詫び申し上げたい。 申請先登記所という記入欄についても、たとえば、「送り先登記所」というのと、「管轄登記所」(管轄登記所は送り先登記所と異なる

【アバタロー】時間術大全|ジェイク・ナップ&ジョン・ゼラツキー ~人生が変わる!新時代の最強時間術~

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いやー本当にすばらしいという言葉しか出てこない。どうしよう

労働者協同組合法、労働契約、雇い止め、解雇あれこれ【2020年最新】――人を雇うのは十分慎重に。最長5年は死守

 先般、労働者協同組合法が可決成立し、これまで、たとえばごうどうがいしゃなりかぶしきがいしゃは 出資者と労働者が分けられて事業を運営してきたが、この組合法では労働者が出資も経営参画も労働も主体的に出来るようになった。 労働者仲間が集まって組合を作り、出資をし、仕事をして、そして、労働契約に基づいて組合から給料をもらうことが出来る。どういう仕事をするのか、どういうペースで何を誰がやるのか、給料はどう分配するのか、そこは組合員は出資額の多寡に関係なく、平等に発言が認められるので、とても民主的だ。 労働基準法にもとづく労働契約という一応のセーフティーネットもあるので、組合員同士の仲間割れとか不仲が発生して、ひとりがとても不利になったりしても、裁判上の請求が出来るところは安心だろう。 ただ、わりと非営利的な、地域のニーズ解決や地域の活性化に資するような事業が想定されているこの組合。組合員に安定的に給料を払い続けられるようなしっかりした事業見通しは法人設立に先立って必要不可欠だろう。 また、当初は順調にいっていた事業も、たとえば6年7年たって厳しくなってきたり、先ほどからくり返すが組合員同士のいざこざ、人間関係の問題から、組合員に辞めてもらいたいという事態も十分考えられる。 そのときに問題になるのは、漫然と雇用契約を更新してきて、それで5年以上たった時点でそれでも本人が引き続き雇用契約を更新してほしいと申し出てきたときは、法人はその労働契約を無期に切り替えなければならないことだ。 有期契約の終了について 詳しくはこちら 。 東京労働局の無期転換のルールに詳しい人に聞いた。こうした事態(つまり五年で無期転換)を避けるためには、次のような方法しかないという。 毎年、雇用契約更新をしっかり行い、その際、更新は例外なく5年を上限とすると毎回確認する(あと何年まで、ということが毎回確認される) 最後の年の有期雇用契約は、例外なく更新しない 世知辛い…。仲良しどおしで始めた事業でこれやったら微妙な空気だな……。 こんなの(毎年の、厳格な契約更新)面倒だという場合は自動的に無期契約となるが、その状態でお辞めいただくには、「解雇」する必要がある。ところが今の日本では、解雇は基本的には出来ないとされている。出来ないという意味はどういうことかというと、それをやったら、解雇される側から訴えられて、

格差の放置は社会的コストの増大と低成長の原因になる

 リチャード・ウィルキンソンのこのTEDを見よう。 格差が人々と社会をむしばんでいき、結局犯罪、貧困、教育の失敗、治安悪化、そしてひいてはその国の相対的な力を減らして、通貨危機すら視野に入ってきかねないほどのヤバイ問題だと全力で指摘。 この中で言及されるある実験は私の印象に残った。学生に実験をする。どのような種類の「作業」がストレスホルモンコルチゾールの増加を最も促すのか、つまり最もストレスを感じるのかというもの。 いちばんストレスに感じた作業は、社会的地位や評価を下げるたぐいの作業だったと。それがどういうふうに行われたのかは分からないけれども、私にはぴんときた。 こういうストレスを「懲罰」として使っている事例がある。交通ルールの違反者に、横断歩道に旗を持ってったたせて、歩道を渡る歩行者の安全を見張る仕事をさせるあれ。 あとまあ、古い資本主義の成長神話に依拠した昭和の出世コースを歩んできたような人(もちろんいまでもいるのだろうが)あるいは、そういう人を父親に持つ若い男性にとっては、平日の昼間、他のお母さんたちもいるなかで公園で子供が遊ぶのを見守ったり子供と遊ぶこと自体、だいぶストレスだろうと思う。 家事育児を若い女性の職業キャリアや、経済的自己実現と引き替えに無理矢理無報酬で押しつけて虐待するのがいまのネオリベのまさに核心的部分だと私は思っている。なぜなら、競争社会では同業の会社が複数存在して利益を競っているとする。ネオリベではなるべく政府は介入しない。競争が苛烈になると、人間の仕事以外の暮らしはなるべく、競争の邪魔にならないように、「片付けられる」。イリイチはこれをシャドウワークといったが、子育て、家事、介護などの家のケアワークはまさにネオリベ男によって女性に押しつけられた仕事にほかならない。 こうした社会の構造は、大学を出るまで男性と同じ教育を受けてきた女性にとっては、いくらそれがシャドウになっていようが、まさに目の前の日々立ち現れる理不尽な現実にほかならない。 話がずれてしまったが、要するにいいたいのは、社会的な低評価の作業はストレスが最大になるという研究について、私は、それが不平等の結果底辺におかれた人におもに担わされ続けていて、それは結局、社会の上位層にも、最終的にはさまざまな負の影響として降りかかるよってこと。

【文化・アートをRethinkせよ】山口周と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。

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心が動く感覚に素直に従おう。自分にとって何がハッピーなのかを見つけられる力を身につけよう。人がキャピタルの部品、部材になってしまっている――この動画ボクの頭の中そのものだった。逆にいうと「ボク」の頭の中って巨大な動画クラウドサーバーにそっくりそのまま、むしろより洗練されたかたちできちんと整理されてた。テキトー、じゃない、てことー。

【記憶と身体性】宮台真司と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。

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これ傑作動画だ。ニュースピックス佐々木見直した。 大言壮語を語る人の生活を見よ、と。そうすると、たとえば全共闘時代に、大言壮語を語る男たちはものすごい男尊女卑だったと。彼らは結局内ゲバで自壊していったと。で、その反動からフェミニズムが生まれて、くらしの足もとから小さい実践を積み重ねて、生きる実感を身体に刻みつける。記憶を紡いでいくやりかたがでてきた、と。 まー、アンペイドワーク、シャドウワークといわれる「家事育児」に二十年近く従事してきてまさにその通りだと思う。

譲渡収入、贈与税について

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個人から個人の場合 あげた方 なし もらった方 贈与税と、換金したら所得税(譲渡所得)がかかる ★贈与税と、所得税は、別個に確定申告する必要があるので、損益通算の話は出てこない 個人から法人の場合 個人が法人にあげたときの、あげた個人の方 譲渡した対象物の時価に対し所得税(譲渡所得) もらった法人の方 寄付金収入(法人税) 購入金額が分からない資産の購入したときの金額は、時価の5%とみなす 上記はもちろん、普通に税法で決まっていることでなんの不思議もない。しっかり確定申告しなければ違法になる。 これからは、マイナンバーだとか、あとはいろんな業者が提出を義務づけられている「支払調書」で、ほとんどの取引がガラス張りになる。 ある取引において、特に、もらう立場の者は、払う立場の業者なり個人が、その取引が支払調書提出義務のある取引かどうかを気にする。出さない取引なら当局に知れず何かを金に換えられると思うかもしれない。しかし、来年四月からデジタル庁が出来て、いろんなことをマイナンバーにヒモ付けないといけなくなるはずだ。支払調書の役割は終わると思う。実際、デジタル庁創設に関わったミスターマイナンバーと言われているこの人もこの会見で、支払調書に言及しているはず。 「デジタル庁とマイナンバー」(1) 向井治紀・内閣官房番号制度推進室長 2020.11.04 てこと。

「#生活保護を申請します」完全生活保護申請マニュアル【2020最新】

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日本国憲法の定めではこうある。 第二十五条  すべて 国民 は、健康で文化的な最低 限度 の 生活 を 営む 権利 を有する。 国 は、すべての 生活 部面について、 社会福祉 、社会 保障 及び 公衆衛生 の 向上 及び 増進 に努めなければならない。 次に、生活保護法にはこうある。 第二十四条  保護の実施機関は、保護の開始の申請があつたときは、保護の要否、種類、程度及び方法を決定し、申請者に対して書面をもつて、これを通知しなければならない。   生活保護を申請すると、親戚などに、申請者の面倒を見れるかどうかの問合せはたしかに行くかもしれないし、生活とは関係ない道楽車などの有価動産の処分は必要かもしれない。しかし、だからといって、生活保護がそれをもって受けられないとか、身内に恥をさらすとか、そういうことは絶対にない。というか、そういうことをする市区町村の福祉窓口は、完全に違法であり、厚生労働省からは、そういうことが無いように、念を押されている。  具体的には、令和2年9月11日付けで、厚生労働省(社会・援護局保護課)が都道府県指定都市中核市の生活保護担当課に出した『 事務連絡 』に詳しい。 保護を求めてきた人を、窓口で追い返したり、結局申請に至らないように誘導するような行為は「慎むべき」と書かれている。 法律上認められた保護の申請権を侵害しな いことはもとより、侵害していると疑われるような行為も厳に慎むべきである。  扶養義務者(親、兄弟、親戚縁者など)が、申請者の扶養が出来るのであれば、生活保護じゃなくて、そっちになんとか面倒を見てもらうようにすること自体は妨げられない。ただし、「窓口に来る前に、親戚縁者に相談したの?」などと申請者に質問して、あたかも、それが受給の要件のように見せかけ、申請の意思をくじく姑息極まりない違法行為が窓口で蔓延しているとみて、事務連絡ではこう釘を刺している。 扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切 とにかく、親戚や親兄弟に迷惑をかけたくない。恥ずかしい思いをしたくない。こういう申請者の「最後のプライド」につけ込んで、申請しないように悪魔的なナッジを行使するのは絶対に許されず、決定的な違法行為である。厚生労働省の事務連絡では、無理な扶養紹介をする必要はまったくないと強調している。  当該扶養義務者が生活保持義務

