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自民党が気になって眠れない、そんな私もサイコパス?!

小金井市議会の市議会便りというのが来たので暇なので読んでみました。で、私はまずはじめに申し上げたいが、民主主義は多数派の意見が善であり正義であり正しい、とは限らない。むしろ、間違った考え方だって、支持されることがあり得るのが民主政治だということです(たとえばドイツのナチス政権だって民主政治下で生まれた)。私たち市民は、ですから、今私たちが選んでいる代表者が正しいのか間違っているのかを常にチェックして、間違いであることの証拠が見つかったら、次回の選挙ではそういう人には投票しないということがきわめて重要なのです。
これからいうことが自民党に対するヘイト、サヨクの遠吠えのように思われたら遺憾です。そもそもそうやってサヨク、右翼のようなレッテルを瞬時に発動して貼ったんだったらあなた、その態度こそまずいと思います。それでスッキリしちゃって酒飲んでネット見て寝るだけ以上だとこの社会壊れるんでね。つまり迷惑なんですよ、そういう態度は。やめて下さいレッテル貼りは勘弁してよ。
で、私は立場を表明したいけれども、ちょっと最近は自民党に注目しています。なぜなら、典型的な民主主義的政党が自民党なのではないかと思うからです。ただでさえ少ない「有権者」(投票権をしっかり行使している人)のなかで、最も多くの票を集める集団。これ気にならないわけがないですよね。しかも彼らのいっていることって言ったら私に言わせれば「間違っていること」「世の中がおかしくなること」「人権とか国際社会の常識の真逆なこと」「地球環境破壊」ばかり。まじで「ネトウヨ」レベルのサイコパスぶりを発揮してますからね。
閑話休題。繰り返しますけど、自民党の議員がこんなこと言ってる、ワーワー、とか言うつもりないんですよ。そんなの昔からそうであって。
ではいいますけどね、ぜひとも市民の皆さんは次の選挙の参考にしてくださいよ。令和2年5月20日発行の小金井市議会便り7ページの意見書、決議の審議結果からです。
まず、次のような文章を読んでください。ここからはちょっと潤色します。いいんです。それは。これは、議会に提出された意見書や決議の要旨を潤色を入れ、分かりやすい日本語にあらためて私が作ったものです。
「40年以上も前に計画された長崎県の石木ダム。これはもう周辺の自然環境や住民の犠牲はやむを得ないので、作るしかないでしょ! 先達たちが必要だっ…

倫理や道徳とは無関係な増殖するシステム

倫理や道徳とは無関係な、増殖するシステム。これは何のことかというと、株式会社のことである。

株式会社の本質は、株主総会で決議される繰越利益剰余金の分配の仕分けに見出すことができる。(利益準備金や預り金は割愛)

借方 繰越利益剰余金 貸方 未払配当金

実際に配当金が支払われるのは当座預金口座からである。

借方 未払配当金 貸方 当座預金

売り上げから利益を差し引き、納税したのち、その会社のオーナーたちつまり株主たちは、最後の利益剰余金からどれだけ自分たちに配当するのかを株主総会でつまり自分たちだけの打ち合わせで決めることができる。

株主たちは、当然の権利としてつまり、その事業のリスク引き受けの報酬として配当を受け取ることができるわけだが、彼らの頭の中には、その配当の原資となる利益が、どれだけの労働者や地球環境に負荷をかけて出てきたものなのかは、一切関心がない。彼らの関心は、今般のこのリスクテイクのプレミアというか、報酬がいくらなのかだけだ。

私が簿記の本を初めて読んだのは今から十数年前だが、その時はへーと思っただけだった。しかし先日娘に簿記をやらせいようと、入門書を読んでいたとき、私は重大なある事実に気が付いた。

株主たちには、この世の中の労働者や、女性や、子供など弱者のために、あるいは持続可能性に赤信号がともるこの地球の長期的な未来のために思いをはせることは、一ミリたりとも期待されていないという事実である。

