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子供は、都市では負債。田舎ではアセット

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 不動産業に従事するある賢人が言った。 都市は、少子化を加速する。一坪あたりの生産性が厳しく問われるのは、都市の地価が高いからだ。 例えば、山梨県の北杜市は、一坪大体2万円からある。ここ、小金井市は一坪160万円と、80倍も開きがある。 子供一人、産んで育てようとしたときに、山梨と小金井で、いきなり年収が80倍も変わるか。変わるはずがない。物価が、山梨より小金井が、80倍も違うか?違わない。 ただ、そのベットを置くスペースの、地べたの値段だけが、異常に高いのである。 もともと土地を世襲していないのであれば、ローンを組んでそのスペースを確保する他ない。 したがって、都市では子供は負債なのである。 一方、田舎では、もし畑なり林業なり農業を営むんであれば、人手はあるにこしたことはない。子供を産んでも、ベットを置くスペースの価格は、都市のそれに比べればタダ同然だ。程なくして子は大きくなる。都会と違って、そのために負債を負う必要もない。子供は親の仕事を手伝うよう、育てることだってできる。それゆえ、田舎では子供はアセット(資産)となる。 子供だって、負債を抱えてきりきり舞いの、薄氷を踏んで家計をまわす親の顔、それも朝と夜だけ(ひどいときは週末だけ)挨拶し、ほとんどの時間を狭いビルの保育所で過ごすよりは、広い、自然豊かな田舎で虫など観察しながら育ったほうがいいに決まっている。 都会の親の末路は、ブルシットジョブに従事して、40歳くらいになったらリタイアして田舎に引っ越すことを夢見る、的な。 あまりにもあんまりだろう。要するに都市の成長に資本主義の成長を託している限り、子供は絶対に増えない。 シットジョブはブルーカラーの。ブルシットジョブはホワイトカラーの仕事らしい。

頭おかしい国

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 センセーショナルな表題だが「頭」も、「国」ももはや共通のイメージをシェアできなくなるのに十分なほど世界はバラバラになっているところで、もし刺さる人がいたら一縷の望みをかけて書きたい。 3冊の本を挙げる。『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』、『平気でウソをつく人たち』、『自傷行為の理解と援助』。 これらの本に共通しているのは、幼少時に深刻な虐待を親から受けると、まあ、ちょっと非常に無視できないような人格が出来上がりますってコト。その人格の具体例だとか、どんな育てられ方が問題なのか、とか、その辺は本を読んでもらいたい。 話は変わるが、Twitterか何かで、パソコンに詳しい人ってのは、単にパソコンについて質問してきた人の代わりに調べてあげているだけだっていうのがバズったそうだが激しく共感する。 正直言って虚しい。それで金がもらえたり、評価されればいいんだけれどもほとんどの場合、せいぜい訊いてきた人のイラ立ちが若干薄まる程度である。 調べるのは本当にたいした手間はかからない。若い頃はものすごく勉強が出来て高学歴な、そしていま高齢者の中にも、人に訊いて教えてもらうことが当たり前、みたいに出来上がっている人、ゆであがっているヒトがいなくも無い。そういう人たちは、インテリ風なむずかしい本を読んだりするくせに、パソコンのマニュアルだとか、ネットでググったりだとか、そういうのは決してしない。

老人たち

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  私の飲食店が土日に開くガレージセール。子ども向けのおもちゃや英語の絵本が並んでいる。(本文とは関係ありません) 最近、社会福祉的なニーズから近所の独居のお年寄りにカレーをお持ちすることがあった。このニーズは私のここ数年の福祉的な活動(たとえば障害者総合支援法、発達障害者支援法からの事業の従事、あるいはゲートキーパー養成講座の受講などでアンテナに引っかかった人への個人的な支援)でご縁があった人に対しておこなういわば市民的包摂活動である。 長年調理師をしていた彼は数年前に退職して以来、家に引きこもっている。2年前から調子が悪く、人との交流もなく、完全に孤立している。内科にはウツ病気味だと言われている。彼の主訴は全身の痛み、人の眼が気になって外に出歩くのがつらい、というもの。それに、私以外、話す相手もなく、孤独でとにかく不安だという(電話番号を教えていつでも電話してくれと言ったことが余りにもうれしかったらしくて何度もお礼を言われる(T-T))。 このコロナ禍にあって彼の外出の機会は著しく減った。週1回の食料品の買い物と、月2回程度の通院である。 私の店は飲食店なので、わたしが個人宅に商品を届けることは原則としてしない。しかし冒頭言ったように、ニーズがあったのであるときから彼に限っては届けることにした。カレーを届けるがてら、週1回、彼の安否を確認することも含まれていて、それは彼に頼まれたことである。一年ほどやっていたのだが、まれに私がその事務を失念する。彼はおなかを空かして待っているのにもかかわらず。 私も人間(しかもADHD)なので忘れることが当然ある、どうしても確実にしたいなら、電話くださいとか、店に来て下さい(歩いて1分もかからない近所)というのだが、これは本人によれば[都合によりそれは出来ない]の一点張りだ。じゃあわたし忘れることあるんでそれご了承くださいと言ってある。それは承諾された。カレー一杯650円である。 このあいだも忘れた。いつも、わたしが忘れるときはこうなる。私に無理を言って持ってきてもらっている後ろめたさから、恐縮しつつ電話かけてくる。「今日はカレーは?」 もちろん私の単なるど忘れゆえ、一方的に私はお詫びするだけである。勇気を持って、電話したのに、謝られるだけでカレーは手に入らないのである。 5回目のすっぽかしの翌週、彼はついにカレーを辞去した。お

高度経済成長の代償

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  さすがは安富教授だけはある。 なんであんなひどい政党、あんなひどいというのは維新とか、都民ファーストのことなのだが、相変わらず支持者が多いのか? この動画で答えがわかる。 要するに中身空っぽで、イデオロギーに染まっていない、それでいて、昔は家族や会社が提供していた「絆」「所属感」が得られる団体。それが維新であり、都民ファーストだというのである。 ファシズムというのはこの動画では、特定の政治哲学を示すといういよりむしろ、「集まる」ことを目的的に真ん中に据えただけの団体らしい。怖。人は集まればそれだけで十分暴力性を帯びる。 集会結社の自由が憲法で保証されているのも、為政者に人権を蹂躙されないよう国民に武器が与えられていると見るべきだ。つまり集まるというのは十分に権力的である。 問題は、中身が空っぽ、空虚で、なんのために集まっているかがまったくわからないという点だ。それは私や安富さんが問題にしているだけで、当の維新や都民ファの支持者はもちろん問題とは思っていない。 私は自民党党員になってみたものの、なんとなく中身が無いというか、私が好きな宏池会的なリベラルイデオロギーは、少なくとも聞こえてこない。重視もされていない。というか、リベラルイデオロギーはもとより、何も聞こえてこない。実は自民党も空虚である。 空虚さを争っている。というか、空虚同士で、動員を競い合っている。怖い。 それに釣られる大多数の人々。その人々の評価もぜひ動画で確認してほしい。 維新の「いかがなものか」感を知りたかったらこの動画。