イギリスのジョー・コックス上院議員と孤独担当大臣

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 1986年に、英首相サッチャーが、政府に頼るな、社会は存在しない、自助努力でなんとかしろ、義務を果たさない国民に権利はない、みたいな演説をぶって、新自由主義の幕が開いた。 それから30年。世界は富の過半がわずかな富裕層に占有されるいびつな資本主義がバブルを繰り返す足下で、国民に貧富の格差が拡大し、怨嗟と退廃とニヒリズムが支配するディストピアとなった。 どうする? やばくね? 貧困も、孤独も、自らその状況に陥った者が堂々と状況改善を請求するのはむずかしい。いずれも本人の自助努力不足=恥、負け、弱者のスティグマになるからである。 1986年にサッチャー入魂で誕生し、世界の為政者の心をつかんで離さない新自由主義のイデオロギーによって、恥じ入る貧困者はそれゆえ孤独状態に陥り、孤独なコンパートメントに席を指定された列車の片道切符を持たされ家に引きこもる。その列車の行き先はもちろん、孤独な死。そう社会は設計されたし、いまもそのレールの上を、列車が連なっている。 都民ファーストなどといって、新自由主義的な誤った政策を喧伝し、現在の知事は当選した。一方で、同じ頃、ジョー・コックス上院議員を暗殺した極右の男性は、イギリスファーストと言って凶行に及んだ。 巨大なイデオロギー、国家、集団を『ファースト』ととらえることでたしかに一時、人は気持ちよくなれるし、何かを忘れさせてくれる。もちろん、彼ら彼女らが忘れられるのは、自らの置かれた、看過しようもないほどの強烈な孤独である。 その孤独の闇が深く、底知れないからこそ、そこから彼ら彼女らを浮遊させるのに必要なものには強いエネルギーが必要になる。 なんとかファーストとか、自己責任とか、歴史修正主義とか、全部そういう負のエネルギー、孤独者がすがる負のエネルギーの源になる。政治家はこれを利用して自分たちの地位の保全のために欺瞞の茶番劇を憚ることなく公の場で開陳する。 私たちは、皮肉にも、サッチャーの英国で、ジョー・コックス上院議員が孤独に立ち向かい、何とかしようと立ち上がったまさにさなかに殺されたことをきっかけに、孤独担当大臣が誕生したことの重さを共有すべきである。 日本はどうなっているのか。

なぜ、すべての国民はただちに「勉強」しなければならなくなったのか――レントシーカーが国を滅ぼそうとしている

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漫画とかテレビ、映画で(最近では動画で)、勉強が出来るやつは常に、「できすぎクン」(ドラえもん)、とか、「メガネ野郎」(ハリウッド映画でよく言われる、秀才に対する蔑称)に典型されるように、たいていのコミュニティーでは異質で孤高の、それ故自分とは違う存在として描かれてきた。共感がそこに生じる余地はまったくない。競争社会において、秀才は常に少数派である。その少数派は、自分のコンプレックスを刺激するだけのいやなやつとして多数派から排除される。 社会で、共感を集めることが出来ない存在は、もちろん、その存在になりたいと思う人が少ないことを意味する。まあ、なりたくてもなれない、というのも含む。 安倍前総理も、管総理も、勉強が出来るやつとは到底思えない。国会の答弁を見ていれば明らかだが、「官僚のカンペを読む以外は、ほとんど壊れた機械かポンコツ、あるいは脊髄反射の動物レベルである」、といっている人がいるみたいだが私は言っていませんので。私はこのブログでそんなひどいこと言うつもりもないし、もちろん言いませんし、言ったこともありません。 で、為政者がバカだと結局国民全体の福祉(生命健康幸福)を破壊し国が滅ぶ原因になると言うことを言いたい、今日は。 もちろん、リーダーがバカであれば、そんな国繁栄を続けることが出来るわけがないのはほぼほぼ自明なのだが、民主主義社会では、参政権を放棄して投票に行かない人が増えるというまさかの現象により、この日本では小選挙区制度という、資本主義の自由民主主義国にはじつはまったく不向きな選挙制度の影響もあり、ここ数年バカしか総理になっていない。 バカが総理になるとなぜまずいのかを説明したい。キーワードはレントシーカーだ。レントシーカー、一言で言うと国家統治機構に寄生する寄生虫のことなのだが、レントシーカーが国を滅ぼそうとしている状況になっていて、彼らは頭がいいので、彼らと闘うためにわれわれも勉強しないといけないよ、というのが今日の結論である。 さて、レントシーカーといえば最近は竹中平蔵が話題だ。彼はまさにレントシーカーである。彼は10年以上前から自民党の政治家と親しく付き合ってきた。政府の政策意思決定に関わって日本の雇用を破壊し、弱者を切り捨てるガチの新自由主義者としてはげしい批判を受けていて、Twitterなどでは、オンラインデモみたいなものまで起こっている。

アドボカシー:誰が政治的な要望を伝えることが出来るのか?

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 まわりを見渡す限り、なかなか行政や政治にもの申すことが出来る人はいない。私は先日の投稿で、ブログやSNSで個人がどんどん発信していくべきだと述べた。 現に国連のSDGsはロゴを個人が情報提供目的で使う分には使用許諾を得なくてよいとしている。 ご存じのようにSDGsは地球上で暮らす私たち人類の持続可能性と幸福の実現のために取り組むべき17の喫緊の課題群のことである。 つまり何か政治や行政にもの申したいのであれば、この17のゴールのうち、どれにおいて問題なのかを指摘すれば説得力は高まる。個人が自分が住んでいる地域の自治体や行政府に対しアドボカシー活動を行うにあたってたいへん便利で有力なツールが、こうしてネットで簡便に利用出来る時代である。 ただ、私でさえ、このブログを書いているのは深夜3時半。もはや、そのロゴをダウンロードして、このブログにアップする気力は残っていない。早く「ラベル」を貼って「公開」ボタンを押して風呂に入らなければ、明日ずっとだるくなってしまい家族に迷惑もかかってしまう。 このように、やればいいと分かっている善でも、1日の使えるリソースが限られている以上、むずかしいのである。 今日は興味深いこと聞いた。知人のひとりが、千葉の郊外のゲームセンターに深夜2時に行った。すると駐車場に、某宗教団体の勧誘員が3人もいて、話しかけてきたというのである。 その宗教団体はわりと有名で、週刊誌でたまにやる、有力政治家信者に名を連ねてもいるのはこの教団、みたいな特集で必ず登場する。 政治家たちが必ず宗教団体の信者になっているのは、もちろんその教義を信じているからではなくて、まとまった票田が得られるからに他ならない(公明党と創価学会)。政治家は一定の表明と献金をすれば、次の選挙で当選する蓋然性が高まるわけだから、躊躇無く信者にもなろう。 ここでいいたいのは、政治的な影響力を持つために、おばさん3人を深夜2時にゲームセンターに立たせることが出来るほどのその動員力の強大さである。 宗教団体はこうして、政治的発言力を手にすることが出来る。 では、われわれはどうか。先ほども行ったように、そんなこと出来るわけがない。ブログ記事に国連のSDGsのロゴを貼ることすら面倒なのに、深夜に勧誘などしようものなら仕事も家族も失いかねない。 つまり、政治的な要望を表明して、意思決定に働きかける活動

悪の秘密ボッチヘライザーと哲学入門チャンネルじゅんちゃんから学ぶ「新自由主義」と日本の未来

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原価ゼロ、マウンティング目的でやってる(寝不足)学生ユーチューバーの収益が11月45万でニチレイの冷凍工場の社員と同じくらい、だと。 そして、尊敬と畏怖すらわくこの孤高の、在野の、住所不定のユーチューバー、じゅんちゃんのこの新自由主義批判の動画。傑作だ。 しかもこのあと2020年11月27日(土曜日)夜九時から、『今こそアーレントを読み直す』(講談社)の 仲正昌樹先生インタビューとは…。神だ。ふたりとも神だ。あ、三人か? ていうか、神って、「○人(にん)」で数えていいだろうか? それって神じゃなくね?

アドボカシー: 世界の富の不公正で反道徳的な偏在をなくせばあらかたの問題は消え失せる

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 国際NGOオックスファムhttps://www.oxfam.org/en/what-we-do/aboutによれば、現在世界では次のような富の著しい偏在が起こっている。  2019年1月のオックスファムの発表では世界で最も富裕な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の資産を保有している※1。  えっ、怖!  また、2018年のはじめに、オックスファムは世界で増えた富(保有資産の増加分)のうち、82%を、世界の上位1%が独占した※2。  わし、どうりで増えないぞ。  ちなみに、2019年には、世界の下位38億人の資産は11%も減ってしまっている。  貧者から金が金持ちに吸い取られてる構図じゃんか?  オックスファムは、 拡大する格差によって貧困対策の効果が損なわれ、経済は打撃を受け、人々の怒りをあおる結果になっていると強調。各国政府が保健医療や教育といった公共サービスに割く予算を削減する一方で、富裕層に対する税制優遇を続け、経済格差をさらに深刻化させていると警告※1  人々のやるせない怒りは、富裕層ではなくて、同じ貧しい人々の同志の争いになってしまってる。もう泣きたくなる、悲しい。オックファムはさらに警告する。 富裕層や大企業に課税して「底辺への競争」をやめるよう各国に強く要求。最富裕層がたった0.5%多く税金を払えば、「現在教育を受けられずにいる子どもたち2億6200万人に教育を授け、330万人の命を救えるだけの保健医療を提供しても、余りある資金を確保できる」と指摘※1  いやマジで。生活保護費を引き下げたり、母子加算を減らしたりするどっかの政府。健全財政のために、国民に「痛み」と「自助」を強いるばかりで、世界のこういう富の偏在状況はスルー。スルーどころか、「成長神話」にすがることで、逆進性の高いこのバブル資本主義に加担。税金(不労所得優遇=配当所得や譲渡所得、相続税あまあまで事業所得や給与所得からは容赦なく取る、大企業優遇、逆進性の高い直接税選好ねダメそれ)なんとかしろって話だな。  ありえんぞ。  貧困は先進国の若年層でひろがっている。 富裕層だって、ヤバい状況に気づいてマッセ。入場料70万の講演会TEDから。 このスピーカー、ニック・ハノーア氏(米国の起業家)が朝日新聞でインタビューに答えた記事が載ったらしいが、そのことを私は共

