前野隆司先生の受動的意識仮説について

前の先生の「受動的意識仮説」について最近勉強したので発表する。

まず私の長年のナゾの数々が、受動的意識仮説によりあらかた解決した。

  • 勉強やダイエットが三日坊主で終わるのはなぜか?例を挙げるまでもない
  • 地位職業を問わず「やらかす」(キレる)のはなぜか?政治家の失言とか芸能人の不倫とか、あおり運転とか自粛警察とか。
  • 地頭がいいというのはどういうことか?
  • 意識、自分、宗教などがなぜ陳腐化するか?
  • そもそも意識があるとして「寝てる」ってどういう状態か?
  • 人間の数兆の細胞を、意識が全部コントロール出来るわけがない

そもそも受動的意識仮説は、能動的意識仮説の真反対の考え方。これが出発点だ。能動的意識仮説は、まず意識が先にあって、すべての人間の行動は、「喉渇いた、ジュース飲もう、買いに行こう」というふうに脳内に意識が湧き起こり、その結果脳から指令が出てジュースを買いに行く行動がはじまるというもの。

脳内の因果関係としては、「ジュースを買いに行こうと思う」→買いに行くである。一方受動的意識仮説は、この逆なので、まず買いに行くという行動が起こる。で、「喉渇いた、ジュース買いに行こう」は後付けなのである。

ここで、そんなバカなと思うのは当たり前である。ここで読者に寛容をお願いしたいのだが、そもそもみんな当たり前と思っているたとえばダーウィンの進化論。あれアメリカの4割は信じていないので。じゃあそいつらは人類の進化をどうかんがえているか? もちろん、人は神様(創造主のキリスト)が作った、以上! 当たり前なんてものはこの世に存在しないのでよろしく。

で、じゃあ、なんで、ゼロベース(ジッとしている状態)からジュース買いに行くって、どういう指令で筋肉に信号がいくのかーい? 前野先生の説明によれば、人体の自律神経系統(内臓を動かすなど人間が寝ているときでも働いている系統)からまず信号として脳に喉渇いてるぞと行く。すると別の自律神経回路がじゃあ水分を求める必要があるなとなり、まず目とか、脳内のエピソード記憶などから周辺の自動販売機などのデータを動員して、で、即座に手や足を動かして歩き出すという行動となる。その0.3秒後くらいに、やっと、意識(脳)が、これらの無意識の行動(自律神経由来の行動)は「喉が渇いたからジュースのみに移行」と意味づけるというわけだ。

他にも例がある。動画で言われていた。人間の意識の働きを、企業の社史編纂室に例える。大企業では、企業の活動の一個一個について、当然、窓際部署の典型である社史編纂室はもとより意思決定していない(強いていうなら大まかな方針を立てるのは社長の仕事だし)。現場の個々の取引が積み重なり、年1度膨大な取引を決算してそれで会社は動いていく。社史編纂室は、すでに終わったこれまでの会社の歴史をあとから調べて、ああだった、こうだったと意味づけして本にまとめる(まとめるのはエピソード記憶になぞらえる)。一個一個の取引を担う社員たちは、人間に例えれば筋肉の細胞だったり、目立った陸地だったりとなり、それぞれはそれぞれの環境に反応して動いているに過ぎない。この例で強調される重要なポイントは、意識=社史編纂室は、人間の身体=大企業のなかで、取るに足らない、些末な、あってもなくても全体に影響しないものだと言うことである。

わたしがこれまで、いくら勉強しよう、資格を取ろう、弥生会計に伝票をマート取引で取り込ませて仕訳するのを毎月やろうと意思決定しても、ことごとく実現しないのは、意思決定した部署が、窓際族でなんの権力もない社史編纂室に過ぎなかったからだとなると、もうものすごい納得感しかない。そもそも、自分のなかにそんな全細胞を号令一発で動員出来る「やる気」のような強大な権力装置は存在しなくて、単に寝たいとか、おなか空いたとか、そういうレベルの反応の集積集合体しかいない、というのが真相ってこと。デカルト(大学の哲学学士なので大学で!勉強した)の「われおもう、故に我あり」とか。ぜんぜんピンとこないし! やっぱりなって感じだ。ウソだったんだからそんなの(そういうウソの履修ために400万の学費)。

あと、東大に合格した人たち、弁護士に受かった人たちなどの勉強法の本を大量に読んだり、あらゆるライフハックについて調べ続けたりと、私の趣味の一つに三日坊主の克服というのがあるが、私の結論としては、三日坊主を克服してなにかのタスクをやり続ける方法は私なりには一言に収斂した。つまり、「環境を変える以外にない」。結局、やる気なんてものはフィクションであって存在しない。まわりに、そのタスクをわたしが、それこそやる気がどうのとか考えている暇も無くやらざるを得ない切迫感をもたらす「人」「場所」「時間」これを自分の前に置く以外には、タスクは実行されないのである。ちなみに、決算仕分け作業で例えると、人は税務署とか。クライアントとか(まあ来ないんだけど)。場所はコワーキングスペースとか図書館とかカフェとか、他の人もなにかに打ち込んでいるから自分もやらざるを得なくなるところ。あと三つ目の時間は、おなじみ締め切り効果、直前までやらないってやつだ(これは不健全なので非推奨だが)。

