経済と貨幣

今日は、哲学がなぜ、人々にとって最も必要な、いわば私は哲学は、現代人が備えるべき常識の一丁目一番地と思っているわけですが、その理由を述べたいです。

世の中にはいろいろな学問がありますが、哲学は「私とは何か」を真正面から取り扱います。ほかの学問で、こうした漠然とした問いを追及するものってありますか。ないです。ほかは全部、物理学、医学、経済学など、対象とするものがしっかり標ぼうされています。

現代資本主義社会、それも、人口現象が始まって高齢者が社会の多数を占める民主主義社会において、格差の拡大が大変な問題になっています。私が最も違和感を覚えるのは、例えば、弱者や貧者に対して、政府はもっと支出すべきだというと、必ず、同じ国民の立場の者が、「金の無駄遣いだ」「自己責任だ」「働け!」「財源はどうするんだ!」とか言い出す。

私はそういう人たちに対して、いったいあなたは何の立場で、何を守るためにそういうこと言っているのか、考えたことがあるのかと思うのです。たぶんないでしょう。彼らつまり、国民の生命健康と最低限度の文化的生活を守ろうとする政府の支出に反対する人たちは、間違いなく自分たちがいったい何者なのか、考えたこともない。ただ単に、ワーワーわめいて、憂さ晴らしやマウントしてすっきりしたいだけなんだとさえ思ってしまいます。

弱者のために国が支出しないのであれば、当たり前ですが早晩あなたにも支出されなくなるんです。

それに、経済学をちょっとかじれば分かることですけれども、政府が支出するんであれば、お金をつかってくれる起業家と、消費性向の高い消費者(つまり貯蓄ゼロの低所得なひとたち)にまず真っ先に配るべきです。

とかこういう話ですね。これを理解するのに、絶対に欠かせない知識がある
ります。それがまさに自分とは何かということです。哲学的素養です。

まず自分=国民です。国民国家には、主体がいくつかあります。人の種類で分類すると、法人と、自然人です。法人には、会社はもとより、地方公共団体(村、市、町、区)、そして国や裁判所も含まれる。財務省もひとつの団体です。

いったい自分とは何か。この答えは、日本国憲法に書いてある国民でして、私=国民であり、主権者である。この理解が一丁目一番地の知識です。

この部分を吹っ飛ばして、国の借金が大変だから貧乏人には金を配るな、働かせろ、なんていったら、あなたは財務官僚や財務大臣ならまだ話が分かるが、そうでなくて国民だったら、なぜそんなことを言っているのか、意味不明だというのがよくわかるでしょう。

あと、国民への給付を増やすと、将来世代への先送りになるという議論。それだけを持って、国の支出を倹約すべしということを言う新聞もあります。これは一面的には間違ったことは言っていないのです。ただ、あくまで、そこだけ切り取れば、ということです。すでに、高齢者のための社会保障給付で、毎年とてつもない額の(国の収入の倍近い)国債を発行して、すでに国は高齢者への給付を行っている。もちろん国債だから、将来世代への先送りという表現が間違っているとは言えない。でも、この現状において、それはスルーして、これから子供や、困っている若者、貧困に苦しむ人たちに給付を増やすというと、いきなり「借金増やすな」という。それ、もし言っているのが高齢者なら、自分たちの勝ち逃げを言っているだけじゃないですか。

それに、そもそも将来世代への負担を増やすべきではないので、増税して国債発行を少なくすべしという議論。国債発行はそもそも1970年代からずっと続いています。では実際、国債発行をいったい、いつ、完全にやめて、いわゆる借金を返すのはどういう方法なのか考えたことありますでしょうか? そのことによって、市中のお金が消失して、経済のしくみそのものが立ちゆかなくなることについてご存じですか?

今の社会が戦後、厚労省が作ったモデル世帯(夫婦二人子供二人)に基づき、夫は外で働いて、奥さんは家で家事育児。おじいちゃんおばあちゃんは長患いなく天国へ。そういう前提をもとに社会設計がなされている。

大勢の子供や現役世代がいたから、働けなくなった「少数の」高齢者の生活は、みんなで支えられたので問題にもならなかった。例えば、2000年ころは、14人の現役世代が、1人の高齢者の生活を支えた。

2020年の今はどうか。なんと現役世代二人で、一人の高齢者の生活を支えている。もちろん、先進国の中で唯一、経済成長も一人当たりGDPもダダ下がりの日本で、現役世代の収入も減ってしまっているので、高齢者なんて支えきれない。そこに国が国債を発行して、支えているのが今です。

別にもう哲学云々の議論が飛んでしまいましたが、要するに、あなたは誰なのか。それが一番重要なんです。誰が何を言っているのか、です。哲学的な素質を身に着けることにより、特定の利益や既得権を守るために言っていること、その発言者が一体どの属性に立っているのかがわかるようになる。

つまり、こういうことです。言われていることに注目する前に、誰が言っているのか。そして、そいつが誰なのかを理解するためには、まず自分が誰なのかを知る必要がある。

自分が誰なのか、まずは国民であって、次に、もしかしたら若者かもしれない。高齢者かもしれない。子供かもしれない。最後に、かなりこれはどうでもいいし、短期間で変わってしまう属性である、学生とか、会社員とか、家賃収入で暮らしている人とか、国家公務員とか、いろいろな属性がでてくる。

その一番最後の、移り変わりやすい社会的属性に立ってものをいいがちです。そうではなく、しっかり国民の立場に立って考えたい。それで哲学を勉強したらいいんです。そういう場所がここでもある。

わたしが最近読んだ本で最も勉強になったのはこの本です。

『現代経済学の直観的方法』長沼伸一郎  著 講談社 (2020/4/9)

あと、今いちばん心配されていること、それは具体的にはちょっとむずかしいんですけどこれからの経済がどうなっていくのか、最大のリスクは日銀が国債を引き受けすぎているのではないのか、とか、日銀がETFだの社債だのを引き受けるのってヤバくないのか、ってことです。

これについては、当の日銀のえらい人が記者会見でしっかり答えていますので、見てください。まあ要するに、他の国の中央銀行もそれなりに同じようなことをやっているし、そうしたなかで円だけが突然どうこうなるというのはちょっと考えにくいということです。




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