なぜ世界はよい未来に向かって行動出来ないのか

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なぜか。まず政治家の都合。 「増税せずに収入を増やしたいという願望」→成長神話にしがみつくほかに、自分たちの次の当選はおぼつかないという現実。 次に、私たち社会の都合。ひとりひとりが、前世紀に エドワード・バーネイズ により発明された広告による消費プロパガンダにより、「物を買えばあたらしい自分になれる」信仰に骨の髄まで、しかも多世代にわたりどっぷりと浸かったままである。 どうすればいいのか。『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』(ケイト・ラワース)の示す解決の方向性を見てみよう。 では、どうすれば成長依存を克服し、低成長またはゼロ成長の経済を財政的に無理のないものに出来るのか?  第一には、税の目的を描き直し、北欧諸国で成功しているような高負担高福祉タイプの税制への社会的コンセンサスを醸成すること。その際は、言語フレームの専門家ジョージ・レイコフのアドバイスを忘れず、言葉の選択に気を配りたい。「減税」には反論せず、もっぱら「公正な税」を訴えるのが賢明だ。同じように、公共の「支出」という言葉は、反対派によってしばしば無駄遣いを思い起こさせる言葉として使われている。それも公共の「投資」と言えば、質の高い学校教育や、便利な公共交通など、みんなの幸せを指させる公共財に意識を向けられる。  第二には、非道な税対策を禁止して、税の抜け穴や、租税回避地の利用や、利益移転や、多くの世界的な大富豪や大企業――アマゾンからザラまで大富豪――が微々たる税しか納めないですむ優遇措置を許さないこと。世界の租税回避地には富裕な個人によって少なくとも18兆5000億ドルが隠されている。これは一年間で1560億ドルの税収が失われていることを意味する。それだけの税収があれば、極度の貧困を2回以上、世界から一掃出来る。同時に、多国籍企業は毎年、およそ6600億ドルの収益を、ほとんど税金のかからないオランダ、アイルランド、バミューダ、ルクセンブルクに移している。このような問題の是正に取り組む世界的な団体もある。そのひとつ、公正な税のための世界同盟(グローバル・アライアンス・フォー・タックス・ジャスティスhttps://www.globaltaxjustice.org/)は、企業の透明性や説明責任の向上、国際課税の公正化、国内における累進税制の強化を求める運動を世界各地で展開し

『ドーナツ経済学が世界を救う』ケイト・ラワース 2018

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 この本すばらしい。2018年にでていたのに知らなかった。タイトルがイマイチだ。ドーナツ経済学?興味ないわとなってしまう。しかし内容はすばらしい。 経済学はスッカリ陳腐化して、人々の幸福にも地球環境の持続可能性にも寄与することが出来なくなってしまっている(と私は思っている)。 そうした経済学が、今後どうすれば学問として再び人類の文明の進展に寄与出来るのか。その足がかりを与えてくれる本といえそうだ。 時間が無いので、詳しくはアマゾンの他のすばらしいレビューの数々を読んで、是非とも買って読んで欲しい。 私はKindle版を買って、fireでアレクサに朗読してもらいながら家事をしている。家事は身体を動かすので運動になる。運動しながら、世界的な経済学の最新の知見に触れることが出来て幸せだ。 はじまりからはじまりへ、これは地球環境を人類が最初はそれほど影響を及ぼすことなくスタートしたが、今やスッカリ地球環境から資源を略取して、環境を破壊する歴史への戒めの言葉だが、家事の、皿洗いとか掃除もまた、それを使う前から、使ったあと、元の通りにキレイに戻す、始まりから始まりの運動だった。 いやだから、これに金払ってほしいってこと。地球環境を汚し資源を略取する資本の仕事にはお金が流れ込んで、こういう、環境保護的な地道な市民の活動は一顧だにされない経済ダメだろう。ベーシックインカムしかないだろ。 あと、このほんの六章あたりを読んでいて思ったんだけれども、今、太陽から降り注ぐエネルギー、これに注目するってのがいいかなってこと。というのも、地球というのは閉じた環境で、質量保存であるから、どうしても資源はゼロサムになる。トレードオフ。つまりどういうことかというと、石油とか、コーヒー豆でも、原子力エネルギーでも、そこから便益を取り出して享受すると、一方で、そのコストはどっかにかならず押しつけられていて、その押しつけ先はおもに地球環境になりがちってこと。 人に押しつけてきた時代もあったし、今でも途上国(あるいは先進国のなかでさえ)、経済活動のコストを押しつけられてひどい目に遭っている人はいる。しかし、さすがに人は黙っちゃいない。だから最近では環境(環境は黙ってる)に押しつける。 それじゃダメってことが1つの前提だとすると、じゃあ、どうしたらいいのか、その解の最大は無限に外部からやってくる太陽エネルギー

目撃!! ナッジの失敗「サンドラッグ東小金井梶野町店編」

 ナッジというのは、行動経済学からの理論で、人の意思決定に自然に働きかけて、その人の行動を合理的で正しい方向へ導くこと。 環境省でもPDF を上げていることからも明らかだが、国の政策実行やお店、いろんな施設など、生活のあらゆる場面に今取り入れられている。 今日、近所のサンドラッグで、このナッジがうまく昨日せず失敗している現場を見つけた。 近所にあるサンドラッグでは先日、複数のレジの方向を指し示す「ここにお並び下さい」というシールが、個別レジから少し離れたところの床に貼られた。ほとんどの客はその床のシールの通りに並んで待っている。この列はレジ待ち統合行列である。 これまでは、個別レジの直前の床に、「こちらにお並び下さい」というシールが貼ってあるだけで、客は空いているレジを選んで、そのシールのところに並ぶやり方だった。 今回あたらしく、個別レジから少し離れたところに、レジ待ち統合行列の「基点」のシールが貼られたので、客は空いているレジを待たなくてもよくなった。 自分が早いなと思って並んでも、横のレジの方が早く終わったり、また前の客がもたついて自分の列の進みが遅くなり、最初は混んでいたレジに抜かされるととてつもなくイライラしてしまう。 だから、行列を一本化したのはすばらしい。これはいいや早くやればよかったのにと思って並んでいたところ、オッサンが、これまで通りのレジ前の床に貼ってあるシールを見て、統合行列を完全無視してあるレジの前に並んだ。 それを見た店員が、あちら(統合行列、すでに人がわりと並んでいた)にお並びいただけますか?といってももうダメだ。オッサンは個別レジ前の床に貼ってある「こちらに並べと書いてあるじゃないか」と言うだけだ。 このあと、店員は、「いや、ここじゃなくて、あちらに並んで下さい」。 オッサン「いや、ここにシールが貼ってあるよ、ここに並べと書いてある」 店員「あちらにお願いします。ここじゃありません」 ナッジ失敗だ。なぜ失敗したのかというと、言うまでもないが、サンドラッグが、従来から使っていた個別レジに並べというシールを剥がさなかったからだ。オッサンの言うことは間違っていない。個別レジ前には行列は出来ていない(つまり空いていると見える)。そして、個別レジの床には「ここに並んで下さい」と書いてある。 サンドラッグはナッジに失敗した。どうしたらよかったのか?

国税庁e-taxデスクトップ版インストール時「構成しています」で止まってしまう件…

 あたらしいパソコンを数年ぶりに買ったのでさっそくe-taxデスクトップ版をインストールしてみた。しかしうまくいかない。 インストール終盤、最後の何とかカントかを構成しています、の画面のまま、インジゲーターが進んでいかず、止まってしまう。 国税庁e-taxヘルプデスクに問合せ含め3時間くらいあれこれ試した結果、個人ブログ「なんか適当に色々するアレ」の e-taxソフトがインストール途中で止まる で解決した。 ちなみに、この「色々するアレ」さんのページに至る前に、e-taxのサポートデスクに電話したがこれが悲しい結果になった。つまりあれこれ一通りのこと(すべて無意味で解決に至らない、振る舞いの数々)をさせられた挙げ句に、言われたのは、ネットワーク管理者に連絡してくれ、あるいは、パソコンのセキュリティーソフトの担当者に聞いてくれ(要はマイクロソフト?)である。 もちろん、e-tax歴10年以上の私は当然のことながら何度もマイクロソフトにも聞いたことがある。e-taxがうまくうごかないばあい、マイクロソフトに聞いてくれとたらい回しになることがよくあるのだ。ちなみにマイクロソフトに聞いてももちろん、国税庁に聞いてくれとなるので問題は解決しない。これが日本の「たらい回し」である。TARAI-MAWASHI。 たらい回しにハマった国民は、時間と、電話代などの費用ばかりかかり、心身をすり減らしながら、問題は一向に解決しない(ネトウヨ論客化してみっともなく死んでいくほか無くなった某有名美容外科医のように虚しさが募る場面だ)。 もちろんこれつまりe-taxアプリインストールは遊びじゃなくて、憲法に書いてある国民の義務である納税をしようとしてるだけ。国民が義務を果たすため、国が用意してくれた税金で作ったアプリを使おうとがんばってるだけなのに。使えないし、使えるように最後まで作った国は面倒も見てくれない。 で、 今回の解決に至った理由、解決策はおもに次の3つの手続きによる。 読む前に、この解決策は、あくまで憲法の義務を果たそうとした一般国民が、普通にやれて当たり前なので、わざわざ国のヘルプデスクのマニュアルからも割愛されちょる部分である。だからこのブログをこうしてわざわざ書いても、私のITリテラシーの低さがバレるみたいで本当に恥ずかしいし、みっともないことなのだが、まあ皆さんせっかくの機

この自己啓発動画のどこが問題か?

