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12月, 2020の投稿を表示しています

中島美嘉は貧者なのか?貧者だ。私も。

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鹿児島で生まれた彼女は転校先の中学校になじめず、友人と共同生活をしながらアルバイトくらしをしていた。高校にはいっていない。彼女は貧困だったかも知れないが、友達や、彼女の音楽的な才能を見いだしメジャーにつなげることが出来た音楽の師匠に恵まれた。鹿児島のファーストフード店の店員は、7年後、中島美嘉として紅白歌合戦に初出場することになる。 貧困には3つの側面がある。人は誰でも貧困に陥るわけだが、もちろん「金がない」というだけが貧困ではない。陥りうる貧困には、経済的貧困の他、社会的貧困、そして身体的貧困があるように思う。 社会的貧困はもちろん、人間関係が乏しい、無い、だから孤独であるという状態のことだ。中島美嘉は違った。 身体的貧困は、疾病や先天的事情から、思い通りに身体を動かせない状態のことだ。私は体育がなぜかまったく出来なかった。他の教科は出来た。理由は分からなかった。体育が出来ない気持ちというのは、完全に貧者の境遇である。 人と同じように、競技できない。みんなが期待しているパスを失敗する。結局25メートル泳ぎ切ることはついに今もって出来ていない(スイミングスクールに通ったにもかかわらず)。やるせない。やりきれない。いつも体育があると思っただけで胸がズキズキした。この体育が週に何度もあり、それが12年続く。そしてすっかり(以下略) さらに、それぞれの貧困は、直接的な貧困と、相対的貧困に分類される。私たちがなぜ、貧困に陥って、いわれなき屈辱、自己肯定感の否定、そして最悪の場合、死ぬ羽目に陥らないといけないのか。私は気がついている。それは資本主義がおかしい。学校教育のなにかがおかしい。 とにかく、いっせいに勉強するのはかまわないし必要なことなんだけれども、職業生活が始まると理不尽で不条理な経済社会にいっせいに放り込まれる(しかも最近はもっと悪いことに奨学金という借金まで負わされ)。身体を動かして人々の生活になくてはならない仕事(ケアワーク)は給料は極めて低いし、人間だからそんなに働けない(労働契約では週40時間以上働いて井はいけない)。一方、契約とか投資といったそういう、ちょっと人類の昔を振り返ると道徳的にまずいんじゃないかと禁止されていたような仕事が、とてつもない給料をもらう(富の偏在の加速)。 まあそれでも、働いているという点でまだ可愛い。ピケティによれば、労働は結局資

ベーシックインカムvsベーシックサービス議論に抜け落ちている物

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 ベーシックインカムは、国民に等しく定額を配る政策。月7万配ると年100兆円という巨額財源が問題視されている。その解決策として、医療費窓口負担無償化、大学授業料無償化、環境問題解決のための投資をすすめることにお金をつかうと、ベーシックインカム月額7万の十分の一程度の11兆円でまかなえるという。 私は、ベーシックインカムの財源については、世界各国が協調して膨張の一途をたどる金融経済への金の流れを強制的に実体経済に振り向けるだとか、租税回避地をなくすことでなんとかなると思っている。 思っているっていっているんですが?あなたが何を思おうと自由ですし、もちろん私も、自由なんで。 ベーシックインカムで、財源を持ち出す人ってのは、金が今世界中で不健全に偏在している、格差の問題に関してどう思っているのか。ぶっちゃけ何も考えておらず、単に、単年度予算主義だとか、中央銀行とインフレの問題とか、そういう既存の枠組みの中だけで財源を用意しようとしてそれでダメだと言っているとしか思えない。そんなのダメに決まっている。だからベーシックインカムはダメというのはおかしいし、怠慢だろう。 で、ベーシックサービスについてはどうか。ぶっちゃけ、貧困の人とか、社会的弱者には、今はすでにそうなっている。環境だけは資本の論理で投資が進んでいないように見えるが、これも国連とかががんばって、地球滅ぶぞまずいぞってことで、それなりにやっているように見える。市民もだ。 ただ、いずれにも抜け落ちている重要なポイントがある。いみじくも以下の動画で堀江さんが言っていることだけれども、今、金がない人に単に金を配ったりサービスを与えて済む話ではない(もちろん与えないといけないんだが、それに加えて必要なことがある、といっている)。 それはなにかというと、きめ細やかな生活の知恵とか工夫、それを丁寧に、寄り添って教えるコンサルティングのようなサービスである。携帯代が月3万で、家賃も6万だから生活保護だのベーシックインカムでは足りないというけれども、格安SIMとか、家賃だってもっと安い物件はいくらでもあろう。 人が孤独に陥った場合、そこから彼を救済することは、ベーシックインカムも、今のベーシックサービスも出来ない。人を孤独から救済し、おなけが無くてもじつは案外快適で楽しく暮らせるという工夫や知恵を丁寧に授ける、そういう情報の流路が求

