意欲格差、孤独、階層

決算が終わった。毎年あるこのルーティンワーク。取り組めば終わるし、どのくらいで終わるかもわかる。結果も大体わかる。ただ言えるのは、まったく面白くないし、繰り返してなにかに熟達したり到達したり解脱したりといったカタルシスは全くない。救いは、終わるということだ。そして、終わった。今年も終わった。もちろん数か月後にはまたやってくるのだがそれまでのあいだは決算のことは考えないで暮らしていける。自由がそこにある。
今の社会には意欲格差というのがあると思う。東大に受かる3000人のうち800人は10高から行っている。つまりそういう高校の生徒は、友達がいるから頑張れる。友達は意欲を高めあう。人は環境に弱い。全くその通りだと思う。
ネットやスマホでいくらでも廉価に勉強の材料は手に入る。キュビナもそうだった。最高の教材がある。でもやらないのはなぜか。意欲がわかない。なぜわかないか。たった一人でやるからだ。
コロナウィルスで小中は家にいることになった。そしてオンライン教材を提供する民間企業が相次いで無償でアカウントを開放した。しかしそんなのは全く意味がないと思う。むしろ、ネットですでにハイレベルの、意欲を高めあえる友達環境を手にしている生徒たちと、そうではない生徒の差を広げることになるだろう。無償で提供すべきなのは、そういう環境のほうではなかろうか?
東大につながる高校へ入るには中学受験からのスタートになる。中学受験合格のためには、小4から塾に通う。熾烈な競争。しかし、階層構造の再生産のために親は必死だ。学歴を媒介にする地位の再生産がおこなわれている。これではほかの国民は無気力になる一方だろう。何か別の幸福、幸せをとりもドダなければだめだろう。彼らと競争を始めて何かメリットがあるんだろうか。意欲がわけばなんでもいいと思う。死にたいとか、孤独でひきこもるとか、そういうことだけは避けなければならない。そこからしか始められないし、それしかできない。
階層構造の再生産に参戦してもすべての親子がそれに成功しない。そういう競争には参戦したが、敗退して、それでも自分にとって居心地の良い場所を手にすることが全くできないかというと、そうでもないと思う。そこがこの社会の少しばかりの救いだろう。そのような、小さな場所――つまり大きな物語に包摂される機会を手にできなかった人たちが、思い思いに幸せな人生を享受できる場所を作っていきたい。そしてそういう場所があるんだということをひろく伝えていきたい。その方法は何だろうか。やっぱりユーチューブなのだろう。
孤独はダメだと思う。すべてのダメは孤独から始まると思う。食事、排せつ、睡眠、医療、住居、日用品、ぜいたく品などほかのいろんなものが充足しても、結局孤独の問題を何とかしないと、悲しい結末から完全に逃れることはできないだろう。

YouTubeで人気のカテゴリーに、ガジェットとか、旅もの、ソロキャンプ、車中泊といったものがある。これらはそもそも一人で楽しむ趣味だったろう。しかし、彼らはあえてその行為を撮影し、撮影の何倍もの時間をかけて編集し、公開する。そして、つまらないITガジェットを開封して動かし始めるささやかな日常の一シーン、消費行動のワンパターンを公開した後、視聴者にお礼をする。「ご視聴ありがとうございました」 結局それって何かっていうと孤独をみんなでやり過ごしているんだろう。ユーチューバーも孤独なら、それを見る視聴者もまた孤独であるが、少なくともその動画を見ている間は一人ではなくなる。

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