シャドウワークが消えたから請求しようそうしよう!

昨日も書いたが、仕事や消費支出は、与えられた時間や予算枠をめいっぱい使い切るまで、膨張するというパーキンソンの法則。

今日本の男性は、かつてなく妻にも働いてもらいたいと熱望している。

  • 低下し続ける実質手取り賃金
  • 本当は子どもや妻と時間を過ごしたい欲求
しかし、妻は妻で、昔ながらの安定のジェンダー役割である「家事育児」をやるのにいっぱいいっぱいで、とうてい外に働きに出るなどあり得ないというのが本音である。

仕事は、定時とか、時給とか、給料とか、いろいろな「枠」があるので、パーキンソンの法則が働いたとしても膨張にも限りがある。しかし、家事はどうだろう。朝起きて、旦那が会社に出かけ、子どもも学校に出したあとは、時間は無尽蔵だ。上司もいなければ、労働時間を記した雇用契約書もない。納品のための仕様書もない。つまりパーキンソンの法則に従えば、無限にやることが湧いて出てくる事態。それが家事育児である。

テキトーに済ますことができないのである。

そういう状況のなかで、夫から、妻も働くよう期待されたら妻はどうなるか。ほとんどの場合、幸福度が低下し、イライラが募り、場合によっては鬱病に罹患するかもしれない。なぜならすでに家事育児担当者はパーキンソンの法則によりタスクが寝る時間以外のすべての時間を覆うまでに膨張しており、外で働く余地は一ミリものこされていないからである。そこを無理に働けば、不全感が募って前述の通り不幸になり病を罹患することになる。

心療内科で、ここ数年激増している疾患がある。もちろんそれは鬱病である。これは、別に絶対数が増えたのではなく、受診する人が増えたということらしい。昔から人口の一定数、鬱病はいたが、近年の傾向として、心療内科の敷居が下がり、昔は病院に行かなかった一も、気軽に受診するようになった。鬱病治療薬を売りたい製薬メーカーのプロパガンダが奏功している証だ。まあそれはいいや。

いいたいことは結局、人間にとって、そもそも家事育児と仕事の両立というのは本性に反する無理ゲーだということである。もう絶対に無理な話で、それを無理矢理やらせても医者がよいが増えるばかりで社会全体にとって一ミリもプラスにならない。

なぜなら子どもは、家に帰っても自分でカギを開けて親の帰りを待つライフスタイルになる。これ絶対によくないだろう。どんなことよりもこれはよくない。子どもに話しかけたり、やるべきことがあるならサポートしたり、飲み物をあげたりして世話をすることは意外にも重要だ。

安富さんが言っているとおりこども中心の、子どもを守る社会にすること以外に、この国の、あるいは人類の未来はないというのが私の結論である。

そもそも「一家の大黒柱」で夫は外で働き、妻は家出家事育児、しかし夫の大黒柱が竹籤並みに細くなってポキッと折れるようになったので妻も働いてくれっていうのはこれは繰り返すがまったくもっていかなる合理的な説得力もなければ、法的な妥当性もないし、不当そのものの要求である。それ以前に、人間の本性に完全に反している。

少し歴史をさかのぼってその人間の本性とやらにあたってみたい。それはI・イリイチという思想家が「シャドウワーク」に書いている。フランス革命のあとに、そこらへんにあふれていた乞食とか無法者、流浪人たち。教会や貴族は、彼らがたびたび反乱を起こしたりして治安を乱すのにうんざりしていた。ところがあるときから彼らは、従順なる「市民」へと変貌する。きっかけは女性が家事育児、イリイチのいう「シャドウワーク」(賃労働とセットになった妻の活動、労働の陰の部分)をもっぱら担うようになった。男は必然的に外で働くようになる。つまりここではじめて賃労働が成立した。乞食から賃労働者に進化するには、妻のシャドウワークが必須条件だった。家事育児をする妻を家に持つことが男性の自己承認欲求をみたした。家に帰れば妻や子が愛情いっぱいに待っていてくれる。だからこそ彼らは乞食なんかやめて外で働くことにした。乞食や無法者仲間に、賃労働でじぶんが支える妻子を自慢することができた。乞食だった男は持ち物としての妻子を維持するため脇目も振らず賃労働に没頭した。こうして300年が経った。人から施しを受けてかたちだけ神様にお祈りしているだけだった人々はこのように賃金労働者へと「進化」したのである。