彼らに期待されているのは、出資金を払い込むこと。そして、毎期、株主総会に出て、自分の分け前を決めることである。

要するに、彼らが倫理道徳的に正しい判断を日々行う理由が、この株主資本主義では規定されていない。存在しない。

これって絶対にまずいと思う。

株主は、だんだん、この仕訳、たった一個のこの仕訳に、すべての関心が集中するようになる。なぜならば、生き物たる人間のデフォルトは思考停止であって、脳がエネルギーを消耗する「考えること」はなるべくしないで済むように駆動している。

この仕訳さえ考えとけば、あらかたうまくいくと思って後は趣味のゴルフだの、麻雀だの、旅行だの、そういうので時間をつぶせばいいだけだ。

そうした有様こそが、株主の真の姿といっていい。

恐ろしいことだと思う。この社会のど真ん中にあるものは、倫理や道徳とは無関係な増殖するシステムであった。仕訳は一切の…

なぜ自民党に入党しようと思ったか

詳しく知りたいと思ったから。

つまりもっと政治の本質や実際を勉強するには、いちばんデカいところ、歴史が長いところにはいるのがいちばんだと思ったわけです。

それに私は単に、世の中にベーシックインカムを導入したい。ベーシックインカムしかない、しか、言っていない。ついでに言えば人権がもっと守られ、多様性が認められ、地球環境に優しい政策を実行に移せる政党であれば、どの党だっていいだけです。

いちばん、そういうことやれそうなのは、単に自民党だったと言うことです。

たとえば今、最もベーシックインカムが導入の気運が盛り上がっている、そういう世界史的なフェーズに私たちは立っていますが、どの党がいちばんはやく日本でこれを導入出来そうでしょうか?

自民党以外にないでしょう。投票率を上げる? 有権者にがんばってもらう? 野党だってすごい優秀で立派な人がいるしごともしていれば対案も出してる? もちろんそうでしょう。でも私は、そういう人にこそ、ベーシックインカム導入のために自民党に鞍替えしてもらいたいと思っています。

いまから、そもそも私が政権交代のために運動はじめるとか、別の党の党員になってどうのこうのとか、そういうことに労力を費やしていたら、私はたぶんベーシックインカム云々以前に寿命が尽きると思います。ベーシックインカムウイルスとしていちばん最適な宿主は自民党でしょう。

空っぽなんだろう。

子供に家事を手伝わせるのは虐待で人権侵害で窃盗の重大犯罪である理由

新型感染症のせいで政府は学校を閉め、家にいるように「要請」してもう一か月近くたとうとしている。

そうした中で、DVが問題になってきている。狭い家、世界からはウサギ小屋といわれている劣悪な住宅の中で、朝から晩まで子供が家にいる。そして親は会社ではなく、家で仕事するように仕向けられている。もはや親は発狂する以外にないだろう。

今こういう状態で子供に家事をやらせたらいいといわれているし、実際うちでもやらせているけれども、私からすればこれは虐待で人権侵害で窃盗(時間)の重大犯罪である。

子供の権利条約を読んでみてほしい。もちろんこれはご存じだと思うが199x年に日本も批准して有効になっており、憲法の上に立つ、重要な条約である。一言でいえば子供を守ろうというこの条約だが、家事をやらせるのなら一発で条約違反だろう。具体的に言えば子供を搾取してはいけないと書いてある。家事はあからさまな搾取であり、したがって家事を子供にやらせるのは子供の権利条約違反である。

(家事は搾取ではないという人へ。それならあなた自分のブログやメディアでそれを言えばいいんであって私に何か言うのは絶対にやめてください、便所の落書き(=このブログ)に文句言うのと同じで、万が一返事が返ってきたらホラーです)

