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6月, 2021の投稿を表示しています

ニーアル ファーガソン著書2冊読書感想文

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 ハーバード大学の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏の著作を最近読んだので短めに感想を書きたい。 『マネーの進化史』 私の問題意識は、各国の中央銀行がかつて無い規模で通貨を発行して、金がだぶだぶになっているのにもかかわらず、その配分が適切さを欠き、道徳的に看過出来ない貧困や困窮が先進国の至る所で見つかり続けているのはなぜかと言うこと。 この本を読むと、マネーは、極めて少数の国家エリートとか、レントシーカー、株主団体、金融機関、巨大政府系ファンド(年金基金とか)などにその操縦を寡占され来たし、これからもそうであり続けるであろうことがよく分かる。 彼らは何も、世代的に困窮状態に置かれたサイレントマジョリティーだとか、とうの昔から経済的な罰ゲーム(負の外部性、外部不経済)を押しつけてきた気の毒な女性たち(家事育児などを担わされている人)のことを気の毒に思い、何とかしなければという志のもとで仕事しているわけではない。まったくちがう。 そういうわけで、マネーという、人の生き死ににのっぴきならないいわば社会的装置の運転が一部のエリートや世襲政治家、そしてそいつらに言いように操作される博識ではない巨大ファンド運用担当者などのおかげで、引き続き貧困や格差が解消される見通しは期待出来ないことがはっきりした。 何せ私とは比べものにならないほど膨大な文献に当たってきた歴史学者の言うことなんだから、多分そうだろうと思う。 お金を印刷して債務を次世代に押しつけながら、自分たちの当面の権益を守ろうとする政治的な主導勢力がいる。日本では高齢者だし、アメリカでは各種利益団体や誤ったイデオロギー、政治的知識に汚染された政治家、評論家、ロビイストらだ。 まあこれ以上言ってもしょうが無いので、読んでの感想としては、死にたくなってしまったのでTM瞑想のやり方の動画を見てやって、寝ることにした。ふて寝である。 2冊目。『劣化国家』 マネーが当てにならないとなると今度は国家である。国家は、私たちの今の絶望に何らかの光を与えてくれるんだろうか?わらにもすがる思いで読んだ。 著者は、アダム・スミスの『国富論』から、「滅多に引用されることがない」とされる「定常状態」に至った国の末路について説明した。 定常状態というのは、かつて豊かだったが今は成長を止めた国の状態のことである。豊かで、成長は止まったとしても、洗練され、

カジノ、何が問題か? だれがなんのために進めようとしているか?

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  トホホ。 この動画見ればわかるけど、まあ、見ないほうが幸せで心穏やかに暮らせるんで、趣味がよい方にしかおすすめしませんけど、寒いな。 漫画とか、ドラマの世界みたいなことが「ホンマ」

武蔵小金井の巨大高級タワマンで起きた施工不良。管理組合に施工会社が謝罪していた

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※お読みいただく前にお願い 本投稿において著者が一部、具体的な社会集団や層に属する人たちに対して不適切または極端な表現を用いる場合があります。これは今回取り上げる主たる事象とその社会背景を端的に短く伝えるために便宜上、使用したものであり個別具体的な人や団体を毀損する意図はまったくございませんことをあらかじめご承知置き下さい。 ムサコの南口に建つ巨大タワーマンションで、いくつかの深刻な施工不良が発覚し、施工会社が管理組合に謝罪していたことが明らかになった。 私は、このニュースを見て、人間、ヨクに目がくらんだ、特に、金の亡者となった人間の「業」というのがいかに強靱で普遍的かを改めて感じた。 最近呼んだ貨幣の歴史の本では、人間が金というものにいかに翻弄され、そして今もってなお、翻弄され続けているかが詳しく書いてある。脳みそも、宗教も、政治も、良心も、金の魅力の前にあってはことごとく無力なのである。 すでにタワーマンションを買うということが、いかに間違った消費者の選択(とりわけ子育て世代が買うのは極めて危険、詳細や具体例は、専門家の書籍を参考にしてください私は直接知りません)であるかは、いくつもの専門家の誠実な警告の書を読めば明らかだ。そういう新書の類いが、数百円で、そこら辺のブックオフはもとより、アマゾンでもすぐKindleで読める。そういう本も読まずして、「コツコツ貯めたお金で買った生涯一度の買い物なのにひどい目に遭った」という(大抵は高齢の)購入者の訴えに、マンションの、頭金さえも、お金を貯金することが出来ている若い世代がほとんどいない今の時代に、共感が集まるかは分からない。 注意したいのはその施工会社も、販売会社も、相も変わらず次の物件をまたどんどん作っては売っているという現実だ。その勢いはとどまるところを知らない(作らなければ株価が下がり、株価が下がると日銀がまた買い増ししなければならず、円の信用リスクが高まる、オエ吐きそう)。そして、そこここで屹立しはじめる巨大で高級、しかも有名な(したがって「信用できる」)会社のこしらえるタワーマンションを見て、立派だ、すごい、買おう、そして上層階を買ってマウント取ってやろう。そういう消費者のみなさんは雨後の竹の子のようにいくらでもお見えになる。 135億年前に惑星が出来た。20万年前に、サルから人間が別れた。サルはマウンティ

