認知行動療法とよりそう会議

 2000年代はじめころから20年近く、家事育児に従事しています。単純で退屈な仕事を続けるのが苦手なADHDの私にとって、毎日続く家事育児から受けるのストレスは人一倍大きなものでした。たとえば子供が何かをこぼします。床を拭かなければなりません。そのときに自動的に頭に浮かぶのはどんな言葉でしょうか?
「私の貴重な時間がまたこうして失われた」
「何やってるんだろ。僕? ほかの同世代の男性は真っ昼間にこうやって床に跪いて汚物を拭いているんだろうか? ありえない。空調のきいたオフィスでスーツを着てそれで私の何倍もお金を稼いでいる」とかです。
 それで、イライラして、子供にきつい言葉をかけてしまったり、いわゆる「キレた」状態になったりすることもあったでしょう。
 さて、認知行動療法では、こうした自動的な思いとそれへの脊髄反射が出る前に、そうした反応以外の反応をとるように心がけます。心がけるというか、そういう反応にならないようなトレーニングをするとか、とっさに切り替える工夫をするとかの表現がより正確かもしれません。
 私の場合は、長年の忍耐の結果「妄想する」ことで何とかやり過ごしてきました。どんな妄想かというと、日常の悲惨な家事育児の場面を「ネタにする」です。いい歳した大卒の男性が、真っ昼間に子供がこぼしたものをスタコラ拭いている様。あるいみ、無様。これは見ていて、ちょっとおもしろいと思うんです。他人のなんとかは蜜の味っていうじゃありませんか……。自虐妄想ですね。こんな自分をYoutubeのネタにしようと思うと、子供が床に何かこぼしたら、「こぼしてくれた、やった!」と逆にうれしくなります。当然、キレたりイライラしたりはなくなります。みんな喜んで私の動画を見てくれると思うと、ウキウキします。
 もちろん、実際その都度カメラにとって動画を編集してアップしているかというとアップはしていません、あくまで妄想ですので。しかし、実際、動画をアップすることもできるわけです。なにしろ同世代のサラリーマン男性は、家にいることができない。ということは、子供がやらかしてくれたという面白い自虐動画をとることもできない。彼らはネタに困るが、私はネタが有り余っている。これはかなり愉快なことです。
 さらに、おなじみの「ベーシックインカムしかない」というこのブログのテーマです。そもそも家事育児がつらいのは、それがまったく勤労として評価されずつまりは賃金が支払われず、単なる無意味な状態に放置されているいとなみだからです。社会は、家事育児は勤労と認めず、したがって賃金を支払わないという状態をひたすら追認し続けています。何によってか。ベーシックインカムを導入しないことによってです。不作為による追認です。
 こうした事態を変えるには、つまり社会に向けて政策的変化を起こすためには、アドボカシー活動をするほかない。それには、やはり私のように、何年も何年も家事育児をやり続けて、そして現場から声を上げ続けることが、重要だとか。そういう妄想です(泣)。いや、結婚して勝手に子供もうけてどうのこうのだろって思ったあなた!ブッブー、それこそまさに自動反射です、認知行動療法的にはそれは長期で見て必ずしもあなたにとって健全な作用とは言えませんな。
 認知行動療法ではコーピングという言葉がありまして、それは要はストレス対処策、のような意味合いです。今の話で言う、私の妄想とかそうかもしれません。何か日常、現実の場面で、ストレスを感じる状況になったらすかさずコーピングの自分の持ち駒から、その場面に合うものを選んで、自動的な反応を切り替えることができます。
 コーピングは人によって様々ですが、酒を飲むとか、クスリに手を出すとか、人をマウンティングしたりディスるとか、そういう風なネガティブな内容やリスクを伴うもの、爆買いなどコストがかかるものはいけません。
 ネットで調べるとわかるけれども、コーピングの具体例は次のようなものです。特にここでは、行動的コーピングの例を書いてみましょう。
・ぬいぐるみ遊び
・ペットとじゃれ合う
・音楽を聴く
・好物を食べる
・寝る
・アロマセラピー
・昔の写真を眺める
・好きな映画を見返す
・お茶やコーヒーを飲む
・何かに書き出す(日記、や非公開のメモなど)
 コーピングの種類は何でもいいです。すっきりすること、気分転換になることで、先ほども言った通りリスクや他人への危害を伴わないものです。
 重要なのは、コーピングの持ち駒は多いほうがいいということです。となると、この「よりそう会議」はコーピングの一つとして、取り入れない手はないと思いませんか?
 私は思います。
 いかがでしょうか?
 「よりそう会議」単体でみるとなんとも違和感があり、なじみもないかもしれません。金をとらない、単に集まって当座の目標をいいあう、何だそれ?みたいな。意味不明なんですが、認知行動療法のコーピングの一つ、と考えると、別の価値が見いだせるのではないでしょうか?
 あと、認知行動療法のアプローチのついでに申し上げると、「よりそう会議」なんて意味ないし、そんなの役に立たないって思った人がいるとしましょう。こういう反応は、とても自然な、しかしちょっと残念な「自動反応」ではないでしょうか? そうやって未知のものを切り捨てて、どうせ役に立たない、といった感じで決めつける思考回路そのもの。これがメンタルに実はかなり不健全でよいことがないので、この自動反応をちょっといったんオフにして、もしかして何か自分の生活に良い効果をもたらすかも、と思い直す。これが認知行動療法のコーピングの実践です。
 町には公民館があって、自治体が税金で運営しています。公民館便りを見ると、本当に当たり障りないような、料理だの、折り紙だの、紙芝居だの、昔工作だの、餅つきだの、そういうのばっかりです。よりそう会議を始めるまでは、こういうのは全く意味がないし、人なんて集まるんだろうか、とか、税金で無駄なことを、とか、思っていました。小学校低学年からしてもうオンラインゲームでソーシャルな付き合いが始まっているこのご時世に何だろう、公民館ってね。しかし、イギリスが「孤独担当大臣」を置く現代。家で一人でジッと過ごしているだけで、もうストレスと孤独で押しつぶされそうになる人もきっと多いんです。それに、オンラインのつながりは逆にあらたなストレスや孤独をも生み出すことが分かっています。
 そういうときに、公民館に行けば、歓迎してもらえて、他愛もないことだけどみんなでやると意外にちょっと楽しい活動に参加する。まさに立派なコーピングとして成り立っていると思います。
 よりそう会議は公民館の活動にちょっと似ていると思いました。それで、今は、コロナ対策のせいでどこも閉まっているわけです。公民館がZOOMでやるって話を聞いたことがありません(公立小中学校ですら日本はオンラインでの活動が遅れている)。よりそう会議は当面ZOOMを使います。そのためにはFBで参加表明をするなり私に連絡してほしいです。

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