哲学科卒の男が死ぬまでにあと2,000回近所のオーケーストア梶野町店に行くことを発見し錯乱

 もともと単調なことが苦手である。ところがたまたま、単調な労働(しかも賃金も支払われない)の最たるものである家事労働の担当になっている。 ペイドワークのうちほとんどがこれまた単調な労働である。そして、家に帰ってきてやるアンペイドワークも、単調な労働だ。 わたしが単調な労働に取り組むには一定時間の気晴らしが必要だ(爪を噛んだり、指の皮をヤバい痛みが出るほどむしって血を絞り出す行為を含む、これは最近、指むしりしょうとかなんとか命名された)。以前は気晴らしを「逃避」と考えて、生活のなかでは忌むべきコトで、やらないように自分を鼓舞してきた。いろいろなライフハックで、気晴らし的な時間無しで、タスクをどんどんこなせるように工夫してきた。しかしそうしたことを3日も続けるだけで、朝、いくらたくさん寝ても起きることが出来なくなる。それはウツ病の始まり以外の何物でも無い。何しろ起きてやることと言ったら、タスクだけである。それじゃ起きること自体が困難になる。 気晴らしは、単調さを隠蔽し、じつは死ぬまでずっと単調なタスクがまだ数千、万単位で残っている事実を忘れさせるに十分な程度の娯楽や刺激が無ければならない。たとえば私は週2回、近所のスーパーに買出しに行っているが、平均余命までの20年間続けるなら、あと2,000回程度やらないといけないことになる。ADHDにとってはこれは拷問以外の何物でも無い。 気晴らし、それはインターネットだったり、サブスクの動画視聴だったりいろいろだが、まとまった時間が取れないので短時間で終わるYoutube動画視聴になりがちだ。 油断するとあるいは、1日の中に無理矢理、たくさんの単調労働を詰め込むとヤバいループが回り出す。寝不足と、そして後まわし、先延ばしにした単調労働が終わらないという無限ループだ。 たまればたまるほど、先延ばしにすればするほど、取りかかるのに必要な気晴らしに要する時間は長くなる。すると当然寝不足になってしまう。寝不足になればますます単調労働は増えていくし、また取り掛かりに必要な気晴らし時間も比例して増える。 かといって、気晴らしを全肯定しむしろタスクより優先する勢いでやり過ぎるとどうなるか。当然、単調労働が消化しきれずたまっていく。するとどんどん寝る時間は無くなっていく。 気がつくと頭の中で、死にたいという言葉しかまわっていないことに気がつく。死

ニーアル ファーガソン著書2冊読書感想文

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 ハーバード大学の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏の著作を最近読んだので短めに感想を書きたい。 『マネーの進化史』 私の問題意識は、各国の中央銀行がかつて無い規模で通貨を発行して、金がだぶだぶになっているのにもかかわらず、その配分が適切さを欠き、道徳的に看過出来ない貧困や困窮が先進国の至る所で見つかり続けているのはなぜかと言うこと。 この本を読むと、マネーは、極めて少数の国家エリートとか、レントシーカー、株主団体、金融機関、巨大政府系ファンド(年金基金とか)などにその操縦を寡占され来たし、これからもそうであり続けるであろうことがよく分かる。 彼らは何も、世代的に困窮状態に置かれたサイレントマジョリティーだとか、とうの昔から経済的な罰ゲーム(負の外部性、外部不経済)を押しつけてきた気の毒な女性たち(家事育児などを担わされている人)のことを気の毒に思い、何とかしなければという志のもとで仕事しているわけではない。まったくちがう。 そういうわけで、マネーという、人の生き死ににのっぴきならないいわば社会的装置の運転が一部のエリートや世襲政治家、そしてそいつらに言いように操作される博識ではない巨大ファンド運用担当者などのおかげで、引き続き貧困や格差が解消される見通しは期待出来ないことがはっきりした。 何せ私とは比べものにならないほど膨大な文献に当たってきた歴史学者の言うことなんだから、多分そうだろうと思う。 お金を印刷して債務を次世代に押しつけながら、自分たちの当面の権益を守ろうとする政治的な主導勢力がいる。日本では高齢者だし、アメリカでは各種利益団体や誤ったイデオロギー、政治的知識に汚染された政治家、評論家、ロビイストらだ。 まあこれ以上言ってもしょうが無いので、読んでの感想としては、死にたくなってしまったのでTM瞑想のやり方の動画を見てやって、寝ることにした。ふて寝である。 2冊目。『劣化国家』 マネーが当てにならないとなると今度は国家である。国家は、私たちの今の絶望に何らかの光を与えてくれるんだろうか?わらにもすがる思いで読んだ。 著者は、アダム・スミスの『国富論』から、「滅多に引用されることがない」とされる「定常状態」に至った国の末路について説明した。 定常状態というのは、かつて豊かだったが今は成長を止めた国の状態のことである。豊かで、成長は止まったとしても、洗練され、

カジノ、何が問題か? だれがなんのために進めようとしているか?

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  トホホ。 この動画見ればわかるけど、まあ、見ないほうが幸せで心穏やかに暮らせるんで、趣味がよい方にしかおすすめしませんけど、寒いな。 漫画とか、ドラマの世界みたいなことが「ホンマ」

武蔵小金井の巨大高級タワマンで起きた施工不良。管理組合に施工会社が謝罪していた

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※お読みいただく前にお願い 本投稿において著者が一部、具体的な社会集団や層に属する人たちに対して不適切または極端な表現を用いる場合があります。これは今回取り上げる主たる事象とその社会背景を端的に短く伝えるために便宜上、使用したものであり個別具体的な人や団体を毀損する意図はまったくございませんことをあらかじめご承知置き下さい。 ムサコの南口に建つ巨大タワーマンションで、いくつかの深刻な施工不良が発覚し、施工会社が管理組合に謝罪していたことが明らかになった。 私は、このニュースを見て、人間、ヨクに目がくらんだ、特に、金の亡者となった人間の「業」というのがいかに強靱で普遍的かを改めて感じた。 最近呼んだ貨幣の歴史の本では、人間が金というものにいかに翻弄され、そして今もってなお、翻弄され続けているかが詳しく書いてある。脳みそも、宗教も、政治も、良心も、金の魅力の前にあってはことごとく無力なのである。 すでにタワーマンションを買うということが、いかに間違った消費者の選択(とりわけ子育て世代が買うのは極めて危険、詳細や具体例は、専門家の書籍を参考にしてください私は直接知りません)であるかは、いくつもの専門家の誠実な警告の書を読めば明らかだ。そういう新書の類いが、数百円で、そこら辺のブックオフはもとより、アマゾンでもすぐKindleで読める。そういう本も読まずして、「コツコツ貯めたお金で買った生涯一度の買い物なのにひどい目に遭った」という(大抵は高齢の)購入者の訴えに、マンションの、頭金さえも、お金を貯金することが出来ている若い世代がほとんどいない今の時代に、共感が集まるかは分からない。 注意したいのはその施工会社も、販売会社も、相も変わらず次の物件をまたどんどん作っては売っているという現実だ。その勢いはとどまるところを知らない(作らなければ株価が下がり、株価が下がると日銀がまた買い増ししなければならず、円の信用リスクが高まる、オエ吐きそう)。そして、そこここで屹立しはじめる巨大で高級、しかも有名な(したがって「信用できる」)会社のこしらえるタワーマンションを見て、立派だ、すごい、買おう、そして上層階を買ってマウント取ってやろう。そういう消費者のみなさんは雨後の竹の子のようにいくらでもお見えになる。 135億年前に惑星が出来た。20万年前に、サルから人間が別れた。サルはマウンティ

オタクがポリティカルコレクトネスに翼を与えることができる事例

政治活動家が力を失ってもう数十年たつ。前回一番盛り上がったのは多分全共闘時代、1960年代だったろう。 ボサッとしてたら政治領域はいつのまにか、人を消耗品にしか見ない新自由主義者、縁故関係者、竹中に象徴されるレントシーカーに寡占されてしまっている。 その結果、今私たちの生きるこの惑星では、世界の富(正確に言うと中央銀行によって作り出されたお金)は、総量の半分を地球上のお金持ちトップ数十人で合わせ持つようないびつなディストピアになってしまった。 しかし、世界を見渡すと、ふたりの目立った活動家がいる。ひとりは、香港の周庭さん。もう一人は、グレタ・トゥンベリ。 周庭さんはオタク。グレタさんは自称《アスペルガー症候群》。 若くてフォトジェニックだったのか?世界中の人たちの注目を集めるに至った。特にメディアにいて、常にネタを探しているメディア関係者の心をつかんだろう二人。 いいんじゃないかこういう形で、活動家が注目を集めることができるってのは。そういう意味では日本にもまだまだ潜在的な勢力がいると思う。