もはやこのブログの読者ならば耳にタコができるほどのことだが、家事育児は無給の場合はそれは倫理的に許されないということ。しっかり政府はベーシックインカムなどでそれに報いなければならない。ところが政府はこの問題を無視し続けてきた。不作為という違法な態度を続けてきた。家事育児が無給である以上、私たちはこれをやるのはこうした政府の犯罪的態度を追認することになる。ただ、現状家事育児しないと別の問題からの末路(コバエ、ネグレクト、汚部屋、ゴミ屋敷化からの発狂または収監)一択かつ片道切符となるので、家事育児をやらないという選択肢はない。

だからわたしはやっている。

高校時代に、都立高校の清掃は生徒にやらせるのではなく、地域の清掃事業者に外部委託するべきだと言って親も呼び出されたこの私が。予備校でのあだ名は「人権君」だったこの私が。黙々と家事をやっている(もくもくではなくて、このブログのようにやかましくだが)。

それは百歩譲っていいとしよう。問題は、子供にやらせること。子供にやらせるのならば、家事育児は無給かつ無償のブラッ…

公共サービス民営化の問題点

問題点しかない。なぜなら、ある特定のサービスを民営化する場合、大体は株式会社である。株式会社は経営者がいて、そいつが道徳的には完全に腐ってることが科学的(哲学だが、笑)に明らかになっている。

つまり、人間は権力を握るとモラルのタガが外れて銭ゲバ、欲望の亡者になる。

たとえば、公民館の仕事をやらせたらどうか。公民館では、市民たちが集まって、折り紙、工作、簡単な運動やゲームを楽しんだり、またそうしたことが得意な市民が講座を開いたりしている。

しかし、放っておいてそういう人たちが集まるかというと、そんなわけがない。テレビの前で、思考停止状態で生きるしかばねになるのが人間の本性だから、そこから公民館まで引っ張り出してことを始めなければならない。

そのためには、あらゆる工夫と時間、手間を、その引き受けた公民館の管理者がやらないといけない。ファシリテーターとか、モデレーターなどという。

民営化されている場合は、そんなことに関心を持つ経営者などいるはずがない。いたとしても持つかどうか。そんな直近四半期の利益にならないことをするために経営者がリソースを割くことを許せば、競合の会社にたちまちその市場のポジションを取られてしまうのがこの恐るべき資本主義の正体である。

だから絶対に公共サービスを民営化してはいけない。というか、このコロナショックのせいで、アメリカは2か月で200兆円以上、国の借金を増やした(国民の借金とは違うので注意、国の借金=国民の資産)。

コロナで明らかになったことは、今、外出制限で倒産しそうになっている業態というのはつまり「不要不急の」サービスを提供している事業者だということだ。そうした人たちを救うために国が金を刷っている。もちろんそういう目的だけではないけれども。

コロナのような感染症は今後もバンバン出てくるといわれている。そのたびにこんな財政出動して金配るってのか? それで、あとでまた、借金がこんなにあるから、国民に増税して将来世代のために借金を返そうとかの財務省や朝日新聞とかがやりそうな財政ポルノを見たいっていうのか? もう資本主義は完全に終わっている。

そこで、公共サービスを民営化するのではなくて、民営サービスを全部国営化してしまい、そこでの通貨は特別な貨幣を発行して、資本主義をやり直したらいいと思う。最低限必要な食糧、エネルギーはもちろん無料である。

民…

明らかになった格差、受援力=ITリテラシー

ITリテラシーという壁が、今政府の支援策を本当に必要としている人の前に高くそびえたっている。

今すでに手続きができる次の三つの支援策がある。東京都の拡大防止協力金。通産省(国)の持続化給付金。そして、特別定額給付金だ。

いずれも、マイナンバーカード(それも三種類の暗証番号を覚えていること)を持っていたり、PDFファイルを自在に編集できたり、そもそも確定申告のデータをすぐ取り出せたり、売り上げ帳簿を作れたり(当然会計ソフトで)、そもそもパソコンがないと割と話にならない(電子メールアドレスも必須)レベルである。

