メディアやSNSを覆うそれっぽい感じの正体

今日はNHK100分で名著を見た。斉藤幸平氏が勇気あるマルクス研究者として資本主義をフルボッコする様は痛快だった。

しかし、本当はメディアの関係者も、司会者の芸人も、資本主義に変わる思想を市民の力で、アソシエーションから初めて行こうみたいなこと言われても一ミリもピンときていない。

表題の「正体」の答えはつまりは、メディア関係者は特権階級意識の権化であり、社会派市民の取り組みなど本当はまったく関心が無いので、とりあえずそれっぽく番組作っておいて家にかえりたいという本音だ。

それっぽくのそれとは、ジャーナリズム精神とか、公平性とか、第四権力としての政治の監視とかそういう部分である。

民放はご存じのようにそれっぽさの感じなどとっくに出すことを放棄し、数字が取れるものだけで純粋に枠を埋めるばかりだ。

私企業は要は企業価値、つまり将来いくら銭金入ってくるのかの算段以外に何も考えていないし、もちろん、余計なそれ以外を考えることは株主価値を毀損することになり許されない。それが株式会社というものの本質であり存在意義である。

メディアが株式会社の利益に支えられている以上、「それっぽさ」なんてお呼びではないのである。(だから公共放送のNHKにはそれっぽさが不可欠だが、それが気に入らない一部の勘違い市民や古くさい「新」自由主義にいまさら出会ったようなアホがぶっ壊そうとしているのは自分たちの首を絞めることになるだけなのだが…)

斉藤氏の人新世の資本論を読んだ後に、会計の世界史を読むと、いかに会計原則は、環境とか、公共の福祉を考えていないのかがものすごくよく分かる。怖いほどに分かる。

そして、いくら企業の外から、つまり外というのは、彼ら企業人が好んで使うステークホルダーの本音部分である株主と創業家と後は顧客の3者以外の領域から、道徳的に正しいことを叫んだところで、みじんも考慮されないしされる道理は一切ない。

それ故、資本主義制度は人、自然、地球の搾取破壊行為をやめることが出来ず、破滅(かならずくる「精算」の時)まで、目下大ばく進中だ。

会計の理論で、コーポレートファイナスとかなんとか、あれこれ勉強すればするほど、そんな環境とか持続可能性とか搾取とか、そういう道徳心の類いは消し飛んでしまう。会計を学ぶ人にとって、とにかく複雑で変化をやめない会計や市場の世界での闘いのために、あたらしい概念の理解や整理に、ただでさえ頭は追いつかない。そこへ持ってきて、そんなメタレベルの、しかも長期的な重要性を言われたところで、まったく響きゃしない。

本当かと思うったら、ためしにExcelでIRR関数とかMPV関数で、投資に対していくらのキャッシュの回収があればどうなるのかを計算してみてほしい。スプレッドシートを開いた時点で、環境への配慮とか、働く人に対する温かで優しい共感的気持ちは消し飛んで、数字の魔力に頭は埋め尽くされるだろう。

こわー。

Excelファイルを閉じて、散歩に出かける。地方のコンビニの前に佇んでいたら、今日、ホームレスの男性がポッキー食べていた。思わず現金を渡そうとしてしまったけれども、それはなぜかを考えた。つまり彼のありようそのものが、現金を渡す先として、非常に優先順位が私には高く思えたからである。彼に今私が現金を渡すことに、無視出来ない大きな「理由」が感じられた(ポッキーもいいが野菜とかヨーグルト、みそ汁も飲んでほしいのでという)。その彼を超える「理由」を、若い起業家のスプレッドシートが備えることはもう多分出来ない時代に来ていると思う。ウソで固めたら別だが。



このブログの人気の投稿

宮台真司まとめ

悪の秘密ぼっち「ヘライザー」について

哲学入門チャンネルのじゅんちゃん、ゆとりfamのいよ