Googleマイビジネス(Googleマップ)にみる外部コストの研究

昔、つまり人類が生まれてこの方10万年前から、Google.comをGoogleがドメイン取得した1997年くらいまでは、買い物体験といえばこうだった。 店が看板を出す→通行人が見つける→店に客が入る→商取引 今も、上記の行動は変わらない。しかし、この10年くらいの間に、以下の流れも出来た。 ★Googleマップに店が出る→★スマホでネットユーザーが見つける→店に客が入る→商取引 ★の部分は店側はコントロールできない。ほかに、コントロールできない、どんな要素があるだろうか? 商取引→★客がクチコミをGoogleマップに投稿する→★ほかのネットユーザーがその情報を見る Googleみたいなものがない時代は、ある商店を利用した買い物客が、そこでの体験や商品を何かメディアに書き込むということは存在しなかった。 しかし今は、Googleという巨大広告会社が自分たちの利益追求のために、客に、個別買い物体験に関する「感想」「評価」「写真」を書き込む場所を用意している。 googleマップのクチコミのことである。 経済活動には、個別取引で交わされる債権債務のやりとりでは負担されず、それ以外の領域に押し出される「外部コスト」がある。 たとえば環境汚染。違法な多重外部委託。サービス残業。稼得者の再生産のための家事育児。次世代の生産(結婚して子どもを産む)。本来は国が税金を取ってこれらのコストを負担すべきだが、いま法人税は下がる一方だ。とくに、GAFAなどの巨大IT企業は法人税がゼロかほとんどただの租税回避サービスを提供する国や地域に売上を移転することで、ますます外部コストは誰も負担しなくなっている。

メンタルヘルスのこれまでとこれから

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 東大tvの近藤伸介先生の講義動画 程度の差こそあれ精神を病んで、それでまたどこに復帰するのか? その人が本当に幸せを実感できる場所はあるのか? 幼少期に母親などからの適切な保育、養育を得られなかった人たち※が大人になる。そういう大人の一部は、専門家から「パーソナリティー障がい」などとレッテルを貼られる。マスメディアはさらにそれをサイコパスとしてスティグマ化し、社会から排除しようとする。もちろん彼らの言動で大迷惑を被った人たち、たとえばDV被害に遭った、ウソをつかれた、裏切られたなどの被害者たちのことを無視することは出来ない。かといって、彼らをそうやって差別してしまっていいのだろうか? ※いろんな発達障害や自閉的傾向の原因は「母親の愛情不足」というふうに誤診断される時代があった。母原病という。現代ではこれは完全に否定されている。ただ、そうかといって、オキシトシンとか、栄養や自己承認にこたえることなど、最低限やるべきこと(もちろん母親でなくてもお父さんでも保育園でもだれでもできること)がなされない場合に人格障害の種が芽を吹く。DVや毒親による教育虐待などがその典型だろう。 発達障害の人についてもl同じことがいえる。 色分けは確かに救済にとってはまずいちばん最初に必要なプロセスではあるものの、色分けしたらしたで、そのあとの続きの仕事にもきっちり取り組まないといけないと思う。単にサイコパスだー、とか、発達障害人ダーとかいって「名指し」してお終いでは差別と変わらない。その続きの作業にただちに取り組むことが社会に求められている。 東大に限らず世界の心ある精神医学の領域で取り組まれている、その続きのプロセス、彼らを社会に包摂するための仕事に注目していきたい。

私が人生経験から学んだことがこの動画で総括されていた

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  私は大学浪人中のときに見田宗介の本をきっかけに社会学に興味を持って、それから数十年たった今もなお、社会学的な言説には関心を持っているし自然に目に入ってくる。 家事育児、特にいまの日本における性別役割分業(ジェンダー)に内蔵された差別構造の酷さはもう笑っちゃうほどひどい。 この動画でも言っているとおり、日本の企業経営者、為政者たちは、木を植える林業者と木を植えない林業者のたとえでいうところの、木を植えない林業者ばっかりだということだ。 そしてそういう林業者から、安(やっす)い木をバンバン、早く早くとばかりに欲して買うのは、他ならぬ消費者である。丁寧に木を植えて育てる林業者の木は、高くて少ないから見向きもされない。気がついたら戦後70年経ってみて、ハゲ山ばかりが残ったというのがいまの日本の少子高齢化の姿だろう。そんなハゲ山で、もう資本主義なんてつまり、彼らが大好きな「経済成長」なんて、絶対にもう戻ってきやしない。 子育てに関する考え方も、高々この数十年(なお人類がいまの形状を獲得したのは10万年前?だったか?1万年前だったか?いずれにしても、気が遠くなるくらいの昔だ)のはなし。特に、親は子育てに責任を持たないといけないとか、女性が家事育児を引き受けるべきだ(それ前提の社会制度など)とか、市場経済のメカニズムの中から出てきたそれは「要請」であって、自然なことじゃない。その証拠に、かなり病んでる人多いし、自殺者だっていま日本で2万人ずっと超えてる。 子供が就職活動をする年齢にはなったものの、複雑な心境だ。果たして本当に安心して、そう、安全安心な職業人生を送ることができるような、そんな社会に日本はいま、なっているんだろうか? 「安全安心」な? 

空気は作られる

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村本由紀子「社会の空気と個人の心」ー公開講座「氣」2019をぜひ見てほしい。 多元的無知というのが生成されることが分かっている。その結果、サービス残業、いじめ、学生の飲酒などなど、個人のレベルではイヤだな、おかしいなと思っていても、他の人がやっているから、とか、他の人から妙なやつだと思われたくないから、といった理由で、間違った判断をすることが実験などから明らかになっている。 となると、やはり憲法改正という極めて重要な集団的意思決定で、メディアをつかって電通などが作る広告をしてもよいっていういまの状況はもうまったくもってまずいとしかいいようがない。 クライアント(多分自民党とか)の要望を実現するために、電通はこういうことをもちろん分かった上で、「空気」を作っていき、憲法だって改正するしオリンピックだってどんどんやるんだろう。何だってできるって思っているんだろう。 私の希望としては、しかし、王様の耳はロバの耳と叫ぶ子どもが近年非常に殖えていると言うことだ。YouTubeなどのあたらいいメディアが力を持ってきて、電通が空気を作るのはかつて無くむずかしくなっているのではなかろうか? 甘いかな。 私はあくまで、空気を読まないで、ダメなものはダメ、おかしいものはおかしいと叫び続ける人生を喜んで引き受けてきたし、これからもそうでしか生きられない。いつまでも、空気を読まない子どもでいよう。 繰り返しになるが、空気というのはそれがあると都合がいいと思った資本や、その意を汲む政治勢力が巧妙に作り出しているものに他ならない。 なお、だからといって、単にいまの圧倒的な多数を占める空気にただひたすら●●する、まあ想像力豊かな人たち、つまり陰●論のみなさまの御訴えに味方できるかというと今の段階では残念ではあるがちょっとここでは書けません。 大切なことはやっぱり読書、偏差値とは関係なく、生涯教育とか大学の講座、色々見ていくってのがいいのかも知れない。無料で動画を見られる。あとは良質な仲間集団、コミュニティに入っていることも大事かも知れない。そうしたことで培われる判断力が、空気が正しいものなのか、そうじゃないものなのかを判断するのに不可欠な知識を育てる。 私たちは、たしかに、メディアによってあるいは社会集団の中である種の空気が作られることがわかった。では、作られた空気が全部まずいかっていうとそうで

『実力も運のうち? 能力主義は正義か』サンデルを読む

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  kindleで読んだんですけどこの本。本田由紀先生も解説に書いてあったが、能力と言うより、功績というふうに読み替えた方がより原書のニュアンスに近いようだ。 この本でもとにかくあらゆる現代社会の不条理があげられている。また、アメリカンドリームだとか、それこそ、がんばった人が報われる的なイデオロギーが私たちを支配しているという指摘はこれはなかなかに慧眼だ。 がんばって受験勉強を勝ち抜いて、一流大学を卒業して金融機関などに就職し、ほかの人たちよりも高額の給料を受け取る人たち。そういう人たちがいてもまあいいっちゃいいんだが、問題は、そういう人の「功績」がまるで正義のように位置づけられるところだろう。道徳的によろしくない。なぜって、受験勉強で失敗し、高卒中卒で、非正規やアルバイトの人がそうなったのは彼らが「悪」だからってことになりかねない。誰も言っていないが、本人たちは、エリートに尊厳を傷つけられ続けているように思い込むようになる。その証拠が、イギリスのブレグジットであり、トランプ誕生だったというわけ。 なお前パラグラフで一部不快な表現を使用いました、これはサンデルの訴えを端的に伝えるために便宜上、選んだ表現であり、特定の読者を傷つける意図はまったくありません。またもし、不愉快に思った方がいらしたら心からお詫びします。 功績がある人たちだけが、たとえばゲーティッドコミュにティみたいなところに排他的に引きこもって、その他大勢の人たちは知ーらない、ってのは民主主義社会が持たない。 まあ普通に考えてその通りだが、それを現代社会の縦横から具体的事象を取り上げて、ホラ見ろホラ見ろとサンデル先生がたたみかけてくる。 ぜひとも、功績を勝ち得た本当に一部の人たちに読んでもらいたいものだ。 ただ、こういう内容がすばらしい本を大学で学生に読ませたりすると、どうにも「課題」とか「リポート」とかが付随せざるを得ず、そうすると、高尚なコンテンツに触れる体験が単なる単位を取るための「作業」になってしまう。 それは、大学という機関が、学問を究める場所というより単なる「学士号」を取るためのそれこそ能力主義(エリート)を量産する装置になってしまっているからだろう。最近は大学の学歴も陳腐化してしまって、目も当てられないことになっているが、位置付けは変わらない。就職活動とか、楽勝科目とかあるっていってるし。