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 典型的な情弱向け自己啓発動画を見つけたのでいじりたい。 この動画で言われている、エッセンシャル思考(背水の陣)について説明しよう。 「成功のためには、朝から晩までそれだけをやる。それ以外のことは一切やらない」 あとほかに、失敗のとらえ方についても触れている。「失敗は消去法」(すぐ次に行く)。 これはいずれも、これだけ見ればまあその通りかもしれないといえる。しかし、いざ生活のなかに明日から取り入れて、成功を目指すことがほとんどの人に出来ないのはどうしてか。私の場合はこうだ。 朝起きて、成功のためにやろうとしたことを絞って、次々とこなし、失敗したら即座に次の選択肢を試す? そんなコトしたら家族がキレて終わりだろう。成功とか寝ぼけたこと言ってないで、早く皿洗え、支払伝票処理しろ、掃除しろ、猫のエサかってこいと。後段はひどいにせよ、成功=寝ぼけというのはまさに真実だ。 そもそもデフォルトで目的に設定されている「成功」が意味不明。私にとっては「成功」というのは、すでにもう済んだ話だ。具体的には、浪人して大学受験をしてかろうじてまあ受かってそれであらかた燃え尽きた。30年ちかく前の話だ。今、灰。真っ白ふわふわ。江戸時代だったら普通に死んでるこの40代の「余生」を、子どもの成長などめでつつ毎日の家事育児雑事に忙殺されてかろうじて生きているっテコトー。 成功とかはもういい、これでだいたい満足している。だからこのチャンネル登録者数というのが、十万行かないで、数万規模でじりじりしているのではなかろうか? 何かキツいことをやれば巧く行くとか、言っているけど、そんな無理しなくても今のままであらかた楽しいし問題ない人は多いのでは?(古市憲寿) 成功について、わたしが勝手に淡泊になりすぎ? 違う違う。デフレってのは要は社会全体が私みたいになっちゃってる状況だったろう。金利がこれだけ低いのに借りる人誰もいない。商売の見通したたないから。政府中央銀行がせっせと金を入れる株式市場だけが不気味に高騰するだけ。怖! もはや成長も成功ももう無理ってこと。だいたいいまの経済状況のなかで、人も減るし、利益率のおいしいビジネスは世襲や既得権益の大企業が寡占しているし(そういう連中すら今回の感染症のせいで死にそうだ)、成功って、普通に考えて無理だろう。何かやって成功する環境じゃないことくらい分からないならそれは

自民党ではなぜ日本が没落するのか、そして次代のあるべき社会モデルについて

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この在野の研究者、哲学実践家のじゅんちゃんの神回動画をぜひご覧下さい。 この動画で言っていることで補足したいのは、今、労働賃金に課税されるのに、不労所得(金融資産や土地株式の譲渡所得)への課税は、労働賃金への課税にくらべると累進でもなく、20パーセント程度の定率であるという部分。 この課税のやり方は、働いている人からはたくさん税金を取って、不労所得の人は優遇されるので、倫理的に大きな問題をはらんでいます。 しかもさらに問題なのは、なぜ不労所得の人たちへの課税は、勤労所得の人たちへの課税よりも優遇されているのか。その理由が、「リスクプレミア」とか、あとは政治を金で買って自分たちの都合のいいように動く代議士を操作して、税法をいくらでも自由に出来るからだというところ。 まさに民主主義じゃないでしょこれ。 世にいろいろ不幸があって、貧困が最たるものなのだが、民主主義社会ならばあり得ない貧困が今ひろがってる。その原因は間違いなく、逆進性を極めた今の租税のしくみに内在しているとわたしは思っている。 金をリスク資産に投下した人には、リスクプレミアといて、まあ要は、そういうリスクを引き受けたことへの報酬として、配当をもらったり、税が安く済むとか「説明」されるんだけど、そんなのは完全に詭弁だろう。詭弁というのは、道理に合わない、ごまかしの、つまり「屁理屈」のことなんだけれども。 なぜかというと、リスクを引き受けることが出来る(余裕がある)ほど金が有り余っているのなら、そもそも金持ちじゃないかと。労働収入しかなくて、ストックがほとんど無い一般市民はそういう投資をやりたくたって出来るはずがない。今預貯金がない人は特に若年層で増えている。つまり、金持ちで余裕がある連中には税負担は少なくしておいて、明日明後日のために働かざるを得ず、投資なんてことする余裕のない勤労者からは高額な税金を取る。 こんな国家はでたらめだし犯罪的だろう。その結果スッカリ格差が拡大して(トマ・ピケティ)、ずーっとデフレで自殺者、貧困者は増える一方なのに、株や金、不動産は中央銀行までもがその高騰の片棒を担ぐ始末なのでジャブジャブにバブってる。 決定的におかしいんだが、これ理解してもらえないと本当に困る。ちなみに私は自民党の党員(この動画では狂気の沙汰のような行動なのだが)として、こうした真実を少しでも政策に反映出来ないか

Youtubeの広告の観察から分かった「売る物がなくなった」資本主義の砂漠化

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 単に面白いから最近YouTubeめっちゃ見るわけだが、広告がとにかくウザい。月千円の課金の誘惑にもはや負けそうである(金を払えばうざい広告が出なくなる)。 何かウザいかっていったら、広告のほとんどがどういうわけか情弱向けの情報商材か、またはコンプレックス商材、手かざしなどのスピ系、またはネトウヨ向けの歴史歪曲ネタばっかりだ。 これだけ広告が回ってるってことはそれなりに引っかかる人も多いに違いない。ヤバいなそうなると。怖いな。 生きていく上で本当に必要なものってのはあらかた廉価にすぐ手に入るようにはなったが、必ずしもそれでみんなの承認欲求が満たされるかというとそうではない。承認されたい、認められたい、マウンティングしてやりたい、そういう欲求につけ込まれて、ついつい無価値な情報商材やらオンラインサロンなどに手を出し、金を無駄遣いしないようにしないと。 資本主義では、生活必需品はすぐに出回り価格も安くなるが、承認欲求を満たそうとすればきりが無い。こういう領域に金を使うのはバカげているが、広告があふれているところをみるともはや売る物がなくなった資本主義の砂漠的光景が広がっているようにしか見えない。 今はコロナで、もうちょっとましなカタルシスイベントが開かれにくい状況だ(ライブとかスポーツ観戦とか)。で、ネトゲーとか妙な情報商材とかオンラインサロンにハマってしまいがちかもしれない。 止めたほうがいい。 筋トレとか散歩、部屋の掃除、模様替え、図書館での読書。こういうほうがまだいいと思う。十分それで承認欲求を散らせると思う。私の家族は短歌や、読書、絵を描いたりピアノ弾いたり、将棋などで気を紛らわしている。正しい退屈の仕方、退屈力を備えた誇れるべき家族である。 動画は、私の家の近くにある武蔵野プレイス。投稿したのは武蔵野市動画チャンネル(登録者数275人、2020.11.14現在)。これ本当にすばらしいんだけどなー。

ベーシックインカムはここからはじまる

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ベーシックインカムは国が、憲法25条の要請(国民がまともに暮らせるようにする)にしたがい国民全員に無条件で定額を定時に給付する制度のことである。そして、現在資本主義が人間の数が減ってデフレが恒常化し、制度存続に赤信号がともっているなかで私みたいに子どもをたくさんそだてるためにはつまり資本主義の今後の存続のために努力している人間に報いるのに、ベーシックインカムしかないと言うことはずっとわたしが言ってきている。 何しろ今の日本では5000万世帯のうち約半数だったか3分の1は単独世帯である。デカい声で物を言うにはこどもの世話なんてやってたらそれはできない話しなのでいわゆる世論というのは子どもの数が少ない世帯前提で進んでいるように思う。だから、ベーシックインカム月7万じゃやっていけないって騒がれている。実際のところ足りないのはボッチ(ラウドスピーカー)たちの心の寂しさを埋め合わせるなにかであって金じゃない。ボッチが7万もらったって足りるはずがない。金額の多寡ではなく、ボッチに足りないのは孤独を癒やすコミュニティーからのフィードバックだがそこは混同されて語られている。孤独を癒やすコミュニティーは「資本主義の都合により」世界からものすごい勢いで消え去っている。詳細は宮台真司などの社会学者らの研究を参照してほしい。 で、うちのように子どもがたとえば4人いるとしよう。ベーシックインカム、「足りない」7万とはいえ、両親会わせて6人分、つまり6倍、42万円が入ってくる。42万あったらそもそも足りる。足りすぎる。このブログの活動じゃなくて、いよいよ拡散りょくの強い動画に着手する時間も出来るうれしいー!! というわけでベーシックインカムを待望しているのは私のような貧乏子だくさん世帯において最も切実で真剣だ。ところが声は非常に小さい。 さて金を1億人以上の人間に配るというのは書くのは簡単だが実行するのはこれはたいへんな手続きが必要になるだろう。また、手続き以前の話として、そもそも政治的には導入は現在困難である。ところが、ベーシックインカムとまでは行かなくても、少なくともこの憲法25条の国民の権利からの要求に応えることはまもなく出来る気配が私には感じられる。 それはマイナンバーカードの驚くべき普及の加速だ。管政権は2021年度からデジタル庁を設置する。この新省庁の爆誕こそがベーシックインカムの

岐阜の現役高校2年生、3月にはじめて11月で15万人に

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最近、高校生がめちゃくちゃ面白い動画を出してきている。そして、あっという間に何万人ものチャンネル登録者を獲得し、ユーチューバーになっている。 わたしが17歳だったころはどうだったか。わたしが17歳だったのは1980年代の終わりころで、映像メディアは地上波テレビのみ。VHSビデオテープで好みの番組を録画してみるのが主なメディア視聴シュタイルだった。 2000年頃に私は水越伸先生のメディア論の講義をなにかで見て、メディアリテラシーという言葉を知った。メディアリテラシーは、次の4つの技能のこと。 メディアを見ることが出来る(インフラレベル) メディアを理解出来る(たとえば英語圏の人は英語のメディアが理解出来る) 自分も発信出来る(メディア側に立てる) わすれた、たぶん、メディアを俯瞰的に見て真偽を正しく判断出来る知性とかそんなんだったかな?! メディアリテラシーというのが重要なのは知っていて、その中に、「発信力」が含まれることに驚いた。というのも、当時はメディアは第三の権力と言われていて、メディアであること=力(パワー)だったからだ。パワーがあれば、金も、人も、支配下におけ、自分の自由は高まる。そのパワーを獲得するためには、やはりメディアリテラシーを高めることが不可欠だが、発信する力も当然のごとく含まれている。逆にいえば、テレビや新聞など大手メディアではなくて、ミニコミであったとしても、発信出来るわけで、発信出来るってことは権力を手に出来るという意味になる。ここに私はロマンを感じ、ミニコミ誌を作ったりした、実際。あーなつかし。 そして、子どもが生まれて家事育児決算申告などのアンペイドワークに忙殺されること20年。ようやく周りを見渡してみるとどうなっていたか。 表題のような驚くべき事態が眼前に展開していた。17歳とかの素人が、今日収録して公開した動画がわずか数時間で数万人もの人に見られ、月に数十万円の収益を手にするのはめずらしいことではなくなった。同人誌を作って、「力」(フォース)を手に入れようと夢見た若者はもう浦島太郎である(ホントは領太郎だが)。何しろ、20年前なら同人誌を作って、新宿のもさくしゃとか、中野のタコシェとかに持っていったりあるいは、地方小出版という取次に委託販売してもらってちょこちょこ(以下省略)。とにかく、何か表現してそれを実際に受け取ってもらうために膨