オタクがポリティカルコレクトネスに翼を与えることができる事例

政治活動家が力を失ってもう数十年たつ。前回一番盛り上がったのは多分全共闘時代、1960年代だったろう。 ボサッとしてたら政治領域はいつのまにか、人を消耗品にしか見ない新自由主義者、縁故関係者、竹中に象徴されるレントシーカーに寡占されてしまっている。 その結果、今私たちの生きるこの惑星では、世界の富(正確に言うと中央銀行によって作り出されたお金)は、総量の半分を地球上のお金持ちトップ数十人で合わせ持つようないびつなディストピアになってしまった。 しかし、世界を見渡すと、ふたりの目立った活動家がいる。ひとりは、香港の周庭さん。もう一人は、グレタ・トゥンベリ。 周庭さんはオタク。グレタさんは自称《アスペルガー症候群》。 若くてフォトジェニックだったのか?世界中の人たちの注目を集めるに至った。特にメディアにいて、常にネタを探しているメディア関係者の心をつかんだろう二人。 いいんじゃないかこういう形で、活動家が注目を集めることができるってのは。そういう意味では日本にもまだまだ潜在的な勢力がいると思う。

Googleマイビジネス(Googleマップ)にみる外部コストの研究

昔、つまり人類が生まれてこの方10万年前から、Google.comをGoogleがドメイン取得した1997年くらいまでは、買い物体験といえばこうだった。 店が看板を出す→通行人が見つける→店に客が入る→商取引 今も、上記の行動は変わらない。しかし、この10年くらいの間に、以下の流れも出来た。 ★Googleマップに店が出る→★スマホでネットユーザーが見つける→店に客が入る→商取引 ★の部分は店側はコントロールできない。ほかに、コントロールできない、どんな要素があるだろうか? 商取引→★客がクチコミをGoogleマップに投稿する→★ほかのネットユーザーがその情報を見る Googleみたいなものがない時代は、ある商店を利用した買い物客が、そこでの体験や商品を何かメディアに書き込むということは存在しなかった。 しかし今は、Googleという巨大広告会社が自分たちの利益追求のために、客に、個別買い物体験に関する「感想」「評価」「写真」を書き込む場所を用意している。 googleマップのクチコミのことである。 経済活動には、個別取引で交わされる債権債務のやりとりでは負担されず、それ以外の領域に押し出される「外部コスト」がある。 たとえば環境汚染。違法な多重外部委託。サービス残業。稼得者の再生産のための家事育児。次世代の生産(結婚して子どもを産む)。本来は国が税金を取ってこれらのコストを負担すべきだが、いま法人税は下がる一方だ。とくに、GAFAなどの巨大IT企業は法人税がゼロかほとんどただの租税回避サービスを提供する国や地域に売上を移転することで、ますます外部コストは誰も負担しなくなっている。

