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日本はこうして終わる【2020年最新】

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ベーシックインカムの必要を10年以上前から訴えてきたこのブログだが、ベーシックインカムをすっ飛ばして今回の新型肺炎で一気に国の終わりが視野に入ってきた。

輸出産業依存型経済の終わり観光や不動産開発も限界官僚機構の腐敗高齢者激増自然災害からの局所的品不足やインフレ 経済成長のエンジンである産業が軒並み陳腐化し、政府による株の買い支えや、人件費圧縮や自社株買いによる応急措置も限界に。

私たちが目にしているのは、日本という一国に限ったことでは、もちろんない。株式を発行して事業を展開し、付加価値を生み出して雇用も創出するという資本主義の持続成長のための機構が、たったひとつの決定的な要因、これはもう300年以上前から分かっていたことだが、マルクスが指摘して、それはつまり「フロンティアの消滅」により、決定的に終わった。

フロンティアはしかし、消費者が増えていればかろうじて先延ばしにできたものである。ところが、どういうわけか先進各国は全部一律、少子化した。人口減少である。

このあと日本、驚くべきことに基軸通貨国でもあるわが国が(そこは祖先に感謝)、どういうふうに終わっていくのか。それは資本主義の終わりと重なる。

私は、次のようなありがちな見立てはしない。たとえば、円安になってエネルギーや食料が買えなくなるとか。それはあり得ない。インフレもいわゆる全部の物が高くなるということはなく、今回のマスクや炭水化物、ペーパー類の買い占めのような局所的な供給不足が生じる。これは極めて不快だ。平常時はこういうのはいいが、資本主義の自由経済の場合、買い占めに無力である。基本的な日常生活に必要なもの(あまり加工されていない食料品やペーパー類、消毒薬、生理用品等)は平常時に無償で配布する体勢にすることが重要だ。

今私たちの前で、金融経済が何度目かのバブルの崩壊を迎えている。大量に刷られたマネーはしかし、インフレをもたらすことなくいかにしてしぼむことができる? 最大のテーマは、もうこのバカげた繰り返し(バブルの生成と破裂)に終止符を打つべく、私たち人類は知性を総動員して活動をはじめなければならないと言うことだ。いい加減、学ぼうよと言うこと。

大量のマネーは、今度こそ行き先を決めるべきだろう。それはどこか?

もちろん、うちらに配れってこと。実体経済の担い手であるわたしたち世界の99パーセントを占める中間層…

同じことは繰り返し出来ない

同じことは繰り返し出来ない。勉強、仕事、家事。

結構器用だから、なにかに取り組むとまあ、そこそこできるようにはなる。しかし同時につまらなくなる。

すっかりつまらなくなったものをしかし、やらないと生きていけない。それは生きているといえるかというと、たぶん違う。そうしたことを無理矢理やっている時間は、「死」んだ時間だと思う。生きたいという気持ちを押し殺して目の前のルーティンに向き合わなければならない。

テレビでは必ず、短い時間にまとめて視聴者に伝えるために、「一言でいうと」「要するに」「つまり」という。

私の病状は一言では言わないし、要しないし、つまらない。

訪ねてくる人だけがどうやら有効な薬になっている気がする。それは子どもでもそう。家族がいて、店があって本当によかった。

私はADHD。コンサータを飲んでます。

テレビで、こういう人が出ていた。

高校を卒業して、新宿紀伊國屋書店を皮切りに、以来11の職を転々とし、37年前に限界集落の古民家に移住。以来たったひとりでそこでだいたい自給自足で暮らしている。

彼は木を削って漆を塗って器を作って売って生計を立てている。年間50万円程度。だが生活費は月に3万未満なのでだいたい何とかなるという。

彼は、自分は器用じゃないから、器を作ることしか続けられないと言っていた。他の人は、もっと器用だから、逆にいろいろなことができてしまう。そうするとひとつのことを続けるのではなくて、いろんな新しいことに手を出してしまう。でも自分はそうではないと。不器用だから、ひとつのこと(器作り)しかできないと。

この彼なりの「論評」というのがいかにも病的だ。

たんにADHDなのである、彼も。そして、彼は器用だから、めちゃくちゃ不便な限界集落暮らしを37年も続けられる。彼にとっての器用と、世間一般の器用がずれにずれている。

私が最近注目しているのは、「作業」という人間の営み。

彼が漆塗りの器を作るのも作業だし、私があれこれDIYで作るのももちろん作業だ。ただ、私がパン屋のために準備したり、掃除したり洗い物したりするのは、はたして作業なんだろうか? 違うと思う。なぜならば、それらは、DIYと違って、作業行為の結果が私ではなくて、私の作業の先にある機械によって左右されるからだ。