『つくられた格差』

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『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』エマニュエル・サエズ, ガブリエル・ズックマン他著はアメリカの、めちゃくちゃクレバーな学者たちが誠実な態度でいまの社会の問題点(特に格差を加速させる「税制」について)を鋭く突いた本。2年くらい前出たかな。朝日も読売も書評で取り上げてる。 こういう本はいくらでも類書がある。よく、国は金がない。財源どうする?消費税上げるしかない、とか、公務員を減らすべきだ、とか言う人たちがいる。こうした主張は、この本を読めばいかに間違っているかが分かる。残念ながらほとんどの政治家や、官僚、政策コンサルは、こういう本と縁がない(あっても意図的に無視している)。 制度設計に大きな影響力を持つ主体(大企業、グローバル企業、保守政治家など)は、自らの利益を最大化するために、手段をいとわない。問題は、経済成長に伴う、もっぱら隠蔽された「外部コスト」を、男性稼ぎ手の再生産や子供、高齢者ケアが行われている家庭へと転嫁されがちである点だろう。 育児には法外な費用がかかる。託児所の年間費用が幼児一人あたりに万ドルに及ぶケースもざらにある。そのため多くの家庭では、親が育児をすることになる。親といっても、この仕事を主に引き受けるのは母親のほうだ。これは事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているに等しい(時間は、もっとも古くからある課税対象である)。この課税は、女性のキャリアに深刻な影響を及ぼし、男女の格差を広げる。実際、アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親にくらべて平均31パーセント減少する。その結果、女性のほうが男性要理教育水準が高く、大学を卒業する割合も高いというのに、収入面での大きな男女格差がいまだ解消されていない。(引用終わり) もちろん、個別企業の福利厚生意識の高まりやもとより国連のもろもろのとりくみが奏功して大企業の一部には、女性でも不利益を被らなくても済むようになってきてはいる。しかしゲームのルールとしてひろくシェアされ競争の前提として外部コストからとにかく逃れたもの「勝ち」の大きな構造はそうかんたんには変わらないだろう。 マルクスガブリエルが言うように、今の資本主義や経済のルールというのは道徳的には間違ってセットされているのだから、そのルールをきちんとやり直して、改めて市場を回していくという選択肢だって全然ありだと

最近ブログの更新が滞っている理由について備忘

 アマゾンのアレクサはすごい。まったくナチュラルな日本語で、Kindleの本を朗読してくれる。次々と本が読める。夢のようだ。 格差とか、資本主義の本、経済学、あと民俗学、通貨や簿記会計の歴史物…。 マニアックすぎる。読んでるものがマニアックすぎて、ネットに書いたところで誰も興味を持たないに違いない。自分だけ知って、ほくそ笑むようなイヤな趣味になってきた。趣味が読書ってのは微妙だな。取り付く島を与えない感じだ。 歴史本が面白いと思うようになったってことは歳を取ったからか…。 ブログに書く暇があったら次々他の本を読みたい衝動が起こる。そもそもブログに書くという表現行為と、読書行為は違うと思う。それぞれに時間が必要だ。 最近は9時間寝ないとダメってことが分かって、募る一方の読書欲が去るまではブログの更新も、当分進まないだろう。 長いインプットの期間を経たほうがいいものが出来そうだし。

竹中平蔵が日経平均4万円も視野と発言

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 2021.3頃のプレジデントの別冊版か何か本誌かもしれん、日経平均が4万円言っても不思議ではない旨の発言をしていた。 資本主義終わってる、だとか、自民党の政治だめだ、とか、コロナ対策日本やばいとか騒いでいるメディアばっかり見ていると、到底日本株なんて買う気は起こらない。 ところが、こういう経済誌をたまに読むと、一点だけ首肯できることがある。 それは、金余りだ。中央銀行がバンバンお金を刷ってばらまいている。だぶついたマネーは実体経済ではなくて株、不動産などの投資に向かう。それで、バブルが起こっている。 ここで買うのは天井で買うようなものだからとずっと様子見てるし、そもそも元手がないが、冷静に考えると確かに下がる要素はない。というか、散々言われてきているのに、一向に下がらない。 平三はデジタル庁、グリーン基金、統合型リゾート施設、スーパーシティをキーワードに銘柄を物色するのが吉だと言っていた。 こういう風な見方もあるんだなと感心した。

現代資本主義社会での賃労働はもはやムリ――生活保護受給申請書提出国民運動

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  タイトルの通り、私のこの10年以上にわたる膨大な読書、研究、熟慮の結論としては、現代資本主義社会の賃労働者が「国民が 健康で文化的な最低限度の生活 を」送ることは無理ということである。 とりわけ子どもを養育している場合、そのような生活はもはや「フィクション」にすらなりつつある(しかも悪いことに、ありもしない「自己責任」という違法で根拠のない思い込みで多くの国民が自分を「断罪」あるいはそれを果たせない弱者をネットで公開処刑し合っている有り様は集団狂気的で目を覆いたくなる)。 ここにNPO法人もやいが公開している 生活保護受給申請書のダウンロードリンク を貼っておくので、まあざっくり言って15万も収入がないすべての国民は明日、お住まいの自治体の 福祉事務所 にこの書類を郵送してほしい。相談でもなければ、申請に行くのでもない、単にダウンロードして書いて、封筒に入れて切手を貼って送るだけだ。 なお、各自治体ごとに、世帯の形態に応じて、最低生活費が決められている。生活保護費は、その最低生活費と収入の差額を埋める形で給付される。 郵送した後日、電話がかかってきたり担当者が家に来るだろう。そこで支援してくれる親兄弟親戚はいないのかと聞かれた場合は、いないと一言言えば良いだけである。いないものはいない。いるわけがない。そもそも関係ない。いるんだったら証拠を出してもらいたい。もし向こうがその証拠を出せたら、場合によってはあとで問題になるかも知れないが、それは後の話で、今回受給申請を審査に回す回さないとは別問題だろう。また、働けないのか、と言われたら、いや、働いている、もうダメだというだけでいい。ダメじゃない、若いし頑張れるだろうといってきたら、(他の就労支援制度のパンフレットとかではなくて、あなたがダメであることを直接的に裏付ける)証拠を出せといおう。そのことを理由に申請を拒否するなら、そのことの根拠法令を示せといおう。ないんでね。彼らにはそんなの示すことはもとより出来ない。 受け取らずに長時間、あれこれいってきたら、行政は違法行為をしていることになる。担当者にはじめに生活保護受給申請をしたい旨を伝えたときに、必ず録音スイッチを押すことを忘れないことだ。結局受け取ってもらえなかった場合はただちに貧困支援の事務所に録音した物を持っていこう。 もやい とか、 POSSE とか。生活保

簡単に死にたくなるたった一つのやり方

 際限の無いケアワークと家事(アンペイド) 突発的に生じる、ペットや家族の汚物の清掃(アンペイド) ADHDにとって絶対に無理な「繰り返しの単調仕事」(経理など) これらを午後10時以降にやれば、死にたくなることは間違いない。 その日1日でも死にたくなることが出来るが、毎日我慢して続ければかなり夜型になる(なぜなら取りかかるのに時間がかかるため、どんどん寝るのが遅くなる) 寝るのが遅くなれば単に起きるのが遅くなる、すると昼間の社会的交流の機会が減少、最後は消失し、孤立状態に陥る また、昼仕事があれば、睡眠時間が足りなくなり、これまた死にたくなる。 世の中には生きたいのにいきられない人がいる一方で、妙なことから不運な隘路にはまり込み、外観上ついに理解されることなく人が死にたくなることがあるわけだが、その理由の一つは上述したような非常に些細だが、突発的で避けがたい理由によるものだろう。 私は心療内科医にもかかっているしこうした状況にはまり込んだ場合死なないようにする術も心得ているから大丈夫だが、万が一失敗したらこういう事情で死んだと思って間違いない。万が一失敗って、どういうことかというと、やりたくないワークが自殺念慮を避けがたいまでに昂進させないようにすることに失敗したらと言う意味。交通事故や天災と同じだ。