礼儀正しさの重要性、まあそれにつけてもベーシックインカム

 礼儀正しさは確かに重要だが、それで職場の雰囲気が良くなったとしても、その職場を含有する会社の利益がとても不道徳なやり方で上げられるケースとか、人の無知につけ込んで儲ける情弱ビジネスとか、見通しも何もないのにただ雰囲気だけ良くしてクラウドファンディングで金を集めて内輪で盛り上がるウェイウェイ系の学生ベンチャーとかだと話は別だ。 というか、ネオリベが席巻する現代資本主義社会においては、株式会社形態である以上、礼儀正しくしたところでどうなんだろう(もちろん無礼は論外だしそもそも犯罪的でさえある)という気がする。 株式会社で、終身雇用が約束されているならまだ、礼儀正しい戦略で上を狙う、会社を居心地良くするってのはありかも知れない。しかしいまは、正社員という立場じたいがレアである。ほとんど非正規だったり、アルバイト。しかも労働契約を嫌う営利法人は、人間を使うにあたっては労働契約ではなくて、業務委託契約にすることに命をかけている。 業務委託契約の典型例はウーバーイーツの配達員である。また、民営化のせいで非正規化が進むエッセンシャルワーカーの職場でも話は似たような物だろう(五年以上継続して務め続けるのはいまむずかしいことになっている、なぜならそれ以上だと、労働契約の期間が無効化されるので、まともな使用者とくに、株式会社や持分会社など、雇用者の福利とは無関係に人を使う意思決定がなされる営利法人ではは絶対に契約を更新しないよう「気をつけている」)。 ウーバーイーツや、1年更新の非正規雇用の労働契約で働く人たちはいくら礼儀正しく振る舞ったところで、結局契約自体は変わらないし、時間給も一生変わらないだろう。限界があるんだから(ピケティは、労働からの収益は、資産からの収益に劣後するから、格差はとてつもないことになると指摘した、これホント、冷静に考えると至極当たり前だ、人間なんて1日8時間しか働けないし、体調だって崩す。一方資産なら、複利で、指数関数的に、勝手に増えてい区。人間のキャパシティーとは無関係に、資産は増えることが出来る)。 というわけで、単に働き方を、しかも従業員の意識をちょこっと変えてみたところで、たかが知れている。資本主義のデメリットで金が偏在してしまっている。不健康なイデオロギーを見直し、金を配り直せってことで、礼儀正しく、ハイハイ、待っていますから、ベーシックインカムを