「雇用問題研究会」(2) 「日本型雇用」を考える 小熊英二・慶應義塾大学教授 2020.3.23

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先日、電通が社員の一部を「個人事業主」として、彼らには別会社からきちんと業務委託契約を結び、報酬を支払う旨発表した。 社員の人事評価制度とか、転籍とか全部吹っ飛ばして、いきなり個人事業主にして放り出す。さすがは鬼の電通。 私も1995年に入社試験を受けてもちろん落ちたんだが、結局半分はコネ入社が定説で、本当に虚しい気持ちになった。やる気なくなる。コネ入社じゃなくても、とんでもなくすごい人しか社員になってない(OB訪問で知った)。 何が問題かっていったらこういう、人のやる気やマジメにやろうという意気込みをくじく社会の慣習。こういうのばっかりでもうベーシックインカムしかないだろうと。 ベーシックインカムに反対する連中というのは結局、ラッキーにもポジションをゲットした人だけだろう。それこそコネ入社出来た人とか。

とこうそうはけっきょくこくさくなの?!こわすぎる。 

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かなしくなるわ。都構想。経済成長のために、ごみの埋め立て場所の上に建物立ててそこで(アメリカ資本の)カジノ爆誕させるとか。来ない外国人相手に何やるの? オリンピックも中止なのに。 中央政界の勢力争い や覇権争いで、かわいそうな大阪市民の未来が明日どうなるんだろう。経済成長なんて嫌になる。桜田先生のようなひとが、こうやってユーチューバー(二年三年前は完全に無名)のチャンネルに「出演」して広くみんなのところに届く(届いているといえる?!)のは不幸中の幸いだ。 私の解決策は、一個しかない。先ず人々の承認欲求を満たせる場所を政府がたくさん作ったほうがいいだろう。たとえば文化祭とか、運動会(私は無理だが)のようなものを自治体がこまめに開催して金を配る。 ライブパフォーマンスを自治体が金を出して招聘して市民にタダで見せる。カラオケ大会や、マッチングイベント、あるいは散歩のようなものを世代別に市が開催して交流する機会を設ける。参加者にはカネを配る。 コミュニティーセンターや公民館活動、図書館活動にもっと死ぬ気で取り組んでもらいたい。 あと、いわゆる若手の、そこそこ年収が高いサラリーマンからはもっとばく大な額の税金を取るべきだろう。もちろんそういうサラリーマンを思いっきり選別して雇って使っている大企業の法人税も爆上げしてほしい。 私は大企業は、営利企業だからいけてる人だけ採用することは知っている。いけてる人というのは一言でいえば、優生思想+男尊女卑に染めやすい、文武両道のつまりは体育会系の男のことだ。結局そういうのばっかりでやってきたものの、国は成長なんてしなかった。たくさんの人が安心して家族を増やすことができない国は滅ぶ以外にない。 ベーシックインカムしかないってこと。

【仁義なき都構想 最終話】住民サービスが向上するんやったらええやん!編

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これ、マルサの女とか思い出したな-傑作だ。さすがだな。 ほんっとに緊縮財政に毒された人たち、これどうしたらいいんだろ。藤井さんはじめ反緊縮の人たちの言ってることを「デマ」呼ばわりして。

大阪都構想と橋本徹、維新の会について

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大阪都構想の住民投票が行われるらしい。 私は都民なのでまったく関心が持てないが、維新の会というのは申し訳ないが残念な印象を持っている。所属議員の舌禍事件とか、男尊女卑っぽいとか、差別的だとかあれこれ。 ただ詳しく知らない、知り合いがいるわけでも無いので何も言わないに越したことはない。最近、大阪都構想に反対する人たちと、賛成する人たちの訴えをチョロッと読んでみて思ったことをまとめたい。 面倒なのでまとめると、反対派は、市を廃止して特別区に分けることのメリットはまったくないという話。単に、維新の会の政治的プロパガンダに過ぎないというわけだ(冷静に考えると野党が党勢を伸ばすために何でもかんでも政治の材料にするのはまったく自然である)。 賛成派、特に橋下徹さんの話は、前野知事時代の大阪は公務員天国で、腐敗がひどかったというもの。家族も命を狙われるほどの緊張感のなかで一生懸命改革をして、やっとよくなってきたと言っている。それは分かる。おつかれ様。ただ、それと大阪市を廃止して特別区に分ければ財政も改善して(なんとこれは完全にフィクションというか、単なる「夢」だが)成長出来ると言ってる。そんなのは因果関係として成り立たない。 結局、既得権を持つ人たちと、それを奪おうとする人たちのせめぎ合いが政治の震央であって、その様子をプロレス仕立てにして面白がっている市民がいる。そういう感じがしている。悪者を設定してはこてんぱんにやっつけて面白がる(あとで分かったが格差に乗じてとてつもなく巧く集票してのし上がる政治集団、それが維新、いちばん最後に「分かった動画」掲載)。 日本の政治的な成熟が諸外国に追いついていないという話じゃないのか? 橋本維新の会の功績(大阪の行政改革)は一定の成果をもたらしたのは間違いないだろう。ただ、それはそれだ。それはもう終わった話しである。これから、よりよい社会を作るのに、どういうビジョンがあるんだろう? 私に言わせると、一地方公共団体がどうのこうの出来ることはないと思う。人口減少するのに、何か行政の改革をすれば成長出来るなんてのはもう完全に嘘っぱちなのに。 結局橋本さんがやったことは、日産自動車の立て直しでゴーンがやったみたいな、コストカットと人減らしなんじゃないのか? そうやって、行政サービスはたしかによくなったし財政もまともになったかも試練が、その地域に暮らす

炎上事案について

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 SNSで、一般国民同士で誹謗中傷しあっていて見るに堪えない。匿名でネットで何でもかける場所があれば、当然そこに汚物が投げ込まれる(ひどい書き込みがなされる)のは、哲学はもとより政治学、法哲学、行動経済学からも人間の脳神経科学からも、社会心理学からもつまりあらゆる科学的見地からほぼ「自明」である。 匿名でやりたい放題なのは300年前のホッブスの万人の万人による戦闘状態(『市民論』1642年)の「まま」ということであって、今私たちはそこつまり、ネット空間に、これから、国家、監獄、警察、軍隊、国民国家制度を新規に構築しなければならない。 人間というのはもはや、なんの「世界観」も「価値」も「道徳」も、そんな見たことのない他人と共有出来るわけがない、これはもう完全に明らかになっている。せいぜい家族、友達くらいまでだろう。 世界は存在しない 。 私が思うに、つまりネット炎上を防ぐのは公的部門の仕事ではないかと言うことだ。その際、行動経済学の ナッジ を利かせてしっかりと規制をかけていくことが当然に求められる。 こういうこというと、え、それ自由じゃないじゃんと言う輩が出てくる。私もそう思っただろう。しかし、行動経済学のナッジの科学的有効性が公知となった現代社会では、最大多数の幸福の最大化のためにやれることやるべきことをやらないというのは、 自由ではなくて、むしろそれは消極的な「選択」であり、非科学的で誤った意思表示 に他ならない。 そもそも哲学を在野で研究している私からいわせれば、「自由」なんて概念は陳腐化していて、なかなかに扱うのが困難なんだがね。ただ、どんな自由化、誰が言っているのか、何の反対語か(強制?)とか、しっかり考えはじめるのには好適。 さて、炎上の被害者を「かわいそー、おお怖」と放置し、他人事で済ませる態度こそ、まさに炎上して国民同士で傷つけ合わせておきながら、企業オーナーや官僚、政治家の身分の再生産だけが最優先される今の政治を翼賛とまでいわないが、追認していることになる。 ではどうしたらいいかというと、すぐにお住まいの地域の自治体の議会の議員の連絡先を調べ、訪問するなり手紙を書くなりして、この問題について公的にどんなことが出来るのか、考えてもらえばよいだろう。それ以外にない。 しかし、そのためには、切手代とか、電話呂金のコストが発生する。もちろん、調べたり連絡し

資格は完全に無意味化

 少なくともそれで喰っていこうと思ったら、資格取得のために勉強するのはぜったいに間違っている。 特に、AIの進展により、メディアの報道によれば行政書士、司法書士、税理士、会計士は喰えなくなる資格の筆頭になっている。基本的にはすべてこれらの資格は、行政に提出する書類作成の代行になる。近年、法務局も裁判所も税務署も、本人が行けば極めて親切に教えてくれる。これは考えてみれば当たり前の話だ。憲法などで、国は国民の福祉を保証しなければならない。その幸福追求の途上において、種々の行政手続きが必要になる。その手続きを本人がやろうとして、税務署や法務局にやって来た。そういう国民に対して、税理士に聞いて、とか、司法書士に頼めば?といって追い返すことは違法のそしりを免れない。食えないからといって役所に来た生活保護受給希望者を追い返すことさえ今はやりにくくなっている。ましてや、きちんと法手続をしようとやって来た国民の質問にきちんと出来るまで答えないなど許されるはずがない。 ところで、わたしはAFP(ファイナンシャルプランナー、2級FP技能士)という資格を保持している。もちろん、ご多分に漏れずこの資格では飯は食えない。この資格のおかげで、所得が増えた年はこの16年間、一度も無かった。逆に、年会費や維持費(継続テスト受験料)で毎年2万弱かかっている。2004年に取得して以来、16年間払っているから、32万円を日本FP協会に払っている。収入はゼロなのでここだけみると完全に赤字である。収入をもたらさない活動なので、これは仕事ではなくて、「余暇活動」「趣味道楽」と呼ぶべきものだろう。 司法書士:月額2万(入会金30万) 行政書士:月額7千円(入会金30万) 弁護士:月額5万弱(入会金不明) 税理士や会計士、司法書士の知り合いが私にもいるが、私の知り合いに限っていうと、その資格のおかげで独立して収入がある人はいない。どっかに勤めて生活している。しかもその勤め先で、必ずその資格を持っている必要がある人はほとんどいない。 要するに、士業はオワコン、少なくともそれで食べていこうというのはオワコンだろう。もちろん、私のように単なる向学心から勉強したいという人は別だ。 資格勉強も、生活のためではなくて、趣味の読書の延長程度にとらえれば、それなりに面白いものだ。ただ、先に書いたように、月額数万単位でかかる趣味。