Youtubeやりたい理由

いよいよもってYoutubeやりたい気持ちしかない。 いつか使えると思ってGoproで素材を撮り始めてる。 やるからにはチャンネル登録者一万人を目指したい。 競争は苛烈だ。どのカテゴリーでも投稿される動画のクォリティーは高まる一方だ。 やりたい、出来るからやっても、登録者数は増えないだろう。 わたしが世の中に伝えたいこととか、あるいはわたしがやる意義はいくらでも出てくるが、チャンネル登録者数を伸ばす具体的なノウハウはない。 チャンネルはもとより動画もアップしたことがない。 何人も、果敢にチャレンジしては消えていく人を見た。もしかしてそれでもいいかもしれない。 間違いなく言えることはひとりで出来るかと言うことだ。出来ない。ひとりでは出来ない。 大事なことはそれだと思う。何をどうやるかではなく、誰とやるのか。 ひとりでやるってのはよっぽどじゃないと。

気味が悪く、害が多く、手の施しようのない邪悪な人間について

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  親が子どもを不適切にしつけたり、愛情を注がない、ネグレクトする、そうした結果、子どもは当然のことながら抑うつ状態に陥る。子どもは「見なし患者」という状態になって精神科医の元に連れてこられる。 親は、社会的地位の有無に関わりなく、精神科医に子どもがそうなったことの原因のすべてが、自分たちの側にあるということを知らされると、ゾッとするような反応を示す。 著者の精神科医が、「家に帰りたくなる」「診察を終わって彼らに部屋から立ち去ってほしい」と言わせしめる。そのゾッとする反応を、一言で言えば、精神科医のそうした診断をせせら笑い、拒否する態度だ。彼らは、精神科医の診断やコメントを全力で、事もなげに否定する(私は医師の診断を否定するなんてことが出来る人がいること自体が衝撃だった)。邪悪な親は子どもを完全に支配しており、愛情はまったく注がない。その結果子どもが精神疾患を患っても、自分たちのせいだとは絶対に、一ミリたりとも認めない。 精神科医とのやりとりの中で明らかになるのは、邪悪な人間は「平気でウソをつく人たち」だと言うことだ。ウソは、彼ら自身の不都合をごまかしたり、直視しないで逃避したり、問題が自分たちの方に向かってこないようにするために、完璧に、全力でウソが紡ぎ出される。 最近、国会で嘘つきが目立っている。トランプ前アメリカ大統領も、合計で数百回のウソをついたと報じられているし、安倍前総理も、新聞報道で、100回以上ウソをついたことが調べられている。 嘘つきは、他人にも自分にもウソをつく。 さて私は塾を経営してきたけれども、生徒に「見なし患者」状態の子がいた。私はしかるべき専門機関を生徒本人に紹介せざるを得なかった(どのクリニックに行くべきか、保険証の場所、予約のための電話番号など)。その後、親は、精神科医に電話で、子への態度をあらためるよう定期的に「指導」されることとなった。 邪悪性の最大の犠牲者は、もちろん子どもである。子育てに関わり続ける者として、この本はすべての親にしっかり読んでもらいたいと願っている。

1/27 #D2021 企画 Vol.6 Dialogue "クソどうでも良い仕事" は誰のため? 〜ブルシットジョブとエッセンシャルワーク〜

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これはぜひ共有したい。

森辞任で五輪中止へ――加速する資本主義の解体

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「へモカ」記事というのがあって、マスメディアではよく使う。確たる証拠や裏付けがない記事のタイトルに、この投稿の表題みたいに「へ」を付けて蓋然性の発見を大げさに喧伝し、自社媒体の売上増を図る活動のひとつだ。 森は昭和の日本を象徴する政治家だったかもしれない。男尊女卑。環境破壊。ロビー団体重視の利権政治。家事育児や介護、貧困、環境汚染などさまざまな経済成長に不可欠のコストを不可視化して、環境や弱者に押しつけてきたそういう政治である。 国会議員たちや、さすがにメディアは敏感に反応した。まだここにはまともな人たちがいると思ったし、今、大分岐の時代と言われている中で、日本が脱成長して、地球の持続可能性のために貢献出来るかもしれないと希望を持った。 ちなみに、大分岐というのは経済成長をその存立条件とする資本主義でこれ以上進むならば、人類は地球環境からの手ひどいしっぺ返しに遭い、あえなく滅亡するほかないと言うことがもう自明になりつつあるってこと。やめるしかない。 この編者斉藤幸平さんはわたしが今まで見知ってきた学者の中で近年最も尊敬すべき活動をしている。わたしがKindle版も読んで紙版も買って読んだ『人新生の「資本論」』(2020年新書大賞受賞)これはもう全力で売っていこうと決めた。 わたしが出来る、SDGsの活動はまさにこれだ。この本を全力で拡散し多くの人に読んでもらうことだ。 追記 森さんの後釜に、いったんさらに高齢の川渕さんという人が選ばれたものの、数日後にそれも白紙撤回となる。ネットで調べられたことによると川渕さんは2019年に「1ヶ月以上もゆっくり楽しみながら百田尚樹さんの日本国紀を読んだ。最初500ページ余の分厚い本を見た時、読み終わるまでが大変だなぁと。ところが読み始めると興味深い日本の歴史が平易な文章で書かれていて興味が尽きない。昔習った日本史を懐かしく思い出しながら。百田さん最高の傑作だと思う」とツイートしている。また月刊Hanadaの愛読者だったことが判明している。

人間にとって快適さとは何か?

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 10年近くたって再読したこの本。 最近興味を持った「ナッジ」(環境から本人の意思決定に介入し他人を操作する手法)のことが書かれている。直接的ではないものの、私たちがじつはとてつもない規模で「操作」されていることがあらためて確認出来る。人間というのは弱く、不条理で、自分など持っていない、220種類37兆個の細胞の寄せ集めでしかない。 他人の権利行使を妨げないこと=福祉だとすれば、(自分の)権利の反意語は福祉と言うことが出来る。福祉はしたがって法と公共の負担のもと、すべての国民に担保されなければならない。 快適という名の制御という項から引用したい。 快適、ってなんでしょう、生理的に気持ちいいという直接の意味を、とりあえず脇にのけると。ゆだねること。よしなに、取りはからってもらうこと。いちいちこちらの確認や判断を求めず、あちらでやってくれること。その上責任も取ってくれること。こちらはリラックスして、導かれるままに振る舞っていけばいいこと。普通は「快適」だけでここまで考えないでしょうが、あえて現代におけるそのニュアンスを外挿すれば、だいたいこうなるはずです。要するに快適とは「さりげない(被)制御」と同義語 心理学や行動経済学を知らないすべての人は自分の意思決定は自由になされると思い込んでいる。 しかしもちろん真実はそうではない。自由は、快適にのっとられてしまっている。「30日間無料」とか、「ここをクリックしていますぐ視聴開始」とか、「広告をスキップ」とか、そういう簡単で便利な快適さによって、自分の意思決定は制御されている(気がつかないままに)。 一方で、快適でないものには人は不自由をおぼえ、出来ないというふうに錯覚する。生活保護の受給申請がそのいい例だろう。扶養照会(最近はやらないように政府が言い出した、当たり前だ)で身内にバレて辱めを受けるだとか、「窓口」で門前払いされるだとか、そもそも平日昼間に窓口に行くことが出来るのだろうか? 貧者は昼間働いているかまたは夜働いているので寝ているだろう。まったく快適さとはほど遠い。 だが、じつは法的には憲法や生活保護法により、私たちは生活保護を受給申請する自由を持っているのである。法的にはそうなっているが、心理学的にはそうなっていない。自由さ(快適さ)はゼロである。 で、政府はしっかり考えている。さすが政府だ。政府は当然国民の生命健