リーダーが高級ステーキ、市民は餓死

 ロイターで、日本の首相「ガースー」が高級ステーキを頬張る様子が報じられて世界で嘲笑の的だ。 一方、大阪では母娘が餓死するという痛ましい事件が報じられた。 私は今の政府というのは、国民の生命を守る義務というのを放棄し、一部のレントシーカー(政治的寄生虫)や、数十年前の新自由主義(ネオリベ)の亡霊に取り付かれたとんでもない犯罪者集団であると、識者が相次いで声を上げているのを見たことがある(私はそうはいっていない)。 また、これまでの失政において、医療基盤を「コストカット」の名目で毀損しまくった挙げ句、今般の感染症拡大では、カルタを作ったり、妙なお題目を言うばかりで肝心の医療従事者への給付を減らしたりしている。完全に「気が狂っている」と指摘する医療関係者もいるらしい(が私はそういうことを直接言明したことはない、医療関係者でもないし)。 さらには、国民が総じて困っていて、家賃が払えない。学費が払えない。挙げ句の果てに餓死する人も出てきている事態なのに、国民への直接給付はおろか、家賃減免やフードスタンプの大規模発行など、巨大な財政出動をする気配は一向にない。 そして国民は総じておとなしく、旅行に行けなくなったな残念、レベルの思考停止状態にあるように見える。え?私だけ? 困っている人は憲法の規定に従い、しっかりと、政府、地方自治体の福祉担当部署にたいして声を上げていく必要があると思うし、出来る申請はすべて、会社を休んででも、取り組むべきだと強く訴えたい。 面倒なことはいやだ、おっくうだともし思ったのだったら、正直言って、もはや一刻の猶予もないと私には思える。つまり、政府や自治体に請求するレベルを通り越し、もはや心療内科マターだと言わざるを得ない。 国民の多くが大人しいのは、こうしたある種の「抑うつ状態」に陥ってしまっているからだと思う。その証拠に、自殺者は急増しているし、餓死だってとてもじゃないが先進国の体裁からは大きく逸脱している。ほんとまじで。

法務省申請用総合ソフト商業登記持分会社本店移転で管轄をまたぐときの申請先

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  A県からB県へというように、管轄をまたぐときは、本店移転登記申請書は元々の管轄だったA県に、2通出さないといけない。 法務省のHPから無料でDLできて使える申請用総合ソフトの具体的な方法は次の通りである。 まず、ふたつの申請書を作成する(おなじ)。申請書一覧画面(上手の、2番目のウィンドウ)で、送信するふたつの申請書をシフトキーを押しながらクリックして選択する。 「申請データ送信」ボタンを押すと出る画面で、順番に1、2と書いて送信する。この手続きのことを「連件」という(らしい)。連件というのは、到達した申請書に自動で振られる受付番号が連番になっている「事件」のことなんだろう。 私はこの申請のために何度も電話相談センター(法務局登記の)に確認し、もといた管轄局宛と、移転先管轄局宛、両方とも元いたところに送ってねと言われていた。しかし、電話相談センターの相談たちはこのアプリのことは知らない。 アプリで送信するときに、連件送信でやってくれ。やり方:連件したい申請書を複数選択し、送信画面で順番を入れてくれと相談センターの人が言ってくれたらこうした間違いは起こらなかった(生まれてこの方「連件」(れんけん)なんて言葉は聞いたことがないんで)。 申請書作成画面には、申請先登記所を記入する欄があるので、そこには当然、両方ともA県の法務局宛にすれば良い。 しかし、B県用に作った申請書にもこの申請先登記所記入欄がある(当然それはそう、別々の申請書だから)。申請者としては、申請先は、あとでまた別のところで選ぶんだろうと思って、ここにうっかり管轄の登記所を書いてしまった。それは違うということである。 登録免許税も数万納付してしまった。この場合、いったんこの登記申請を両方とも取り下げる必要がある。金は一ヶ月二ヶ月返ってこない。そして、新たに、再度申請し直さないといけない。 時間外でも、間違った登記をすると電話がかかってくる。最大の教訓は、登記してから、問題ないことを確認したあとで、免許税を納付したほうがいい。一、二ヶ月とはいえ、また、全額帰ってくるとはいえ、倍の金が一時的に手元から流出するのは痛い。 私にこの業務を託した人にはこの場を借りて心からお詫び申し上げたい。 申請先登記所という記入欄についても、たとえば、「送り先登記所」というのと、「管轄登記所」(管轄登記所は送り先登記所と異なる

【アバタロー】時間術大全|ジェイク・ナップ&ジョン・ゼラツキー ~人生が変わる!新時代の最強時間術~

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いやー本当にすばらしいという言葉しか出てこない。どうしよう