前野隆司先生の受動的意識仮説について

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前の先生の「受動的意識仮説」について最近勉強したので発表する。 まず私の長年のナゾの数々が、受動的意識仮説によりあらかた解決した。 勉強やダイエットが三日坊主で終わるのはなぜか?例を挙げるまでもない 地位職業を問わず「やらかす」(キレる)のはなぜか?政治家の失言とか芸能人の不倫とか、あおり運転とか自粛警察とか。 地頭がいいというのはどういうことか? 意識、自分、宗教などがなぜ陳腐化するか? そもそも意識があるとして「寝てる」ってどういう状態か? 人間の数兆の細胞を、意識が全部コントロール出来るわけがない そもそも受動的意識仮説は、能動的意識仮説の真反対の考え方。これが出発点だ。能動的意識仮説は、まず意識が先にあって、すべての人間の行動は、「喉渇いた、ジュース飲もう、買いに行こう」というふうに脳内に意識が湧き起こり、その結果脳から指令が出てジュースを買いに行く行動がはじまるというもの。 脳内の因果関係としては、「ジュースを買いに行こうと思う」→買いに行くである。一方受動的意識仮説は、この逆なので、まず買いに行くという行動が起こる。で、「喉渇いた、ジュース買いに行こう」は後付けなのである。 ここで、そんなバカなと思うのは当たり前である。ここで読者に寛容をお願いしたいのだが、そもそもみんな当たり前と思っているたとえばダーウィンの進化論。あれアメリカの4割は信じていないので。じゃあそいつらは人類の進化をどうかんがえているか? もちろん、人は神様(創造主のキリスト)が作った、以上! 当たり前なんてものはこの世に存在しないのでよろしく。 で、じゃあ、なんで、ゼロベース(ジッとしている状態)からジュース買いに行くって、どういう指令で筋肉に信号がいくのかーい? 前野先生の説明によれば、人体の自律神経系統(内臓を動かすなど人間が寝ているときでも働いている系統)からまず信号として脳に喉渇いてるぞと行く。すると別の自律神経回路がじゃあ水分を求める必要があるなとなり、まず目とか、脳内のエピソード記憶などから周辺の自動販売機などのデータを動員して、で、即座に手や足を動かして歩き出すという行動となる。その0.3秒後くらいに、やっと、意識(脳)が、これらの無意識の行動(自律神経由来の行動)は「喉が渇いたからジュースのみに移行」と意味づけるというわけだ。 他にも例がある。動画で言われていた。人間の

波頭亮氏とじゅんちゃんの対談 哲学入門チャンネル

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わたしが尊敬している波頭氏。ホントにえらい。この人は頭がいいだけでなく、社会をよくしていこうときちんと考えている。そしてその結果、絶望してる(涙)。 まあ、普段このブログは、一桁とか、多くても30人ものたくさんの読者の皆さまにご高覧いただいていて感謝なのだが、先日「ヘライザー」をタイトルにもってきただけでどっかでバズって420人もの閲覧数。これはエンタテイメントの力について後ほど考察したので一つのヒントになる。 今日は、近所のチェーン系外食店(価格高め)に行ってきた。驚くべきことに、そこで働いているのは、全員がわたしが卒業した中学校のOGやOBであった。彼らは全員大学生である。 つまり、学生アルバイトだけで、その店は完璧にまわっていた。 で、飲食バイト、学生と聞くとたぶん、さぞかしblackなんだろうと思ったらこれがまったく違う。むしろ、サークルのようなノリである。男女とも仲良く(当たり前だ、年齢も近く全員地元でオナチューなんだから)。 正直、見ていて、まあ制服を着こなして颯爽と接客する様子は、学生時代によく観に行った学生演劇っぽさすら覚えた。今風に言うとコスプレだ。 こういう体験を踏まえて、波頭先生の動画を見て思うことは、たしかに企業は競争をすりゃいい。政府は企業に補助金やら税優遇で、競争の公正をゆがめてはならない。しかし、同時に、こんな学生の大切な居場所であり稼ぎの場になっている企業が、単に競争上の理由であっさり店じまいしたら私はそれは、彼らへのたとえばBIなんかで報いるだけでは済まない気もしている。社会関係資本がそこでは共有されている、生み出されてる。そういう居場所としての仕事場をどうとらえたらいいのか、これは考えるのはとても楽しい。 で、もう一つ、波頭先生が動画で言っていた。私も読んだ、ジョナサン・ハイトのなぜ人は右と左に別れるのか、という本について。結論から言うと、DNAで生まれつきそういうイデオロギー判断をするように組み込まれているという。これは科学的な話しである。 波頭先生は、嘆く。公文書改ざんしたり黒塗り文書出したりはては、議事録を全部なかったことにしたり、記者と毎日夕食したりと言った民主主義の根幹を揺るがすようなトンデモ政権に対して国民とメディアの支持は盤石である。いったいどういうわけか。 私や、この動画チャンネルの主宰者である在野の哲学者じゅんち

竹中平蔵氏のベーシックインカム論を批判する人たちを批判する

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 竹中平蔵氏がベーシックインカム導入、国民一人あたり7万配ったらどうかといっているがいっせいに批判されている。 批判する人たちの主張は、おもに次の2点だ。 7万は少なすぎる 生活保護、厚生年金をなくすのはあり得ない 竹中氏は生活保護、厚生年金も止めて7万にすればいいといったらしい。 私は2004年にファイナンシャルプランナーの勉強をして合格し今も継続教育を受けて、年間1万数千円を上納して資格保持している。それで社会保障とか政府の税金の使途について興味を持って勉強もしてきた。さらには資本主義がポンコツ自動車で、かといって他に乗り移る車もないし、何とか巧くこれに乗り続けないといけない人類の未来も、世界の英知の著作を読んで絶賛共有中なおかつ読んだ本を無料で地域に開放するオープンライブラリーを勝手に作って 拡散中 である。 この結果、このブログのドメインや表題の通り、もうベーシックインカムしかないというのが私の訴えの結論である。 それで言わせてもらいたいが、かつて、これほど政権に近い人物が、ベーシックインカムを唱えたことはなかった。このこと自体をまずまっすぐに評価し、じっくりと味わいたい。うれしさのあまり、仕事が手に付かないほどである。 不肖私、もう10年以上前からBIを言い続けてきた私にとって、まあたしかに小さい政府を施行する新自由主義者もBIをいうのは知っていたにしても、BIはまずもってその本質は、マネーの再分配の政策だということだ。 つまり、政策である。ここで、ぷっと笑ってしまう。政策というのは、法律を作るための方針のようなものだ。BIには法律の整備が必要だ。ではその法律を作る人はだれ?もちろん国会議員だ。だから、政策の実現には法律を作れる国会議員が必要になる。で、今、BIを批判している勢力の人たちって、たぶん野党だろう。そいつら、私の見立てだと小選挙区制が変わるかなにかしないと政権のバトンはぜったいにやってこない、つまり法律になんか関わることは一切出来ない。無理筋(野党支持は無理筋のおとぎ話と思ったから自民党党員に私はなったのである)。そいつらがポジショントークでBIを批判している。まったく、論外である。それは彼らの永田町就職活動なんであって、国民の幸福とは無関係な話だろう(本項の結論としては、社会のバージョンアップのためには赤ん坊つまり次世代が物心つく前から金を渡

幸せとは何か

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  あるユーチューバーはもともと地方のキャバクラ店でとてつもない売上をたたき上げ、一財産を若くして築いた聡明な女性である。  今年3月ころに、お客のひとりと結婚。結婚した理由は浮気しなさそうだというのと、とても好きになったからというもの。ふたりの幸せな新婚ライフは、彼女のYouTubeチャンネルを通じて広くシェアされた。  ところが同年8月には、夫が、夫のSNSで残念な書き込みをして炎上することが度重なる。夫はユーチューバーの配偶者であることを公言している。この炎上を夫はまったく気にしなかったが、妻のほうが精神的にまいってしまう。  ふたりでいるときはとても親密に、いちゃいちゃでれでれしていたし、もちろん夜はふたりで寝た。このことは新婚当初の動画で本人が言っている。彼女は大好きな夫とふれあえることで幸せを感じていた。  ところが、炎上事案が生じてからは、ベッドは別々である。そしてこれも動画で本人が言っているのだが、離婚も視野に入れているようである。この間わずか半年足らず。  いったいなぜこんなことがおこるのだろうか?  もともと生物の成り立ちとして、男は、歳を取ってもやんちゃな男の子のままだったりする。一方女性は、男性より頭がよく、また社会的コミュニケーション能力も優れて紛争を好まない。そういうのはさておき今日はこの二つの動画を紹介したい。 まず、幸せってなんだろうか? 同じ前の先生による動画だが、今度は、人間の意識に関する興味深い視座。

ポランニー、労働や貨幣が商品になじまないことから資本主義の危機を指摘

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 労働を商品にするからこういう動画が登場すると思います。もちろん、動画があるから現実社会にそういう事実があるというのは因果律から言っておかしいんですが、蓋然性がないと言い切れませんよね。まずみて下さい。 ちょっと動画とは趣旨が一見異なるんですけど、要はこの動画は中抜きがおかしいといっている。しかし中抜きもおかしいが他にもおかしいことはある。 私はかれこれ20年以上にわたって、支払われない労働つまり、家事育児をやってきたんですけど違和感と疲弊感しかないです。それはどうしてかというと、そもそも労働というのは商品化されるべきものではないんだろうと。もし、労働が商品なら、私の家事育児労働はなぜ支払われないんでしょうか? オイそこの資本主義、答えろよ! なんでオレの、今日も120分くらいやった、床掃除、皿洗い、ゴミの分別、こどものお世話(スクリーンオフのためのあれこれ)、こどものアルバイト先に提出するための履歴書の作成のサポートや印刷、こういうのなんでだれも1円も払ってくれないんだよ! 説明なんてできっこないんでしょ、私のアンペイドワークがアンペイドの理由を。もちろん正当化だってできません。 じつは説明している人はいるんです、たとえばミード。いろんな未開社会をつぶさに観察した結果言えること、それはその社会が、性差に基づいて、ある種の役割を男にやらせることに、単に決めただけという身も蓋もないこと。要は理由はなくて、ある時点でそう決めたあと、ずーっとその社会がダラダラ全霊踏襲してきただけってこと。オエッ(嘔吐)。 人間が生まれながらにして自由や人権享受出来るんだったら、ベーシックインカムしかないだろうよと。それがないから搾取に甘んじたり、無償のままに甘んじざるを得ないんだよ。 ポンコツ大工のオッサンも、このあと紹介する若い哲学者も、結局同じことを言っている。資本主義のポンコツぶりを言っている。 資本主義のポンコツぶりは端的に言って、ほとんどの経済学者(数式大好きただし自然科学分野へのコンプレックスから来る変態的フェティシズムからの)が説明出来ない、いまのこの国家債務大膨張マネー大増刷にもかかわらず続くナゾの低金利と、一切起こらないトリクルダウンとすべての労働、商品の 低価格化 による格差の拡大。 ポンコツ大工ですら言い出してる。どうする? 少なくとも私は無視出来ない。 昨日に続き

