日本型循環モデルの陳腐化とはびこる悪



私は東大生でも学生でも何でもないが、単に興味があって本田由紀先生の本を数冊か読んだ。

この動画を見て、すごく彼女に親近感を持った。こういう人の動画を好きだとか、言及すれば、たぶんすぐある種の何とか寄りのレッテルを貼られるということはあるかもしれないけれども、ぶっちゃけそういうレッテル貼りはレベルが低い憂さ晴らしで私には無関係だし興味もない。

続けます。

私は、この動画で言われているような、いわゆる戦後日本がそれでやってきた高度成長を支える「日本型循環モデル」の申し子のような男だった。

大学入学までは、という話だが…。

要するにそれはなにかというと、勉強しようという意欲がまったく本質的ではない。それは端的に言って身近な人へのコンプレックスを燃料とするルサンチマンだった。ひがみが勉強に向かわせた。勉強の結果約束されるのは、彼ら、彼女らを見返してやれるという、社会全体から見れば1ミリも意味のない「欲望」であった。

それで何とか合格したはいいが、就職で失敗した。それでも何とか、まあまあな東京の企業だったから、中流のサラリーマンの人生の一端を垣間見ることはできた。

ただ、さすがにそうした人生はあまりにバカげていて、あこがれを抱くことは不可能だった。

で、やめた。

その後、いろいろあって今起きている時間のほとんどを、家事育児つまり家事に費やしている。早大を出た、ホリエモンとかキムタクと同い年の中年男性が、起きているほとんどの時間を、子どもの学用品の使い走りや、食料品の買い出し、皿洗い、掃除で過ごしている。ほかにもいろいろと事業はやっているが、本田先生の動画を見れば分かるだろうけど、今中小零細企業がなにか事業をやっておいしく儲かるなどということはあり得ない。

自分の人件費はほとんど削って、かろうじて何とか仕入れた金額よりもちょっと多い現金を得る。その程度の話だ。もちろん日本の企業のほとんどがそうであるように万年赤字である。

いいたいことはなにかというと、今の諸制度はまったく希望がない。最も悲惨なのは、せっかくこのめずらしい地球という生命の星に時を同じくして生まれて、すばらしい自然や人生を謳歌できる人類にもかかわらず、同じ星で、同じ国で、同じ地域で、家族内でいがみ合わないといけなくなっている。

宇宙の歴史彼観れば本当に一瞬ではかないけれども、私たちが感じたり、見たり、考えたりできることの大きさはとてつもなく大きい。なのに、そういうことを楽しむのではなくて、私たちは明日のくらしがどうなるのか。支払ができるのか。子どもはきちんと生きていけるのか。そういう心配をしないといけない。

本当に間違っていると思う。こんな社会を、生まれてきた子供達に、このままどうぞと引き継ぐことはとうていできない。

それでこの動画だ。この動画。是非見てほしい。こんなすばらしい動画なのに、2016年に後悔されてからわずか14000回弱しか見られていない。これはメッセージの伝え方が間違っているに違いない。

社会が間違っていると訴えているこの動画。本田先生のメッセージには真実もあるし、たいへん説得力もある。間違っていない。でも伝え方が間違っている。

もっと、こういう重要な主張は、たとえば信号が赤なら止まれ、黄色は注意、青は進めというレベルの、万人が分かるやり方があるのではないか?

私はそれを考えて、動画でなにか実践してみようと今日思った。本田先生が動画で最後に言っているように、市民ひとりひとりが、社会を変えていくための活動を実践していかないといけないということだ。活動はハンナ・アーレントもやれっていっていたのを高校倫理の教科書で読んだことがある。今や、私たちは、活動のために立ち上がらなければならない。活動は、仕事や家事とは異なる性質のもので、それらとはしっかり区別される。

このブログを書く直前の私は何をしていたかを最後に書こう。子どもの体育館履きが生乾きだったので、明日の朝までに乾かすべく、乾燥機をセットしたんだ。

もし、活動するんだという決意がなければ、私はこの家事でかなり心が折れていただろう。学校で使う体育館履きを乾かすことがなんでこんなに日常のシーンで巨大化するんだろう。理由は簡単だ。私には、お金を稼いできてくれる男性配偶者もいないし、子どもに引き継がせる価値のあるようなつまり、再生産に値する社会的身分も持っていないからだ。つまり結局、出口がなく、靴を乾かすという行為が手段ではなくて目的的になってしまっている。目的である以上、それしか見えない。だから巨大化する。目の前の陳腐で、なんの価値もない(ただあした子どもは学校で快適な体育館履きを履くことはできるが、それとて感染症蔓延中の折りに、体育館に子どもを集めての始業式である、完全に意味がないどころか害悪でさえある)。

この体育館履きを乾かす家事のような巨大化した徒労すなわち悪の源泉に打ち勝つのは、活動を志すこと以外にない。一緒に活動しませんか。まあつまり、カメラを操作したり、編集したり、キャプション入れたりそういう作業を一緒にしないか、というお誘いです。

ちなみになぜ、家事とか希望のない社会における繰り返し行動が悪の源泉なのか知りたい方は、エーリッヒ・フロム『悪について』(ちくま学芸文庫)を読んでください、書いてあります。生活保護バッシングする高齢者とか、ネトウヨとかコメント荒しとか、そういうのが悪で、じゃあなぜ彼らは悪に堕したのか。すでにそのしくみがきちんと解明されています。

ただまあ、本田先生の動画でも言われているのは、そういう、ここの悪の発露にいちいち反応する段階はもう終わったと。もはやあらゆる客観的なデータで今の日本のシステムは完全に陳腐化してぶっ壊れてる。早く何とかし始めましょうというのが今日のブログの結論です。

このブログの人気の投稿

宮台真司まとめ

悪の秘密ぼっち「ヘライザー」について

哲学入門チャンネルのじゅんちゃん、ゆとりfamのいよ