労働者協同組合法、労働契約、雇い止め、解雇あれこれ【2020年最新】――人を雇うのは十分慎重に。最長5年は死守

 先般、労働者協同組合法が可決成立し、これまで、たとえばごうどうがいしゃなりかぶしきがいしゃは 出資者と労働者が分けられて事業を運営してきたが、この組合法では労働者が出資も経営参画も労働も主体的に出来るようになった。 労働者仲間が集まって組合を作り、出資をし、仕事をして、そして、労働契約に基づいて組合から給料をもらうことが出来る。どういう仕事をするのか、どういうペースで何を誰がやるのか、給料はどう分配するのか、そこは組合員は出資額の多寡に関係なく、平等に発言が認められるので、とても民主的だ。 労働基準法にもとづく労働契約という一応のセーフティーネットもあるので、組合員同士の仲間割れとか不仲が発生して、ひとりがとても不利になったりしても、裁判上の請求が出来るところは安心だろう。 ただ、わりと非営利的な、地域のニーズ解決や地域の活性化に資するような事業が想定されているこの組合。組合員に安定的に給料を払い続けられるようなしっかりした事業見通しは法人設立に先立って必要不可欠だろう。 また、当初は順調にいっていた事業も、たとえば6年7年たって厳しくなってきたり、先ほどからくり返すが組合員同士のいざこざ、人間関係の問題から、組合員に辞めてもらいたいという事態も十分考えられる。 そのときに問題になるのは、漫然と雇用契約を更新してきて、それで5年以上たった時点でそれでも本人が引き続き雇用契約を更新してほしいと申し出てきたときは、法人はその労働契約を無期に切り替えなければならないことだ。 有期契約の終了について 詳しくはこちら 。 東京労働局の無期転換のルールに詳しい人に聞いた。こうした事態(つまり五年で無期転換)を避けるためには、次のような方法しかないという。 毎年、雇用契約更新をしっかり行い、その際、更新は例外なく5年を上限とすると毎回確認する(あと何年まで、ということが毎回確認される) 最後の年の有期雇用契約は、例外なく更新しない 世知辛い…。仲良しどおしで始めた事業でこれやったら微妙な空気だな……。 こんなの(毎年の、厳格な契約更新)面倒だという場合は自動的に無期契約となるが、その状態でお辞めいただくには、「解雇」する必要がある。ところが今の日本では、解雇は基本的には出来ないとされている。出来ないという意味はどういうことかというと、それをやったら、解雇される側から訴えられて、

格差の放置は社会的コストの増大と低成長の原因になる

 リチャード・ウィルキンソンのこのTEDを見よう。 格差が人々と社会をむしばんでいき、結局犯罪、貧困、教育の失敗、治安悪化、そしてひいてはその国の相対的な力を減らして、通貨危機すら視野に入ってきかねないほどのヤバイ問題だと全力で指摘。 この中で言及されるある実験は私の印象に残った。学生に実験をする。どのような種類の「作業」がストレスホルモンコルチゾールの増加を最も促すのか、つまり最もストレスを感じるのかというもの。 いちばんストレスに感じた作業は、社会的地位や評価を下げるたぐいの作業だったと。それがどういうふうに行われたのかは分からないけれども、私にはぴんときた。 こういうストレスを「懲罰」として使っている事例がある。交通ルールの違反者に、横断歩道に旗を持ってったたせて、歩道を渡る歩行者の安全を見張る仕事をさせるあれ。 あとまあ、古い資本主義の成長神話に依拠した昭和の出世コースを歩んできたような人(もちろんいまでもいるのだろうが)あるいは、そういう人を父親に持つ若い男性にとっては、平日の昼間、他のお母さんたちもいるなかで公園で子供が遊ぶのを見守ったり子供と遊ぶこと自体、だいぶストレスだろうと思う。 家事育児を若い女性の職業キャリアや、経済的自己実現と引き替えに無理矢理無報酬で押しつけて虐待するのがいまのネオリベのまさに核心的部分だと私は思っている。なぜなら、競争社会では同業の会社が複数存在して利益を競っているとする。ネオリベではなるべく政府は介入しない。競争が苛烈になると、人間の仕事以外の暮らしはなるべく、競争の邪魔にならないように、「片付けられる」。イリイチはこれをシャドウワークといったが、子育て、家事、介護などの家のケアワークはまさにネオリベ男によって女性に押しつけられた仕事にほかならない。 こうした社会の構造は、大学を出るまで男性と同じ教育を受けてきた女性にとっては、いくらそれがシャドウになっていようが、まさに目の前の日々立ち現れる理不尽な現実にほかならない。 話がずれてしまったが、要するにいいたいのは、社会的な低評価の作業はストレスが最大になるという研究について、私は、それが不平等の結果底辺におかれた人におもに担わされ続けていて、それは結局、社会の上位層にも、最終的にはさまざまな負の影響として降りかかるよってこと。