たとえばパン屋はオーブンに入れる。掃除は掃除機。洗い物は食器洗い機。それに、毎日毎…

身近に死にたいという人がいるなら

私は知り合いから死にたいっていわれることがわりとある(たぶん暇人だと思われている?)と思っているが、その都度、自分はその人に対して何もできないということを知るばかりであった。

憚りながらいうと私自身は、生きる意味なんてないって信じてる。そのときそのときで楽しくやり過ごして、せっかくの人生いろいろみてやろうくらいの気持ちなので。大学で哲学を勉強した私からしてこうなんだから、気力を失った鬱病の人に生きる意味なんて…説明できるわけがないし。

気をつけなければならないのは、生きる意味がないからじゃあ死んでいいかっていうとそれは違うってことだろう。そこをいかに説明するかがこれまたむずかしい。生きる意味がないが、死なないで生きるにはどうしたらいいかっていうと、じつはこれは方法がある。金もかからないし、カウンセラーや精神科医も要らない。なにか。歩くこと。

端的に言うと、どんな人でも「行動する」ってことがその死にたいっていう原因の感情を薄めることにけっこう役立つ。散歩はもとより、ちょっとした作業が生きる時間を埋めてくれる。

たとえばこのリンクを読んでみてください。重度の鬱病を患ったが、作業を通じて回復していくリアルドキュメンタリーとなっています。こういうのを読むと作業療法士資格を取りたくなるんだよ。

生きる意味ってありますか? Quora

さて、身近に死にたいという人がいるなら、私と話をしに来ませんか。というか、話しなんてしないでいい、ただ歩くだけでいいです。私はガイドヘルパーという、行動や散歩のプロなんです。本来は身体障がい、知的障がい、精神障がいや発達障害で自立支援医療(精神通院等)の人が外出して余暇を楽しむときに同行する福祉の仕事だが、黙々と歩くだけでなんでこんなにすばらしいのやら。きちんと法律もあって、報酬も払われる、これは国家予算からの仕事です。だからバカにできない。

インクジェットプリンターの買い方

最初は安いが、あとですごく損した気持ちになって、結局心理的コストがバカ高くなった事例。

エプソンの、エコタンクという、非常に印刷単価が安いのだが、2年程度、つまりメーカー保証の1年を過ぎたあたりから、必ずと言っていいほど紙に汚れが付くようになる。

エプソンに修理申込みすると、1万円台後半から2万円台中頃までの修理代金がかかる。その修理後は、3ヶ月程度で、またもし、症状が出たら再びそれくらいの修理代金がかかりうる。

買ったときはまあ、1枚2円とか、ものすごく安くカラー印刷できるとよろこび、またAmazonなどで買えば相当本体も安い。

だから買うわけだが、このようにかなり時間が経ってからふと壊れて、修理費用がバカ高いのは悲しい。

もちろん、メーカーは延長補償プランを販売時に買えるよう用意している。正直、最も長いプランに、購入時に加入するのはこれは必須だと思う。

ただ、このプランの契約書をよく読む必要がある。何が書いてあるかというと、せっかくそうしたプラン(たいてい2万近くする)に入っても、途中で、純正インク以外のインクを使ったら、延長保証契約はパーになると言うことだ。

つまり安いからと調子に乗って、非純正インクを使い、壊れて、延長補償プランに申し込んでも、修理費用は実費になる。

買うときだけは安いが、補償プランにも入らない、非純正インクを使うなどの使い方をしていると、結局新しいものを買い換えた方が安いということになる。ただ、新しいものを買い換えるったって、最悪一年しか使えないような事態になると、当初の導入の動機だった、一枚あたりの印刷コストで割り戻すと、結局むちゃくちゃ高いということになりかねない。

しかもプリンターの中には、自治体に粗大ゴミとして出せない機種もある。ビジネスプリンターのカテゴリのものは、基本的には家庭ゴミではない。したがって自治体は粗大ゴミとしては引き取ってもらえない。

泣きっ面に蜂とはこのことで、じゃあ、産業廃棄物としてプリンターを出すとして、いくらくらいかかるのか。役所に紹介してもらった業者をみると、5000円程度は最低はかかる。

壊れたから捨てて、新しい物を買っても、結局高く付く。こうなると結論としては、インクジェットプリンターはもう買わないということ以外にない。レーザープリンターでいいだろう。レーザープリンターはインクジェットプリンターと較べ…

