地球破壊と搾取の活動からの積極的逃避としてのポジティブ貧困



人新世と言うことが言われる。

人々の欲望をエンジンに無限の増殖を求める資本主義は、あまたの知識人や科学者の警告を無視して、環境からの収奪を続けてきた。

しかし今、このコロナ禍により、いよいよわたしたち先進国で暮らす「豊かな」一市民にも無視出来ないヤバい事態だと言うことが明らかになりつつある。

どういうことか?

人新世とはどういう時代か?

一言で言うならば、それは外部の消滅である。資本主義には外部が必要だった。ゴミ捨てる。環境負荷を押しつける。賃金労働で人の時間を搾取する。これらはみな、「外部」に押しつけることで、資本主義の中で豊かさを享受する人たちには見えないようにされてきた。そう、これまで見え無くされてきた物が、もう無視出来ない物としてバーンと私たちの前に現れ、しかもじつはそうした外部がなくなった結果、これまで押しつけてきた諸々が全部自分たちに降りかかってきているということなのである。

ぜんぜん一言になってないが、要するに、もう資本主義は無理ってことだ。これ以上資本主義を続けるならば、全人類が、これまで外部に押しつけてきた厄災を、今度は自分自身がもろに被って死んだり(まさにコロナ禍)、不幸になったりする。人新世は地球を舞台にした私たち人類の物語が、まさに全員悲劇の局面に突入したというそういう時代だ。

で、じゃあどうする? エコバック買う?(それ商品だろ) UNICEFに寄付する?(そのあと忘れる?) ぜんぜんダメだ。そんな「免罪符」。効果無い。

私の提案はズバリ、全員がただちに、二酸化炭素の排出につながる活動をやめることだ。もちろんそれは、明日通勤電車に乗り込まない。会社に車で出勤しない。というか、賃労働や事業経営は資本主義収奪システムそのものなのでそもそもそういう活動をただちにやめるべきだろう。今月でやめよう。

で、当然数ヶ月後に金がなくなるが、そうしたら日本には、金がない、車もない、仕事も出来ない人に生活保護という制度があって、そこから生活のためのお金がくばられるようになっている。憲法、憲法というとても環境に優しい(非資本主義的なという意味で)もののおかげで、私たちは生活保護を申請出来る。

うれしいし、なんとすばらしい国だろう。そして、その状態(つまり働かないで家で生活保護で暮らす)ことによって、地球環境をケアすることが出来る。

これがポジティブ貧困の流儀である。

親族照会があるから、生活保護申請出来ない。車持てないから出来ない。家を売らないといけないから出来ない。すばらしいじゃないか。その親族なんてどうせ地球環境破壊者であり、早晩滅びる種族なんだから気にしてはいけない。車はぜひ、手放してほしい。家も、普通の持ち家なら売る必要は無い。意味なくデカい場合だけ処分すればいいし、もちろん、小さく暮らすことは地球に優しいからそのほうがいい。

生活保護=恥ずかしいというレッテル、思い込みは強固である。しかし、そうした価値観こそが、極めて資本主義的である。その思い込みにとらわれている限り、資本増殖からの環境収奪という犯罪行為から足を洗うことなど出来ない。

生活保護を受給する身分に積極的になることは、地球の持続発展のための積極的活動実践に他ならない。

働かない。私はもう働かない。ジッと地球の未来のことを考え、そしていま私たちに迫り来る「危機の本質」を、既存宗教に頼ることなく考えていく。この態度、生き様を、せいぜい動画やブログで発信するかも知れない。この活動を全員がいますぐ取りかかればよいと思う。

なお、色々思うところはあるかも知れんが、ぜひ、続きはこの本を読んでみて欲しいと思う。元ネタはこの本なので。

さらに、何でもいまの豊かさ捨てる理由がない、無理だという人は、ぜひ『夜と霧』(フランクル)読めばいいだろう。ある日突然、強制連行されて極限状態におかれても意外に人は生きていける(こともある)し、その後また知的活動を続けられる(こともある)ことが分かる。何より、どうなるかが分かる。分かれば、無理じゃなくなる(こともある)。

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