悪の秘密ぼっち「ヘライザー」について

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今日紹介するのはこのチャンネル。ではどうぞ。 なにが気になるって、これなかなかに優れたコンテンツだと思う。最初はぜんぜんピンとこなかった。娘(大学生とか中学生)に見せてみても、「無理」とかいってぜんぜん娘に刺さらない。 私がもともと見ていたチャンネルに、スーパーナブラというのがある。無表情で、女の子がひとり「旅」に出かける。キャンピングカーで。そしてソロキャンプである。その模様を淡々と、センスのいいBGMとキャプションとともに詩的に見せる。 ところがある時期から急に、ナブラさんの動画で、沙耶香さんという別のユーチューバーが、フォーマットをまるパクリしていると怒りだした。 私は訳が分からなかったが、このヘライザーの解説でああそういうことだったのかと分かった。 現在はこういう事態に発展している。 YouTubeで横行している「パクリ」をわかりやすく解説している。これ見ると、収穫逓減の法則がここでもしっかり働いていることがよく分かる。 他にも、ヘライザー嬢はティーンエイジャーと推測されているがなかなかの「作家」がいるのか本人が天才なのかは分からないが、わたしがつい見入ってしまう面白いコンテンツが目白押しで完全に病みつき。内容はもちろん、ビジュアル、声も魅力的。手数のかかるカットや背景など編集に手抜きがない。本当に優れたクリエーターだと思う。 あと2本ほど、セレクトしたので、見てみて下さい。 ビートたけしがある著書のなかで、視聴者がみんな「評論家」みたいになってやれ食べ物を大切にしろだの、こどもが見たら真似して危ないだの、動物がかわいそうだの行ってくると。こっちはエンタテインメントコンテンツを死ぬ思いで作っているのに、見た連中が文句ばっか言うからテレビ局は萎縮してどんどん制約が増える。これじゃ面白いものなんかできないと。で、ビートたけしは結論として、文句言うなら「お前がやってみろ」という。 ヘライザーさんの動画にも、驚くべきことに、あれこれ批判が寄せられるらしい。しかし、わたしが今回、ヘライザーさんの動画を紹介するにあたり、これだけの動画を選んで、ブログに貼り付けて、たとえばうろ覚えの「サヤカ」の漢字が間違っていたから直したりと、とにかく「表現をする」ってのは手間と時間が半端なくかかるのである。それを受け手は、ちょっと気に入らないとコメント欄などで文句を言ってくる。 コメン

日本のこどもは世界一健康だが世界一不幸、ユニセフの報告

ユニセフが毎年一冊公表している「レポートカード」 最新の16 によると、日本のこどもの幸福度は世界において相対的には非常に低く、最下位レベルだという。 対GDP比で教育投資予算がOECD加盟国中でも最低レベルで、女性に無給で家事や育児を押しつけたまま、男性は儲かりもしないむなしい資本主義の搾取労働にかり出され、しかも年々下がり続ける給料から天引きされる高齢者の世話代(年金、高齢者医療費などの社会保障費及び不足分の国債費など)はうなぎ登りだ。その結果、男性稼ぎ手だけでは世帯収入が足りなくなり、女性は無給の家事育児だけではなく、このむなしく未来のない賃労働にもかり出されている。 つまりこどもと会話をする。こどもと時間を過ごす。こどもと遊ぶ。そういうことをする大人はほとんどこの国にはいない。こどもを守らないといけない状況は、もう待ったなしであり、世界的にもこの問題が共有されていることがこのリポートから明らかだ。 このブログのコンセプトは単純明快だ。世界にはマネーがあふれている。投機に使われている部分(金融経済)が、実体経済(私たちの暮らしで使われる貨幣)を大幅に上回っている。いくら基軸通貨国の中央銀行がお金を発行してみたところで、金融経済に吸い込まれていくばかりで、実体経済にはまったく回ってこない。それどころか、投機マネーが土地に目を付けると地価バブルが起こる。その結果家賃価格が高騰。それまでその地域に住んでいた人たちが、家賃高騰で住めなくなるなどの弊害すら起こっている。 しかも、その投機マネーはもちろん、労働者の年金基金なども含まれるものの(そんなのの運用のためにバブルを引き起こして家賃高騰させて若い人の生活が困っちゃうようなのは甚だしい失敗だろう)、人々の個別の生活満足や幸福とは無関係な、少なくともそうしたことを目的とは決してされていない。投機マネーの本質はただひたすらの自己増殖だけである。 そうやって、富める者から先に富めば、あとは放っておいても自然に貧しい者にお金が下りてくるものだというトリクルダウンというファンタジーをどっかの政府のリーダーは言っていたがトリクルダウンは完全に政治目的の「作り話」にすぎない。 こどものことを嫌う心情はわかる。うるさいし、無秩序だし、また自分のよりかわいかったり、出来がよかったりすれば穏やかではいられない。そもそもこどもを持つのに必

カーシェアたのし

 300万も400万もする車を、数時間だけ、好きな時間に気軽に楽しむことができる時代だ。先日トヨタレンタカーでベルファイアかりたらたまたま付いていたアダプティブクルーズコントロール(全車速追従型走行)とレーントレーシングコントロール(車線を読み取ってまん中に来るようにステアリングを機械が制御)を体験し、その凄さに驚嘆した。 次にトヨタレンタカーを使うときに、2020/09/03現在、これらのクルーズコントロールが装備されている車を指定することができない。 私はどうしてもこれらの機能をまた試してみたいと思って、あれこれ調べた結果、なんと近隣のカーシェアで、難題かこれらの機能を搭載した車が借りられることが分かった。 東小金井だが、駅からすぐのところにあるステーションのスズキソリオ。これは全車速ではないがつかえる。たしか30km/h以上かな。レーントレーシングは付いていない。 carecoも、近隣にいくつかステーションがある。ハリアーは50km/h以上から使えるようだ。レーントレーシングも付いている。C-HRは試していないが覗いたらコントロールスイッチが見えたので、この機能を搭載していることは間違いない。 C-HRは時速何キロ以上でクルーズコントロールが働いてくれるだろうか。気になる。 これまでの経験から分かったのは、一言でクルーズコントロールと言っても、時速何キロから効くのかが結構重要だ。なぜなら、東京の市街地では時速40キロ以上出せることってあまりない(幹線道路を除く)。止まっている状態から、スイッチを操作すると動き出してくれる全車速タイプであるかどうかが、ポイントだろう。 トヨタレンタカーはもとより、タイムズカーシェアもcarecoも、どのステーションのどの車は全車速なのか、時速何キロ以上から使えるのか、げんじてんではこうかいしていない。

結婚と家族のこれから

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  これ読んで、わかったこと。 家事はアンペイドワーク 女性のほうが多く家事を担っている 幸福の源泉は長期的で親密な人間関係 相手に配慮し尊重する まあある意味当たり前の話だが、今の日本では結局人々に余裕がなくなり、あれこれぎすぎすして、長期的な親密関係を気づくことが巧く行きにくい環境。 幸福の源泉は本当はオキシトシンの働きで得るのが社会全体にとっては望ましいんだが、いまはそうなっているだろうか? SNSやメディアをみて、その中である特定のスケープゴートを次々と上げて、敵ダーつぶせ-許せない信じられない!排除しろと攻撃する。そういうことに興奮して一時のカタルシスは得られるが、決して幸福にはなれない。ただ、メディアも、ある敵を設定してそれを攻撃したほうが、メディアの商売にはプラスに働くカラタチが悪い。 オキシトシンを出す方法は何も恋愛関係や親密な関係だけから得られるものではもちろんない。知り合いや、知り合いじゃなくても、立ち寄ったお店の人とのちょっとした雑談でも起きる。オキシトシンを出すのは、もちろんキスやハグがいちばんよく知られているところが、そうしたことができない場合は、カラオケ、会話、料理を作って振る舞う、プレゼントを贈る、(同性でも)ふれあう、みんなで食事をする、でもいい。 残念ながらコロナでやりにくいかもしれないけれども、距離を保ったり、お互いの飛沫が飛ばない工夫をすればできるだろう。 結婚と家事育児はいつだって我慢と忍耐の連続で、隙あらば相手に家事なり支払などの責任を押しつけられないか、とか、こどもはさっさと勉強して独立してもらいたいとか、自分がどうのと言うより、家族成員にどうしてもらいたいのか、ということに視点が行きがちだが、これは本人の問題と言うより、結局政府が金をケチりすぎて家計にカネが落ちないような経済政策が長く続いてきたからだ。 どうしてそういう経済政策になるのかというのは、この動画を見よう。 内容を一言で言うと、財務官僚の出世欲で日本は動いている。緊縮財政をとって、国債発行を減らせば出世出来るようになっている。政治家も、反緊縮で、家計にカネを配れというと、財務官僚から都合の悪いネタをマスコミにリーク(たとえば消費税増税を延期した安倍政権の森友問題)されることを恐れてできない。 結局、財務官僚、政治家、アメリカだけでグルグル回っていて、肝心の国民

安倍首相がベーシックインカム導入の地ならしを果たしたことを評価

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  いろいろと批判があり、辞任を求める声も多かった安倍総理大臣だが、私は一定の評価をしている。評価というか、解釈というか。 まず私の立場を明らかにしたいが、サヨクの家に生まれつき、それなりの身分の再生産も享受してきたが、中年期になり子育て育児も経験して思ったのは、結局再分配制度が上手くいっていないので貧困に陥ると本当に悲惨だし、また格差をもたらすのは資本主義経済に原因がある。だからベーシックインカムを導入するほかはもう選択肢はないというのが結論だ。 そして安倍総理という人は、外観上結局MMT的な反緊縮財政で、ベーシックインカムのもとになる「お金」は、日銀に刷らせりゃいいというそういうコンセンサスを確立した。もちろん彼はベーシックインカムのために刷らせたわけではないが、その地ならしをした。つまり、カネがなければ政府が「しっかり」対応する、そのしっかりの意味は日銀にお金を刷ってもらう、チャン、チャン、というわけである。 この評価では右翼とか左翼とか保守革新とかは関係なくなる。だからまあ、左翼的な?私もこういうポジティブ評価になる(後で掲げる本の影響もある)。安倍総理はいろんな事情、特に選挙対策の必要から保守的なことばかり言ってきたけれども、ほぼ実行していない。実行したのはむしろ社会主義的な政策だったり、それどころか計画経済的なことすらやってきた。具体的には、国債を日銀に買い取らせる(本当は銀行が日銀に国債を売る)ことによりお金の総量を増やした。 こういうスキームをじゃんじゃんやって、とりあえず株価を上げたり、非正規ばかりとはいえ雇用を増やしたり、富裕層の資産を猛烈に増やしてきた。さらには、外国人労働者が日本で働けるようにするあれこれの施策を、これは経済界からの熱望にこたえるかたちでやってきた。 つまり、資本主義のいまのスキームのまま、やれることをそこそこやって経済成長のために働いたととりあえずいえる。日銀の副総裁は、金融政策面で、財政政策をしっかり支えていくと言った。これ日銀は政府のやることはどんどん応援するよって言っているのと変わらない。具体的には、政府が金を刷れと言えば、ハイ刷りますと。そういう意味である。 こういう道筋、つまりお金は必要ならあるんだよということを明らかにしたのが安倍総理の最大の功績といえる。株価のため。コロナのため。地方のため。(投票してくれる)高