【文化・アートをRethinkせよ】山口周と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。

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心が動く感覚に素直に従おう。自分にとって何がハッピーなのかを見つけられる力を身につけよう。人がキャピタルの部品、部材になってしまっている――この動画ボクの頭の中そのものだった。逆にいうと「ボク」の頭の中って巨大な動画クラウドサーバーにそっくりそのまま、むしろより洗練されたかたちできちんと整理されてた。テキトー、じゃない、てことー。

【記憶と身体性】宮台真司と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す。

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これ傑作動画だ。ニュースピックス佐々木見直した。 大言壮語を語る人の生活を見よ、と。そうすると、たとえば全共闘時代に、大言壮語を語る男たちはものすごい男尊女卑だったと。彼らは結局内ゲバで自壊していったと。で、その反動からフェミニズムが生まれて、くらしの足もとから小さい実践を積み重ねて、生きる実感を身体に刻みつける。記憶を紡いでいくやりかたがでてきた、と。 まー、アンペイドワーク、シャドウワークといわれる「家事育児」に二十年近く従事してきてまさにその通りだと思う。

譲渡収入、贈与税について

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個人から個人の場合 あげた方 なし もらった方 贈与税と、換金したら所得税(譲渡所得)がかかる ★贈与税と、所得税は、別個に確定申告する必要があるので、損益通算の話は出てこない 個人から法人の場合 個人が法人にあげたときの、あげた個人の方 譲渡した対象物の時価に対し所得税(譲渡所得) もらった法人の方 寄付金収入(法人税) 購入金額が分からない資産の購入したときの金額は、時価の5%とみなす 上記はもちろん、普通に税法で決まっていることでなんの不思議もない。しっかり確定申告しなければ違法になる。 これからは、マイナンバーだとか、あとはいろんな業者が提出を義務づけられている「支払調書」で、ほとんどの取引がガラス張りになる。 ある取引において、特に、もらう立場の者は、払う立場の業者なり個人が、その取引が支払調書提出義務のある取引かどうかを気にする。出さない取引なら当局に知れず何かを金に換えられると思うかもしれない。しかし、来年四月からデジタル庁が出来て、いろんなことをマイナンバーにヒモ付けないといけなくなるはずだ。支払調書の役割は終わると思う。実際、デジタル庁創設に関わったミスターマイナンバーと言われているこの人もこの会見で、支払調書に言及しているはず。 「デジタル庁とマイナンバー」(1) 向井治紀・内閣官房番号制度推進室長 2020.11.04 てこと。

「#生活保護を申請します」完全生活保護申請マニュアル【2020最新】

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日本国憲法の定めではこうある。 第二十五条  すべて 国民 は、健康で文化的な最低 限度 の 生活 を 営む 権利 を有する。 国 は、すべての 生活 部面について、 社会福祉 、社会 保障 及び 公衆衛生 の 向上 及び 増進 に努めなければならない。 次に、生活保護法にはこうある。 第二十四条  保護の実施機関は、保護の開始の申請があつたときは、保護の要否、種類、程度及び方法を決定し、申請者に対して書面をもつて、これを通知しなければならない。   生活保護を申請すると、親戚などに、申請者の面倒を見れるかどうかの問合せはたしかに行くかもしれないし、生活とは関係ない道楽車などの有価動産の処分は必要かもしれない。しかし、だからといって、生活保護がそれをもって受けられないとか、身内に恥をさらすとか、そういうことは絶対にない。というか、そういうことをする市区町村の福祉窓口は、完全に違法であり、厚生労働省からは、そういうことが無いように、念を押されている。  具体的には、令和2年9月11日付けで、厚生労働省(社会・援護局保護課)が都道府県指定都市中核市の生活保護担当課に出した『 事務連絡 』に詳しい。 保護を求めてきた人を、窓口で追い返したり、結局申請に至らないように誘導するような行為は「慎むべき」と書かれている。 法律上認められた保護の申請権を侵害しな いことはもとより、侵害していると疑われるような行為も厳に慎むべきである。  扶養義務者(親、兄弟、親戚縁者など)が、申請者の扶養が出来るのであれば、生活保護じゃなくて、そっちになんとか面倒を見てもらうようにすること自体は妨げられない。ただし、「窓口に来る前に、親戚縁者に相談したの?」などと申請者に質問して、あたかも、それが受給の要件のように見せかけ、申請の意思をくじく姑息極まりない違法行為が窓口で蔓延しているとみて、事務連絡ではこう釘を刺している。 扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切 とにかく、親戚や親兄弟に迷惑をかけたくない。恥ずかしい思いをしたくない。こういう申請者の「最後のプライド」につけ込んで、申請しないように悪魔的なナッジを行使するのは絶対に許されず、決定的な違法行為である。厚生労働省の事務連絡では、無理な扶養紹介をする必要はまったくないと強調している。  当該扶養義務者が生活保持義務