貸付金じゃなくて所得とみなされる恐怖

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竹花さんは、SNSマーケティングで大成功し、複数の企業を複数の国で運営して財をなしました。ある海外の自分の法人、ただしその法人の株主はこの人だけです。つまり、この人が、会社のカネを右へと言えば、会社は右へ移すし、左へと言えば左に移す。会社のカネは100%、社長個人の裁量でなんとでも処分できるわけです。つまり、会社のカネ=社長個人のカネというふうに、第三者からは見えるわけです。で、社長は、会社のカネ100億円を社長個人の口座に、貸付金として(「所得ではなく」)振り込ませて、その100億をプライベートバンカーに運用させ、5%の運用益つまり5億円を得ました。
 この社長個人がたまたま、そのときに住んでいた自治体の区民税課は社長に電話して、住民税を払えと言いました。5%の運用益に対して課税したいというわけです。
 社長は、住民票を置いていない、だから自分は保育園にも子供をあずけられないし、子ども手当ももらっていない。だから住民税は払いませんと言いました。
 それが通るか通らないか。彼にしてみたらじつはそれは小さな話だったのです。
 社長が最もビビったのは、100億円という貸付金のことを、国が所得じゃね?それ?とツッコんでくるのではないかという部分です。
 所得になると、5%の運用益の5億円がどうのこうのという話は吹き飛びます。一気に、国が狙っている本丸が5億が100億になります。
 私が注目したのは、彼が、自分は海外の法人については会計事務所が。自分の個人の所得については税務署がしっかり顧問契約で付いている。弁護士もいる。そして、毎月国税局へ弁護士会計士らと行って、議事録も取って、自分の取引について共有している。にもかかわらず、彼らは、「分かりません」としか言わなかったという部分です。
 つまり、税務署はもちろん、カネのにおいのするところをめざとくかぎつけて、そして法律も規則も通達も思うままに駆使して、いちばん金を取れるだけ取っていくのが本性なのですが、そのやり口に、顧問料を払っている税理士も弁護士も、なんの役にも立たない、せいぜい心理的なお守り程度にしかならないというところではなかろうかと思います。
 彼はあまりに国は恣意的、つまり気分次第で国民の財産を蹂躙していると怒っています。この怒りはもっともな怒りでしょう。ただ資産が100億とか普通はない一般市民からすると共感…

意欲格差、孤独、階層

決算が終わった。毎年あるこのルーティンワーク。取り組めば終わるし、どのくらいで終わるかもわかる。結果も大体わかる。ただ言えるのは、まったく面白くないし、繰り返してなにかに熟達したり到達したり解脱したりといったカタルシスは全くない。救いは、終わるということだ。そして、終わった。今年も終わった。もちろん数か月後にはまたやってくるのだがそれまでのあいだは決算のことは考えないで暮らしていける。自由がそこにある。
今の社会には意欲格差というのがあると思う。東大に受かる3000人のうち800人は10高から行っている。つまりそういう高校の生徒は、友達がいるから頑張れる。友達は意欲を高めあう。人は環境に弱い。全くその通りだと思う。
ネットやスマホでいくらでも廉価に勉強の材料は手に入る。キュビナもそうだった。最高の教材がある。でもやらないのはなぜか。意欲がわかない。なぜわかないか。たった一人でやるからだ。
コロナウィルスで小中は家にいることになった。そしてオンライン教材を提供する民間企業が相次いで無償でアカウントを開放した。しかしそんなのは全く意味がないと思う。むしろ、ネットですでにハイレベルの、意欲を高めあえる友達環境を手にしている生徒たちと、そうではない生徒の差を広げることになるだろう。無償で提供すべきなのは、そういう環境のほうではなかろうか?
東大につながる高校へ入るには中学受験からのスタートになる。中学受験合格のためには、小4から塾に通う。熾烈な競争。しかし、階層構造の再生産のために親は必死だ。学歴を媒介にする地位の再生産がおこなわれている。これではほかの国民は無気力になる一方だろう。何か別の幸福、幸せをとりもドダなければだめだろう。彼らと競争を始めて何かメリットがあるんだろうか。意欲がわけばなんでもいいと思う。死にたいとか、孤独でひきこもるとか、そういうことだけは避けなければならない。そこからしか始められないし、それしかできない。
階層構造の再生産に参戦してもすべての親子がそれに成功しない。そういう競争には参戦したが、敗退して、それでも自分にとって居心地の良い場所を手にすることが全くできないかというと、そうでもないと思う。そこがこの社会の少しばかりの救いだろう。そのような、小さな場所――つまり大きな物語に包摂される機会を手にできなかった人たちが、思い思いに幸せな人生を享受…