ちょっと前に、子ども三人とも東大に入れたお母さんが話題になっていたけど、結局お母さんも、家庭という環境を、子供達がまるで息をするように勉強する「環境」を構築しただけのこと(まあそれ自体たいへんな努力がいるので尊敬に値するが)。

あと哲学の構造主義ってのも、どうにもピンとこなかったんだけど、これも受動的意識仮説だとよく分かる。構造主義は、人はポイッと生まれ落ちた環境に影響されるし、毎日の行動も、目の前の状況に左右される、そういう反応の積み重ねで人間てのは成り立っている、みたいなの。

まあ構造主義とかあれこれ言い出すと「違う!!!」って反論する人もいるらしいので、私なりのこの、受動的意識仮説をぜったいに忘れないフレーズを教えよう。

人間は、アリ+伝記作家だ!


どういうことかというと、アリ、アリじゃなく別に鳥とか蜂とかカブトムシでもゴキブリでもいいんだけど、虫って熱とかにおいとか光とか、地面の様子とか、いろいろな外界を感知するセンサーからのフィードバックで動くわけでしょう。でもそれなりに群れたり、アリに至っては女王アリとか働き蟻とか役割めいたものが観察されるわけでしょう。でもそれを観察して意味付与しているのはただし、もちろん人間の伝記作家の部分で個々のアリ本人じゃないってこと。で、人間の場合は一個の個体の脳に行動とその後付け意味付与記録機能が脳にたまたま備わってるだけ。

やらかしてる人々だって、結局目の前にイラつく車がいたことが彼のアクセルを押す筋肉の何かを刺激したり。浮気芸能人は、目の前に美女がいて誘ってきたからなんであって、「なんでそんなことするの」って誰かがあとで聞いたって、何しろ本人だって自分の数兆個の細胞が勝手にやったことを説明なんてできっこない。社史編纂室なんだから。

ここまで読んできて空しいとか、難局は強い意志で乗り切ろうとかいう人もいるらしいけど、おめでと、がんばってみて、っていうしかないね。まあ、それだと言葉足らずなんだと思う。もちろん、目標を立てて、がんばって、なにかの結果を得ることは相変わらず可能だしむしろ、これを知っていたほうがラクに取り組める。少なくとも、「固い決意」と「やる気を出してがんばる」ってのが一切意味が無いことが分かった。何しろ意識が行動のあとに起こるわけだから、いくらそんな後付けの部分に働きかけても意味がまったくない。そうではなくて、行動がなぜ起こるかというと、周辺環境からのセンサーのフィードバックからなんだから、勉強するという行動になるよう環境を整えて、それに無我の境地でただ反応するような勉強部屋なり作業場所なりを構築すればいいだけだとなる。

そういうの、つまり、無我の境地になって作業にするする取り組めるようにする工夫ってじつはすでにいくらでもある。塾。自習室。コーチ。コンサルティング。さっきも言ったけど、人、場所を変えるってやつ全部そういう工夫のこと。あと会社のオフィス(まさに人、場所、時間)、コロナ禍では、作業している様子をオンラインでシェアするとか。トヨタのカンバン方式だってあるいみそうだろう。中卒の工員だって、カンバン方式が精緻に整ったラインに置けば、何も考えずにレクサスが出来上がる。これもし、意思力だの、トヨタイズムの問題だったら? おっかなくてだれもホンダの株なんて買えないね。そんな人材はそもそもいないわけだし。あとコンビニエンスストアのレジ。日本語も怪しい外国人でも出来る。外食チェーンで、社員がまったく折らずバイトだけで成り立っている店舗。

受動的意識仮説を否定する輩ってのは、こういう工夫がないと人間はやらないって事実をどう説明するんだろ? たぶん、神への信仰が足りないとか言うんだろうし(キリスト教の場合)、気合いが足りないとか、甘えだとか言うんだろう。それって完全に思考停止で、現実をまったく見ていない。アンタはおめでとう、キリストを真剣に信じているわけだね。あるいは自分はがんばって勉強したからあるいは気合いで仕事したから成功したんだね? で? それが何か?って感じ。それも環境要因を自分の意思でやったとそいつらの脳内「作家」があとで都合よく物語を作ったに過ぎないだけなのだが? そもそも、そういう工夫に頼って何事かに取り組んでいる大多数の人たちに失礼だよほんと!

やる気の源はコンサータ一択

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