さて今起きていることはじゃあなにか。賃労働の賃が少なすぎて、乞食に戻らないといけない事態である。さすがに憲法で生存権を国民に約束しているので、国は乞食がいるなら彼らに給付をしなければならない。しかし国つまり資本主義のなかで銭ゲバと化した国家はそういう、自分たちの懐が痛むような不都合真実はなるべく隠蔽し、カネがないなら妻に働いてもらえばいいジャンカと言い出した。ズバリ女性活躍をうたう政府のねらいはそういう事態である。

ほとんどの現代の賃労働者は、国のいうとおり、女性に活躍してもらうなどという安っぽい政府のプロパガンダを鵜呑みにして妻にそう、働きかけるしかなかった。しかし、人類の1万年近いアニマルスピリットに、そんな屁理屈が通用するはずもないのである。

それ以前に、まず賃労働が低くて妻子を養えない(繰り返すが、妻子は夫の収入が低い場合は働く必要はまったくないし、そんなことをしても心身を壊すだけで不幸になる)夫、及びその妻は、ただちに憲法25条に基づく請求を、国に対し始めるべきである。それは権利であるし、もはや文明にとっては義務ですらある。あなたが楽をするための請求ではない。それは、次世代を生きる人たちの人権のための「仕事」であり「義務」である。次世代が幸せに生きることができる社会を作ることこそがわたしとあなたに課せられたミッションであり、それは当面、「(国にカネを)請求する」ということになる。

残念ながらこうした真実の文明人の仕事は政府のプロパガンダのせいでまったく知られずに済んでしまっている。その結果、ほとんどの賃労働者は、単に昔の乞食、流浪の民、無法者、略奪市民に戻るしかなくなっている。特に妻子のタガがない単身者は危険だ。彼らがもし歴史にも法律にも関心も知識もないのなら、なんのために何をして生きたらいいのかがまったく分からないだろう。当たり前だ。300年前っていったって、サピエンス4万年の全史からみれば、それは昨日のようなことである(1万年前のサピエンスに今と同じ教育を施せば、もちろんスマホも操作すればブランド品も欲するようになることはすでに証明されている)。妻子もなければ歴史的教養もないサル同然のサピエンスにとって、妻子がいないのに賃労働なんてアプリは入ってイヤしない。思想や歴史教養という追加アプリをインストールできたサピエンスは別として、ほとんどのサピエンスのOSには乞食アプリしか標準で入っていないのである。つまり妻子のシャドウワークで押さえ込まれてきた乞食アプリが全力で動き出すことになる。

たまたま、資本主義が隆盛を帯びてはいる。資本主義は、富の偏在を加速させてきたし、そもそもフロンティアが消滅して人口も減ったので、賞味期限切れだ。次の制度をどうするかを決めるのは誰か。私たち民主主義という武器を手にしている当事者ひとりひとりである。300年前の乞食とは、そこが違う。さあ、投票に行こう。歴史の知識を皆さんは手にすることができた。もはや限界である。乞食に戻るのか。それとも、賃労働以外の方法で妻子、妻子に変わるなにかを獲得することができるのか。

それがすべての次の選挙で問われている、唯一のアジェンダであると私は考えている。

過去の偉大な思想家は、思想の歴史を知らぬものが、今精神的な解放を得ることは不可能だと言っている。歴史を知らず、現代にしか目を向けない人は、盲目的な保守主義者である。歴史を知るものだけが、本当に進歩的といえる。今、太陽の下に、新しいものは何もないと聖書にも書いてある。

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