イギリスのジョー・コックス上院議員と孤独担当大臣

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 1986年に、英首相サッチャーが、政府に頼るな、社会は存在しない、自助努力でなんとかしろ、義務を果たさない国民に権利はない、みたいな演説をぶって、新自由主義の幕が開いた。 それから30年。世界は富の過半がわずかな富裕層に占有されるいびつな資本主義がバブルを繰り返す足下で、国民に貧富の格差が拡大し、怨嗟と退廃とニヒリズムが支配するディストピアとなった。 どうする? やばくね? 貧困も、孤独も、自らその状況に陥った者が堂々と状況改善を請求するのはむずかしい。いずれも本人の自助努力不足=恥、負け、弱者のスティグマになるからである。 1986年にサッチャー入魂で誕生し、世界の為政者の心をつかんで離さない新自由主義のイデオロギーによって、恥じ入る貧困者はそれゆえ孤独状態に陥り、孤独なコンパートメントに席を指定された列車の片道切符を持たされ家に引きこもる。その列車の行き先はもちろん、孤独な死。そう社会は設計されたし、いまもそのレールの上を、列車が連なっている。 都民ファーストなどといって、新自由主義的な誤った政策を喧伝し、現在の知事は当選した。一方で、同じ頃、ジョー・コックス上院議員を暗殺した極右の男性は、イギリスファーストと言って凶行に及んだ。 巨大なイデオロギー、国家、集団を『ファースト』ととらえることでたしかに一時、人は気持ちよくなれるし、何かを忘れさせてくれる。もちろん、彼ら彼女らが忘れられるのは、自らの置かれた、看過しようもないほどの強烈な孤独である。 その孤独の闇が深く、底知れないからこそ、そこから彼ら彼女らを浮遊させるのに必要なものには強いエネルギーが必要になる。 なんとかファーストとか、自己責任とか、歴史修正主義とか、全部そういう負のエネルギー、孤独者がすがる負のエネルギーの源になる。政治家はこれを利用して自分たちの地位の保全のために欺瞞の茶番劇を憚ることなく公の場で開陳する。 私たちは、皮肉にも、サッチャーの英国で、ジョー・コックス上院議員が孤独に立ち向かい、何とかしようと立ち上がったまさにさなかに殺されたことをきっかけに、孤独担当大臣が誕生したことの重さを共有すべきである。 日本はどうなっているのか。