メディアやSNSを覆うそれっぽい感じの正体

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今日はNHK100分で名著を見た。斉藤幸平氏が勇気あるマルクス研究者として資本主義をフルボッコする様は痛快だった。 しかし、本当はメディアの関係者も、司会者の芸人も、資本主義に変わる思想を市民の力で、アソシエーションから初めて行こうみたいなこと言われても一ミリもピンときていない。 表題の「正体」の答えはつまりは、メディア関係者は特権階級意識の権化であり、社会派市民の取り組みなど本当はまったく関心が無いので、とりあえずそれっぽく番組作っておいて家にかえりたいという本音だ。 それっぽくのそれとは、ジャーナリズム精神とか、公平性とか、第四権力としての政治の監視とかそういう部分である。 民放はご存じのようにそれっぽさの感じなどとっくに出すことを放棄し、数字が取れるものだけで純粋に枠を埋めるばかりだ。 私企業は要は企業価値、つまり将来いくら銭金入ってくるのかの算段以外に何も考えていないし、もちろん、余計なそれ以外を考えることは株主価値を毀損することになり許されない。それが株式会社というものの本質であり存在意義である。 メディアが株式会社の利益に支えられている以上、「それっぽさ」なんてお呼びではないのである。(だから公共放送のNHKにはそれっぽさが不可欠だが、それが気に入らない一部の勘違い市民や古くさい「新」自由主義にいまさら出会ったようなアホがぶっ壊そうとしているのは自分たちの首を絞めることになるだけなのだが…) 斉藤氏の人新世の資本論を読んだ後に、会計の世界史を読むと、いかに会計原則は、環境とか、公共の福祉を考えていないのかがものすごくよく分かる。怖いほどに分かる。 そして、いくら企業の外から、つまり外というのは、彼ら企業人が好んで使うステークホルダーの本音部分である株主と創業家と後は顧客の3者以外の領域から、道徳的に正しいことを叫んだところで、みじんも考慮されないしされる道理は一切ない。 それ故、資本主義制度は人、自然、地球の搾取破壊行為をやめることが出来ず、破滅(かならずくる「精算」の時)まで、目下大ばく進中だ。 会計の理論で、コーポレートファイナスとかなんとか、あれこれ勉強すればするほど、そんな環境とか持続可能性とか搾取とか、そういう道徳心の類いは消し飛んでしまう。会計を学ぶ人にとって、とにかく複雑で変化をやめない会計や市場の世界での闘いのために、あたらしい概念の理解

最後は生活保護がある

生活に困ったら生活保護があるって管総理大臣が述べた。まったくその通りだ。前回の投稿でもまさに私が言ったことであり、私の主張がいかに政府与党と軌を一にしているかがよく分かる。 野党は「生活保護に陥らないために政府が支えないといけない」といいましたけれども、この返しもまずいし、総理の発言に対する世間の物言いもよろしくないと思う。なにがか? 最後は、ベーシックインカムがある 最後は、負の所得税(最低所得補償)がある 生活保護の部分を、ベーシックインカムとか、負の所得税(最低所得補償)とかに言い換えたらどう見えるか? なんかいいと思う。こういう方向を私は目指しています。 で、生活保護のイメージを、今回毀損したのは誰かというと、もちろん野党とか、メディア、金持ちインテリだ。生活保護は「恥」というイメージがあったけれども(今はない、いまは権利)、もう国民には残念ながら生活保護しか残っていない。 管総理は、国民は自助、共助、最後に公助があるといっていた。この言葉の意味はこうである。 自助:生活保護制度について詳しく調べる 共助:生活保護を受給すべき状態に陥っているひとに教える 公助:生活保護の受給申請を受け付けて速やかに給付をはじめる 去年から、厚生労働省などを通じて与党政府はこういうふうに宣伝してきた。ところがメディア、左派ポピュリズム政党などが国民は生活保護を使えるわけがないみたいなことを言って、じつは生活保護を使わないような空気を熱心に醸成してきた。 正直邪魔しないでほしいと思う。 とくに若者は悲惨だ。奨学金という借金を背負って社会に出たとして、どんな未来があるのか? 働けば、自分の身体(または家族関係)を壊すか、環境収奪に加担することになる。働かなければ、本来生活保護で暮らせるし、それがいまの地球温暖化対策のために最も有効なくらしかたなのに、メディアや左派ポピュリズム政党、それに準じる識者のせいで、気持ちにブレーキがかかってしまう。後掲するように、憲法に定められた権利として当然行使出来る生活保護受給請求を、メディアや左派ポピュリズム政党と富裕なインテリたちはそれを妨害し、貧困=生活保護のスティグマを拡散して、勇気ある私たち市民の仲間、生活保護受給者を「汚辱」してきた。まったく許しがたい。 とにかく私たち市民の共助について、具体的に考え行動するときである。共助の活動は、政府

『人新世の資本論』読んでわかった、生活保護受給しながら地球人類滅亡の危機に立ち向かうほかない今日的状況について

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コロナが明らかにした、資本主義経済の決定的な「オワコン」状況 資本主義により、仕事は分業化、「モジュール」部品化されてる(ヒトの物化) 格差が広がっているが両方とも哲学的貧困状態に陥っている 高給取り:分断化され、責任を取らないで済むようになっているが仕事の内容が非常に面白くない。くだらない。やらなくても社会は困らない→存在論的不安。債務返済や地位の維持のため労働をやめられない。結局金を使わないといけないが、その結果環境破壊を加速する。どっちを向いても地獄。 エッセンシャルワーカー(感情労働、ケアワーカー):不条理・不合理な人間の「世話」。業務を機械化、マニュアル化できず複雑で時間の区切りもしにくい。生活のために働き続けなければならないが、新自由主義的な政府は予算をつけようとせず、低賃金のまま放置。社会にとって不可欠なのに、預貯金などできるはずがない低賃金なので一生働き続けなければならず、やっぱり地獄 自営業者:家にいて感染拡大を防ぐ努力をする市民にとって不可欠なのに極端に低賃金で終わりが見えない配送などの単調肉体労働。体調崩したら終わり。自転車でモノを運ぶまさに名実ともに自転車操業。労働基本法の埒外でセーフティーネットなくいきなり放り出されるからむしろ生活保護を受けやすいものの、忙しすぎてそうした「潜在能力」(アマルティア・セン)など思いもよらず知識がない、無収入の衝撃で視野狭窄に陥って高い自殺リスクにさらされてる 一方、労働とは無関係で暮らせているまあ今は大丈夫な市民も実は知らず知らず知的貧困に陥っている。潜在能力(いろいろな補助や生活保護などの、弱者救済施策)も、外部化に押し付けられた負担(ごみ処分や二酸化炭素排出)も、新自由主義国家のプロパガンダと化したマスメディアに意図的に隠蔽され、見えない(見たくない)。とつぜん何もない荒野に放り出されてパニックに陥るほかなくなる。 やってくる最悪の未来 ・不安から、人々の生活に不可欠な「お金」を溜め込む富裕層や高齢者のもとでマネーが滞留しバブルが発生 ・最も便利な場所に屹立する投機商品化した高層ビル群が、全部空き家化(家賃が高すぎてだれも住めない)、地上ではホームレスが激増 ・とつぜん店からパスタやトマト缶、はちみつなど個別の商品だけが消える。ガソリンスタンドに大行列が起こる。身体の具合が悪くなる(入院もできない)ひと