コロナがベーシックインカム導入機運を加速させている

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最近、私がこの10年ほどこのブログで言い続けているベーシックインカムについて、そろそろもうこれ本気で実現させたほうがいいんじゃね?という気運が世界各地で盛り上がっている。 たとえば、フランシスコ教皇(ローマ法王)は2020.4.12、復活祭の日の講演で、「主立った社会運動や組織の兄弟姉妹たちへ」という書簡を発表。その中で教皇は、「今こそ、ユニバーサルベーシックインカムを検討すべき時かもしれません。これは、『権利のない労働者など存在しない』という人間的でキリスト教的な理想を現実のものにすることでもあります」とのべたらしい。 また、フィンランドやドイツで、小規模ながら実際に定額を給付する実証実験を始めている。 世界銀行はExploring Universal Basic Incomeというリポートを発表した( ダウンロードできる )。 国連開発計画(UNDP)は臨時的なベーシックインカムの導入で、コロナの世界的拡大を防げるのではないかと 提言 している。 私が読んできたいろんな経済学者や文明思想家、歴史家からは、必ず最後に、ベーシックインカム始めろと言ってる。 あたりまえだ。資本主義は格差を拡大するばかりで、もはや底辺に置いてけぼりを食った人たちはいわば衣食足りなくて礼節知らずになってる。 先進国で起こっている、解決が急がれる社会問題、例えば黒人差別、移民排斥、日本ではコロナ自粛警察、あおり運転、児童虐待、あとはまあ少子化とかうつ病や自殺の増加、少子化、生涯未婚率の上昇など。こういうのは要は金があればある程度何とかなる気がしているが、その根拠は昔から言われている「衣食足りて礼節を知る」だ。 心に余裕がないと何やっても社会はだんだん壊れていくに決まってる。その余裕は最低限度の収入、これを統治権力(国家)が担保してやらないといけない。 財源が心配な人たちには、私はいくらでも説明してあげることができる(膨大な関連書籍を読んでるので)。もちろん、時間がない人には短く説明もできる。 近所の管理物件の壁に、ベーシックインカムとだけ書いたイメージ広告を掲出した。ベーシックインカムなんて言葉も知らないほとんどの人たちに、まずは身近に目に触れてもらって、良いイメージを持ってもらうことから始めている。ザイアンス効果ってやつだね。 じつは、政治家の中にはベーシックインカムやれって言っている人

誰かの借金は誰かの資産 日本銀行と私たちの家計

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 今日は時間がないので。さらっと。 いつものように私は大好きな安富さんの動画を見ていてびっくりした。ブログでわたしが標榜してきた、こども産んだらひとり三千万円配れという、私の訴えtと同じ主張を、安富さんもこの動画で言っていた。 この動画を一言でいえば、日銀はここ十年ほどのあいだ、お金を爆刷りして老人の面倒を見ている。ついでにアメリカに「上納」金も払って、平和を金で買っている。 過去9年ほどのあいだにだいたい600兆円くらい日銀は資産を増やしたが、その資産の中身は、市中銀行から買った日本国債(債権)である。それらのうち300兆円くらいが日本の社会保障、もちろんそれは高齢者向けの年金と医療費である。また、100兆円はアメリカ国債を買った。 残りはいろいろあるが動画を見てほしい。 わたしがうすうす気がついていたことだけれども、こどもや若者にお金がぜんぜん行かない社会である。 で、 日本経済のあたらしい見方 、という本を読むと分かるが、高齢者は将来が不安だから金を貯金に回すし、またもっと悪いことに、最近は企業も金を貯め込んでる(企業貯蓄)。 いくら日銀がお金を刷っても、金は使われずに貯め込まれれば、経済が回るはずがない。構造的にデフレだったが、ここのところアベノミクスで、ちょっとずつカネが回るようになっては来ていたらしい(大方の見方と異なるかも知らんが、この本によればそうである、ただし消費税増税前まで)。 しかしここに来て、消費増税とコロナのせいで、決定的にヤバい局面になった。デフレの断崖絶壁の背中を押されて落っこちそうだが、それでも日銀が必死こいて株や社債を買い支えている。 若者のあいだに最近人気の動画カテゴリーで、軽トラックの後ろに自分たちで小さい箱を乗せて、車中泊しながら全国を旅するというのがあった(いまはチャンネル登録者数を維持するために、旅は自粛しないと「炎上」してせっかくの収益の元を失いかねないので、旅行系のユーチューバーは困っている)。 フーコー入門(筑摩新書)を読むまでもなく、ユーチューバーのような人気稼業はじつに空虚で問題の解決にまったくならない。むしろ異常に道徳やモラルで自分をがんじがらめにしなければ、たちまちひがみや羨望からくる攻撃で視聴者を失うという恐怖が彼らの日常を満たしているように見える。 それはそうと、ドイツがこのほど、非常に少ない人数ではある

日本のあたらしい分断、それは緊縮か、反緊縮か?

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何を隠そう私もこのブログで、10年以上前はよく言ったものである。「今や日本の国と地方の借金は1000兆円を超える。一人あたりうん百万だ、たいへんださあどうする!」みたな。つまり私も昔は緊縮財政派だった。 しかし日本の借金がたいへんだからどうのこうのという理屈は残念ながら、政府の借金と家計の借金を混同するという、経済学の基礎の基礎に盲目だったわたしが財務省のプロパガンダに完全にやられていたことの証だった。 今はもちろん、大西つねきさんとかの動画を見たり、あるいは本を読んだりして、政府の借金が莫大だから増税したり支出を切り詰めるべきだ!公務員を減らすべきだ!消費税を増税すべきだ!というのがすべて完全に誤ったことであるかを知っている。 日銀と、財務省は違う。財務省はさておき、日銀は分かっている。この動画は最近の副総裁の記者会見の模様だが、日銀が国債を引き受けたり株を買ったりして大丈夫かという記者の質問に「逆に何が問題なのか?いくらまで、いつまでそうするとどうなるのか?」と逆質問でカワしている。 結局、今、緊縮を唱えて国民をどんどん死に追いやっているのは、財務省、政府、一部の間違った政治家、あと御用学者、メディアのほとんどとなっている。つまり、多数派が、間違った政策=緊縮政策を全力で支持しているのである。 こうなると、この国はもはや集団自殺しか待ち受けない新興宗教にヤラれた船長が率いるタイタニックのような難破船で右往左往している様にしか見えない。本当に恐怖しかない。 ただ、この動画見ると分かるが、少なからぬ反緊縮派の人々が、何とかしろと騒ぎ出している。書籍では何年も前からあったが、今やSNSや動画で、反緊縮の勢いは増す一方だ。 若い人がネットを中心に、反緊縮の運動に次々立ち上がっているのはいいんだけれども、何しろ社会の世論を構成するマスメディアや、今の政府与党が反緊縮なのでまだまだ多勢に無勢である。 この動画で三橋さんらにこてんぱんにやっつけられてぐうの音も出なくなっているかわいそうなおじいちゃん(佐々木中央大学名誉教授・行政学)が、じつは世間では圧倒的多数派なのである。 この動画で三橋さんが言っていることは別に想いとか願い、妄想ではなく、日銀や政府が発表している統計情報に基づいたデータである。そういうデータに盲目になり、一般の多数派の人たち(数年前までの私も含めた)は自分

経営している学習塾の最後のひとりがやめる

 2017年からやっている学習塾事業の最後のひとりがたったいま退会してしまった。 さっそく秋に向けて集客プランを練らなければならないがそれはそうと、保護者が塾を辞めさせる理由をここで整理したい。 おおむね、退会の動機で大きなものを3つあげると次の通りとなる。 成績が上がらない 他にやることがある(学校の課題や部活動) 単に他の塾に移りたい(友達の多くが行っている等) 2と3は塾は対策の取りようがないので仕方ないとして、問題は、成績が上がらない生徒をいかにどうすべきかだろう。 ここで参考になるのは人間の動機についての過去の学術知見である。特に筆者の専門である哲学からは、人間の動機で最大のものはなんといっても「死の恐怖からの逃亡」であろう。人が最大のエネルギーを発揮して行動するのは死にそうになった場合に生きるための諸行動である。睡眠、排泄、食事、ここから始まり、安全、承認、自己実現へと続いていく(マズロー)。 先進国で生きる我々現代人の生活において、最大のモティベーションの源泉である「死への恐怖」はすっかり洗浄されて隠蔽されている。家庭内での生活の諸場面ではもとより、都市においてもジェントリフィケーションが進み、死とは無縁の毎日を送ることができる。 法哲学的にも公衆衛生や平和、人権尊重などの概念が立法によってあるいは国際間の条約によって隅々にまで行き渡っている。このことがいっそう死の恐怖を見えにくくしている。もちろん、まさに人類文明の進歩の最も本質的な果実といえるので、筆者は否定しないのは言うまでもない。 ところが、相変わらず生き物としての人間がやる気を出す発火装置として最も依存しているのは、死の回避である。だとすると、現代人はやる気を出す最大の燃料をすっかり喪失している社会で生きていることになる。 こうしたことから、成績を上げようという動機がない子供に勉強させて成績向上させるのは、私が経営するような吹けば飛ぶような一私塾にはあまりにも荷が重いといわざるを得ない。というか、これまで述べてきたとおり、それは実質的には不可能なのである。 残念ながら、子供を塾に入れる理由を「成績を上げたい」と漠然と捉えている人が多いが、塾で「成績を上げる」ことを目的としてうたうことはまさしく誇大宣伝だし、成績を上げること自体がそもそもできない(成績を上げるのは子供と学校の問題で塾は関係ない。