PDFを用意できなくても、紙や手書きのものをスマホで撮って送るのでもいいらしいので、ぶっちゃけ全部それでやれなくもないかもしれない。つまりスマホ一台あれば、できちゃうかもしれない。うーんでもかなりやりにくいと私は個人的には思う。こういうのはスマホ向きではなくて、PCが最低限必要だろう。それぞれの手続きで必要な書類の量が多いので、スマホで撮っているうちに何をどこで送ればいいのかわからなくなったりしそうだ。

スマホで、せっかくデータをアップしても、「ファイルサイズは2MBまで」とかいわれる。スマホを店で買った人が、デフォルトのカメラ設定で、巨大ファイルサイズでバンバン撮って送って、ファイルサイズ制限で玉砕というのが見える。

ものすごいスピードでシステムを構築したんだろう、いちおうUIとか、スマホ対応とか、そういうことは成立している。しかし、前述したように、絶対にすべての人が困らないかというとそうではない。困った人はどうするかというと、オンライン申請以外の方法をやるしかない。それは…。どっか相談会場みたいなのも設置されているらしい。今の非常事態宣言で、そういうところ出かけるかって話。給付金については、いつ来るのかわからない。スピードの問題が出る。

たぶん、明日首くくるレベルで困っている人もきっと多いに違いない(cf経済死)。そういう人たちは、もういろいろと広い視野で物事を判断できなくなってる。視野狭窄に陥っていて、とてもじゃないがそういう人にファイルサイズがデカいとか言い放っておわるそういう、滑りまくりのUX(ユーザーエクスペリエンスってんですか、要はそのウェブアプリの使い勝手を利用者目線できちんと考えようって話)をバーンと政府がかましてきたのは、ちょっとほんとやば…

ふたつの動機付け

1991年に大学受験の浪人になって以来、勉強や仕事にいかに集中して取り組むかが重要なテーマとなった。

大学に合格するために、勉強し、合格した。しかし、合格したら、何かむなしくなって、勉強はしなくなってしまった。

その後、起業したりしてあれこれ自分でやり始める。一定の成果は残せるのだが、その都度飽きたり、むなしくなって、やめてしまう。決算申告や、絶対に外せない締め切りのあるものはやめるわけにいかない。そういうのはたいへんな苦痛に耐えながら、コンサータも飲みながら、何とかやっている。

しかし、もうやりたくないし、結局自分はなんでこう、飽きっぽくて、続けることができないのか、いつも悩んでる。できたらなんていいんだろうとか思ったり。

結論としては、私のなかで、もう絶対にこうしたことへのやる気というのは出てこないということだ。

やる気というのは2種類ある。ひとつは、外的動機付け。もう一つは、内的動機付け。

外的動機付けは、これまで書いたような勉強、仕事のように、外部から評価(報酬)を目的にする動機。こういうのは結局成就しても虚しさが募って続かないのである。二回三回と繰り返していくうちに、苦痛だけが増してきて、結局できなくなる。

一方、こんな私でも、気がついたらやっていること。やり始めると時を忘れて没頭し、とても楽しい活動もある。しかも、いくらでも繰り返せる。その活動はたとえば、DIY、このブログ書き、動画編集、爪かじり、ネットダラ見、掃除、人と雑談とか。これらの活動に共通しているのは、別にやったからといって評価が高まったり、報酬がもらえたりしない。また、頼まれてもなければ、義務でもない。つまり外部からではなく、自分の奥底から勝手に湧いて出てくる「やる気」に基づいた活動だ。これが内的動機付けだ。

内的動機付けに駆動されているときは、コンサータなんて要らないし、気がついたら着手していて、やれたらどんなにいいかなんて思わない。なぜならすでにやっているから。

つまり、結局私、というか、人間てのは、そういうふうにできているのではないかと思う。問題は、やりたくもないことつまり外的動機付けによる活動をやるにあたって、その活動にいちいち値段が付いているこの資本主義社会のほうだろう。

カネが、たとえば金融市場には大量にだぶついているはずなのに、人の嫌々ながらやる活動は家事や育児、介護がそうで…