生活保護受給をめざす活動をはじめよう

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 自民党というのは、一言でいうならば、圧力団体の意向にひたすら従うだけの「世襲・職業政治家」の集まりであるということだ。  圧力団体がどういう団体なのかを調べれば、これまでの、そしてこれからの日本の政治的意思決定の定石(じょうせき)が見えてくる。  さっそくだが、日本の未来を左右する、現時点での主な圧力団体を見てみよう。  まず圧倒的に巨大な圧力団体は、なんといってもアメリカ合衆国だ。兵器を持ってはいけないと憲法に書いてあるのに、とんでもない額の防衛予算が毎年「将来世代への負担の先送り」そのものなのにもかかわらずそれは不問のまま計上され続け続けている。  次はもちろん、「財界」といわれる経団連とか、電事連とか、そういうの。ただ、アメリカがいちばん巨大だろうと思っている。アメリカが80パーセントで、あとの20パーセントくらいを日本の圧力団体が、そして1パーセントほどは国民だろう。  シングル世帯への加算廃止縮小とか、生活保護世帯への給付の切り下げとか、コロナで困っている国民への現金一律給付しないとか、そういう、国民を殺しにかかってくる(国民にとっての)極悪犯罪施策は「腐敗した善意」すなわち「将来世代への負担の先送りはよくない」という理屈でどんどん断行される。  一方同じ負担の先送りにもかかわらず、ヘルメット一個数千万円とか、飛行機アメリカから買って一兆円とか、そういうのはバンバン予算が付いていく。この予算付けに関して、「将来世代への負担の先送りではないのか」という議論は絶対に起こらない。  もちろん、自民党が圧力団体の意向で動いていると分かれば、何の不思議もない。貧乏・貧困に苦しむ国民は、圧力団体ではない。  国民のほとんどは高齢化し、腐敗した善意に汚染されている様相だ。こうした中で、若者たちが次世代の再生産をはやくから諦め(しかものぞみながら(T-T))、日々の生活にくたくたになり、死にたくもなるのは道理だが、ぜひそういう人は以下に掲げる自殺相談ダイヤルに電話したり、また各地方公共団体の(つまり最寄りの市区町村役場に設置されているところの)福祉協議会、福祉事務所に連絡して、生活保護の受給を申請してほしい。  まずは、自分の住んでいる町の「最低生活費」はいくらなのかを聞きにいってほしい(世帯や扶養状況により異なる)。そして、今確定申告の時期なので、いくらまで自分の所得

『人新世の資本論』読んだあとこの動画見ると面白い

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上場企業なのに、これだけの法的リスクを日常的に生み出していてよく経営陣や出資者は平気だと思う。 一刻も早く、司法関係者の活動を願わずにはいられない。というか、もっとみんな賢くなってくれないと。 厚労省の労働基準法のページ を読んで。労働者になる、社会人になるってのはまずはマナー以前に、日本国憲法の熟読理解のあと『労働基本法』の熟読理解である。それ以上でもそれ以下でもない。あとは二つをひたすら回転する。だから、会社側から仮にこういわれるとしよう。たとえば、このやり方がうちの会社の掟だ。みんなそうやってる。成長したくないの?そこで着地して終わり? そう言う仕事じゃない、そういう会社じゃない。お前ってそういうやつ?違うよね?などなど。 何を言われようが、労働基準法に違反しているんだったら即録音&訴訟だろう。いずれにしても、こんなことやってる場合じゃないってことをぜひとも『人新世の資本論』で学んでほしい。 同調圧力や、妙な先輩後輩の仲間意識に呑み込まれて、視野狭窄に陥る。ほとんど洗脳状態にさせられている。わたしが出版社の雑誌編集にいた頃も、どちらかというとこれに近かった。締め切りのために人生の起きている時間の全部を仕事にぶっ込まないと間に合わない。 しかし、こうした労働収奪型の仕事ってのは結局、自分の身体を壊すか、家庭を壊すか、地球を壊すかのどれかしかない。つまり地獄しかない。一秒以内にやめるべきである。 土地家屋の私有制度がおかしい。

地球破壊と搾取の活動からの積極的逃避としてのポジティブ貧困

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人新世と言うことが言われる。 人々の欲望をエンジンに無限の増殖を求める資本主義は、あまたの知識人や科学者の警告を無視して、環境からの収奪を続けてきた。 しかし今、このコロナ禍により、いよいよわたしたち先進国で暮らす「豊かな」一市民にも無視出来ないヤバい事態だと言うことが明らかになりつつある。 どういうことか? 人新世とはどういう時代か? 一言で言うならば、それは外部の消滅である。資本主義には外部が必要だった。ゴミ捨てる。環境負荷を押しつける。賃金労働で人の時間を搾取する。これらはみな、「外部」に押しつけることで、資本主義の中で豊かさを享受する人たちには見えないようにされてきた。そう、これまで見え無くされてきた物が、もう無視出来ない物としてバーンと私たちの前に現れ、しかもじつはそうした外部がなくなった結果、これまで押しつけてきた諸々が全部自分たちに降りかかってきているということなのである。 ぜんぜん一言になってないが、要するに、もう資本主義は無理ってことだ。これ以上資本主義を続けるならば、全人類が、これまで外部に押しつけてきた厄災を、今度は自分自身がもろに被って死んだり(まさにコロナ禍)、不幸になったりする。人新世は地球を舞台にした私たち人類の物語が、まさに全員悲劇の局面に突入したというそういう時代だ。 で、じゃあどうする? エコバック買う?(それ商品だろ) UNICEFに寄付する?(そのあと忘れる?) ぜんぜんダメだ。そんな「免罪符」。効果無い。 私の提案はズバリ、全員がただちに、二酸化炭素の排出につながる活動をやめることだ。もちろんそれは、明日通勤電車に乗り込まない。会社に車で出勤しない。というか、賃労働や事業経営は資本主義収奪システムそのものなのでそもそもそういう活動をただちにやめるべきだろう。今月でやめよう。 で、当然数ヶ月後に金がなくなるが、そうしたら日本には、金がない、車もない、仕事も出来ない人に生活保護という制度があって、そこから生活のためのお金がくばられるようになっている。憲法、憲法というとても環境に優しい(非資本主義的なという意味で)もののおかげで、私たちは生活保護を申請出来る。 うれしいし、なんとすばらしい国だろう。そして、その状態(つまり働かないで家で生活保護で暮らす)ことによって、地球環境をケアすることが出来る。 これがポジティブ貧困の流儀であ

なぜいま資本論か

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なぜ、いま資本論か? カール・マルクスの。 この本を読もう。理由が書いてある。 一言で言うならば、資本主義を正確に批判することができる研究のうちこの本ほどすぐれている物はそう無いから。 マルクス=サヨク、共産主義→ソ連崩壊、中国人権弾圧 イメージ悪すぎ。誰も読まなくなってしまった。資本論が顧みられることのなくなった結果、世界は新自由主義という資本主義の欲望エンジンに際限なく破壊されてしまった。 私たちは資本主義をいまこそ批判しなければならない。その武器は資本論に他ならない。

ここ数年で最も重要な動画

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【歴史をRethinkせよ】磯田道史と波頭亮が、日本の未来を見つめ直す(前編)

緊急事態下における生活保護制度の利用について

厚生労働省は 事務連絡 2020年4月7日 において、もしこの緊急事態下において、最低生活費を超える収入を得られなくなった自営業者は、そのビジネスを廃業して就職活動を強いられたり、店舗什器などを売り払うことを強制されることなく、生活保護を受給出来る旨、各地方公共団体の担当窓口に周知している。 一生懸命商売してきたけれども、コロナでお客さんが激減し、収入が減ってしまった。コロナがなくなればきっと再びお客さんは戻ってきてくれるし、当然収入だって回復すると思っているのなら、まずは福祉事務所にこの事務連絡を持って相談に行ったらいいだろう。