なぜ、すべての国民はただちに「勉強」しなければならなくなったのか――レントシーカーが国を滅ぼそうとしている

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漫画とかテレビ、映画で(最近では動画で)、勉強が出来るやつは常に、「できすぎクン」(ドラえもん)、とか、「メガネ野郎」(ハリウッド映画でよく言われる、秀才に対する蔑称)に典型されるように、たいていのコミュニティーでは異質で孤高の、それ故自分とは違う存在として描かれてきた。共感がそこに生じる余地はまったくない。競争社会において、秀才は常に少数派である。その少数派は、自分のコンプレックスを刺激するだけのいやなやつとして多数派から排除される。 社会で、共感を集めることが出来ない存在は、もちろん、その存在になりたいと思う人が少ないことを意味する。まあ、なりたくてもなれない、というのも含む。 安倍前総理も、管総理も、勉強が出来るやつとは到底思えない。国会の答弁を見ていれば明らかだが、「官僚のカンペを読む以外は、ほとんど壊れた機械かポンコツ、あるいは脊髄反射の動物レベルである」、といっている人がいるみたいだが私は言っていませんので。私はこのブログでそんなひどいこと言うつもりもないし、もちろん言いませんし、言ったこともありません。 で、為政者がバカだと結局国民全体の福祉(生命健康幸福)を破壊し国が滅ぶ原因になると言うことを言いたい、今日は。 もちろん、リーダーがバカであれば、そんな国繁栄を続けることが出来るわけがないのはほぼほぼ自明なのだが、民主主義社会では、参政権を放棄して投票に行かない人が増えるというまさかの現象により、この日本では小選挙区制度という、資本主義の自由民主主義国にはじつはまったく不向きな選挙制度の影響もあり、ここ数年バカしか総理になっていない。 バカが総理になるとなぜまずいのかを説明したい。キーワードはレントシーカーだ。レントシーカー、一言で言うと国家統治機構に寄生する寄生虫のことなのだが、レントシーカーが国を滅ぼそうとしている状況になっていて、彼らは頭がいいので、彼らと闘うためにわれわれも勉強しないといけないよ、というのが今日の結論である。 さて、レントシーカーといえば最近は竹中平蔵が話題だ。彼はまさにレントシーカーである。彼は10年以上前から自民党の政治家と親しく付き合ってきた。政府の政策意思決定に関わって日本の雇用を破壊し、弱者を切り捨てるガチの新自由主義者としてはげしい批判を受けていて、Twitterなどでは、オンラインデモみたいなものまで起こっている。

アドボカシー:誰が政治的な要望を伝えることが出来るのか?

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 まわりを見渡す限り、なかなか行政や政治にもの申すことが出来る人はいない。私は先日の投稿で、ブログやSNSで個人がどんどん発信していくべきだと述べた。 現に国連のSDGsはロゴを個人が情報提供目的で使う分には使用許諾を得なくてよいとしている。 ご存じのようにSDGsは地球上で暮らす私たち人類の持続可能性と幸福の実現のために取り組むべき17の喫緊の課題群のことである。 つまり何か政治や行政にもの申したいのであれば、この17のゴールのうち、どれにおいて問題なのかを指摘すれば説得力は高まる。個人が自分が住んでいる地域の自治体や行政府に対しアドボカシー活動を行うにあたってたいへん便利で有力なツールが、こうしてネットで簡便に利用出来る時代である。 ただ、私でさえ、このブログを書いているのは深夜3時半。もはや、そのロゴをダウンロードして、このブログにアップする気力は残っていない。早く「ラベル」を貼って「公開」ボタンを押して風呂に入らなければ、明日ずっとだるくなってしまい家族に迷惑もかかってしまう。 このように、やればいいと分かっている善でも、1日の使えるリソースが限られている以上、むずかしいのである。 今日は興味深いこと聞いた。知人のひとりが、千葉の郊外のゲームセンターに深夜2時に行った。すると駐車場に、某宗教団体の勧誘員が3人もいて、話しかけてきたというのである。 その宗教団体はわりと有名で、週刊誌でたまにやる、有力政治家信者に名を連ねてもいるのはこの教団、みたいな特集で必ず登場する。 政治家たちが必ず宗教団体の信者になっているのは、もちろんその教義を信じているからではなくて、まとまった票田が得られるからに他ならない(公明党と創価学会)。政治家は一定の表明と献金をすれば、次の選挙で当選する蓋然性が高まるわけだから、躊躇無く信者にもなろう。 ここでいいたいのは、政治的な影響力を持つために、おばさん3人を深夜2時にゲームセンターに立たせることが出来るほどのその動員力の強大さである。 宗教団体はこうして、政治的発言力を手にすることが出来る。 では、われわれはどうか。先ほども行ったように、そんなこと出来るわけがない。ブログ記事に国連のSDGsのロゴを貼ることすら面倒なのに、深夜に勧誘などしようものなら仕事も家族も失いかねない。 つまり、政治的な要望を表明して、意思決定に働きかける活動