簿記、信用創造、消費税、グローバル市民

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この動画はなかなかに興味深い。森井さんが指摘していることは、ウソでも間違いでも何でも無く、政府も自分で公表していることばかりだ。マスコミや、一部の間違った思い込みにとらわれた与党政治家、メディアのせいで、真実を見る目がくもってしまっている。 財源がー、社会保障費がー、将来世代への先送りがー、インフレがー、とさけんでそのあと突然思考停止となる人も多いが、丹念に簿記の方法で銀行とか、日銀の経理をあらためていけば、消費税は本当にダメで(森井さんが言うとおり、働く人をどんどん不幸せにするし、消費だって冷え込ませる点でいいことが一個もない。単に取りやすいと言うだけだ)、また、財源論を持ち出す輩は、銀行の信用創造のことをまったく理解していない、単なる知識不足の輩と言わざるを得ない。 そうはいっても、日本人というのはまわりや、家族、親戚に対して何か恥ずかしいこと、劣後したことは絶対に出来ない国民性を持っている。だから、死にそうになって生活保護に行っても、扶養照会やると聞いただけでふるあえがってひいそれだけは、となり、死を選ぶ。 ところで、扶養紹介については、絶対条件では決してない。周りに連絡が取れる親族がいない。親族の連絡先がまったく分からない場合であって、目の前の生活困窮者が死にそうであれば、ただちに生活保護を支給するべきだと 事務連絡 をしている(2020年9月)。メディアは、扶養照会を理由に生活保護に踏み切れない人も多い、とだけ報じるが、こういう報じ方というのは、倫理的に間違っていると思う。かならず、扶養照会が必須ではないと言うことも書き添えなければ、そのメディアは、貧者の見方などではなく、貧者を嘲笑し、読者にそうではないことを思い至らせて優越感をおぼえさせるだけの炊きすべき貧困ポルノである。 話を戻すが、恥を理由に、本来権利として当然に得られる保護申請を躊躇する。こんなのまさに切腹侍である。正直バカみたいでイヤになる。私などすべての親族に年賀状で今年は生活保護を申請するので、扶養照会が行くと思う、どうか、扶養出来そうなお金持ちの方がいたら、一週間以内に私に振り込んで下さい、振込先はこれこれ、手数料は負担してねと書くことに躊躇しない(実際にはやっていない)。なぜならその金は、私を支える金ではなく、市民社会を支える金だからだ。そういう金の使い方を、親族にさせてあげようとしてい

ウツ病患者には何も届かない

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このすばらしい、哲学入門チャンネルじゅんちゃんの動画。まさに神回だ。しかしこれほどの神回、重要で巨視的視座のイデオロギー、すべての文明人は刮目すべきこのコンテンツも、そこら辺の若者、とりわけ、等のネオリベの荒波に遭難し、病んでしまった若者にはまったく届かない。 私の知り合いにはもちろん、20代前半の若者もいるにはいる。ある若者は、わたしが公助こそ重要で、自助、共助は、公助の豊かでやわらかく暖かなベッドなくして、絶対に育たないというのに対し、そんなしっかり公助を充実させて、仮に、生の限界のところまで追い詰められた若者が、公助により回復出来て、「まともな」生活を送れるようになったとして、彼が、わたしがイメージするようなまともな人生を送るようになるかは分からないという。彼に公助で教育や医療、生活サービスを提供しても、それで元気になった彼が、詐欺師になるかも知れない。情弱相手の情報商材屋になるかも知れない。歴史修正主義者になって、キモチイイ系歴史本を量産する薄汚い輩になるかも知れない。 わたしが唱える思想の「オチ」「欠点」を指摘してやったといわんばかりに得意げである。 私は驚きを禁じ得なかった。 なぜなら彼こそが、まさに公助を現に受けている病気療養者だったからだ。 自助ではどうしようもない。核家族化が進展して、地元に頼れる親族もいない。せっかく職業を得ても過酷な競争にくたびれ果てて心を病んだ彼が、私の共助だとか、アマルティア・センの潜在能力の話をしても、矮小な具体例を出して、それによってノーベル経済学賞を受賞したレベルの知性に「勝った」気でいるのである。 まあ、それで終わりなんだが。彼との会話における共助のテーマは。ちなみに彼は私と、気の置けない雑談をすることと、あとは心療内科医との月一回の診断だけが社会との接点となっている。 正直言って私は自分の力不足、これ半端ないと思ったし、偉大な過去の知性が書物にいくらいいこと書いてあったとしても、それは決して彼らに響かない。彼らは本来、「活動」(ハンナ・アーレント)をはじめなければならないはずだが、その武器はそうした書物であるはずだ。もしかしてこれが違うってんだろうか? まあ彼、ウツ病だから、私に勝ったというより、単に悲観的で「どうせ」思考になってしまっているだけ説もあるにはある。

「いまは」ベーシックインカムしかない

 タイトル変更した。2020年は新型コロナウイルス禍で竹中平蔵さんなどがベーシックインカムをいいだしたり、またマスメディアもこぞって(エコノミスト誌をはじめ)ベーシックインカムを特集したりしたため、だいぶ人口に膾炙してきたと私は思っている。 デジタル庁は、国民の銀行口座や所得をマイナンバーという一意の番号にヒモ付けて政府が把握し、最低生活費に満たない所得しかない人の口座へ自動的に送金するインフラ構築も視野に、今年の春爆誕する。もちろん、ある意味これはベーシックインカム――最終的にそうした物を目指すことが出来ることは言を待たない。 世界でも2020年は数々のベーシックインカムの社会的実証実験が行われた。コロナの対応のためにスペイン政府はいち早くベーシックインカム導入を政府が表明した(上手くいっていない、表明したりウソつくのは政府の得意技)。他にもいろいろな取り組みが行われているので、最新のベーシックインカムの動きは、アクティブな Basic Income Earth Network のウェブサイト見てもらうといい。 そもそも1987年にイギリスの首相マーガレットサッチャーが、社会というものはありませんという新自由主義の「骨」となる発言をしたところから、世界は新自由主義に覆われることとなった。しかしいま明らかになっているのは、結局新自由主義というのは、単にポンコツ資本主義を「延命」こそ出来たかも知れないが、もうそれも効かなくなってきている残念な真実である。結局人もイデオロギーも絶対に死ぬしかない。世界は常に変わっている。資本主義はもう死の床についている。こういうことからベーシックインカムのような議論は1つの巻き返しの一端を担う考え方としてずっとあったし去年それが過去最高潮に盛り上がったわけだ。 ところで、日本ではベーシックインカムは見るも無惨な状態に陥っていると私は思っているがどういうことか? 詳しく解説したい。 2021年になり、ベーシックインカムの旗色は、かなり悪くなっているように見える。決定的だったのは、世間の嫌われ者たち(竹中平蔵、ホリエモンら)や、前澤お金配りおじさんのような「キワモノ」がベーシックインカムを口にしたからである。ああいうおかしな連中が言うベーシックインカム、なんか気に入らないぞ。絶対ダメに違いない。やっぱり財源が無いじゃないか、ウソじゃないか!

2021年。それにつけてもベーシックインカム

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 都と国、責任の押しつけ合いの本質  時事通信などの報道によれば、1/2に都知事ら複数の首長が首相に緊急事態宣言の発令を要請した。にもかかわらず、国は支持率を気にして発令を躊躇している。  もし発令したら、GoToトラベルから続くこの間の感染爆発に完敗し、「失敗」の烙印を押されることが明らかとなる。  また、国の関係者はマスコミに「都は出来ることを何もやっていない。緊急事態宣言を発令しても状況は変わらない」とぼやいたという。  間違いなく言えることは、宣言の発動により被害を被るのは、ウィルスの他、内閣支持率のさらなる下落で足下がぐらつく中ところ政権崩壊の決定打にもなりうる与党自民党である。  国民としていいたいのは、医者や看護婦らがみんな困っている。そういうところにコロナの重症者を隔離して、世間から見えないようになっている。すると世間はコロナなんて(見えないから)無い、ただの風邪だし自分はうつらないと思い込む。そういう国民に行動変容をもたらすのは、やっぱり国がワーワー騒いで、金を配る以外にないと思う。  私たちが見逃してはならない論点は、責任を都も国もとりたくないのが基本だが(緊縮財政のため)、その哲学、というか思い込みというかエゴイズムというか誤った失政の本質はつまりは、国も、都も、おたがいに、アンタが金を配れ、オレはいやだ、と口げんかしているに過ぎない。正直、本当に止めて欲しい。早く、どっちでもいいから配れ。両方配れ。  彼らは金は絶対に配りたくない。大量に刷っているのに。じゃあなんで国民に配らないか? 金は刷ったらすっただけ、株式市場にぶっ込みたいからである。株価が暴落したらもう多分終わりだろう(と思っている)。つまり何が終わりかというと資本主義が終わる、というか大きく毀損する。  国民が感染症で困っているのに、実体経済とかけ離れた金融経済で巨大なバブルがまもなくはじけそうである。はじけたら国民は困るだろうと思って政府はやっているんだろうけれども、国民は国民でもう我慢の限界である。  日銀は電子通貨を実証実験などして研究している。おかしくなった貨幣とは別の体系の通貨を作って、それはどんどん国民の生活のために配れるようにしてほしい。金の采配を白人男性や大資本家、巨大国際企業、投資銀行、国、政府に任せておくとどうなるかというと、バブルの発生と崩壊をくりかえすばっか