メンタルヘルスのこれまでとこれから

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 東大tvの近藤伸介先生の講義動画 程度の差こそあれ精神を病んで、それでまたどこに復帰するのか? その人が本当に幸せを実感できる場所はあるのか? 幼少期に母親などからの適切な保育、養育を得られなかった人たち※が大人になる。そういう大人の一部は、専門家から「パーソナリティー障がい」などとレッテルを貼られる。マスメディアはさらにそれをサイコパスとしてスティグマ化し、社会から排除しようとする。もちろん彼らの言動で大迷惑を被った人たち、たとえばDV被害に遭った、ウソをつかれた、裏切られたなどの被害者たちのことを無視することは出来ない。かといって、彼らをそうやって差別してしまっていいのだろうか? ※いろんな発達障害や自閉的傾向の原因は「母親の愛情不足」というふうに誤診断される時代があった。母原病という。現代ではこれは完全に否定されている。ただ、そうかといって、オキシトシンとか、栄養や自己承認にこたえることなど、最低限やるべきこと(もちろん母親でなくてもお父さんでも保育園でもだれでもできること)がなされない場合に人格障害の種が芽を吹く。DVや毒親による教育虐待などがその典型だろう。 発達障害の人についてもl同じことがいえる。 色分けは確かに救済にとってはまずいちばん最初に必要なプロセスではあるものの、色分けしたらしたで、そのあとの続きの仕事にもきっちり取り組まないといけないと思う。単にサイコパスだー、とか、発達障害人ダーとかいって「名指し」してお終いでは差別と変わらない。その続きの作業にただちに取り組むことが社会に求められている。 東大に限らず世界の心ある精神医学の領域で取り組まれている、その続きのプロセス、彼らを社会に包摂するための仕事に注目していきたい。

私が人生経験から学んだことがこの動画で総括されていた

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  私は大学浪人中のときに見田宗介の本をきっかけに社会学に興味を持って、それから数十年たった今もなお、社会学的な言説には関心を持っているし自然に目に入ってくる。 家事育児、特にいまの日本における性別役割分業(ジェンダー)に内蔵された差別構造の酷さはもう笑っちゃうほどひどい。 この動画でも言っているとおり、日本の企業経営者、為政者たちは、木を植える林業者と木を植えない林業者のたとえでいうところの、木を植えない林業者ばっかりだということだ。 そしてそういう林業者から、安(やっす)い木をバンバン、早く早くとばかりに欲して買うのは、他ならぬ消費者である。丁寧に木を植えて育てる林業者の木は、高くて少ないから見向きもされない。気がついたら戦後70年経ってみて、ハゲ山ばかりが残ったというのがいまの日本の少子高齢化の姿だろう。そんなハゲ山で、もう資本主義なんてつまり、彼らが大好きな「経済成長」なんて、絶対にもう戻ってきやしない。 子育てに関する考え方も、高々この数十年(なお人類がいまの形状を獲得したのは10万年前?だったか?1万年前だったか?いずれにしても、気が遠くなるくらいの昔だ)のはなし。特に、親は子育てに責任を持たないといけないとか、女性が家事育児を引き受けるべきだ(それ前提の社会制度など)とか、市場経済のメカニズムの中から出てきたそれは「要請」であって、自然なことじゃない。その証拠に、かなり病んでる人多いし、自殺者だっていま日本で2万人ずっと超えてる。 子供が就職活動をする年齢にはなったものの、複雑な心境だ。果たして本当に安心して、そう、安全安心な職業人生を送ることができるような、そんな社会に日本はいま、なっているんだろうか? 「安全安心」な? 

空気は作られる

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村本由紀子「社会の空気と個人の心」ー公開講座「氣」2019をぜひ見てほしい。 多元的無知というのが生成されることが分かっている。その結果、サービス残業、いじめ、学生の飲酒などなど、個人のレベルではイヤだな、おかしいなと思っていても、他の人がやっているから、とか、他の人から妙なやつだと思われたくないから、といった理由で、間違った判断をすることが実験などから明らかになっている。 となると、やはり憲法改正という極めて重要な集団的意思決定で、メディアをつかって電通などが作る広告をしてもよいっていういまの状況はもうまったくもってまずいとしかいいようがない。 クライアント(多分自民党とか)の要望を実現するために、電通はこういうことをもちろん分かった上で、「空気」を作っていき、憲法だって改正するしオリンピックだってどんどんやるんだろう。何だってできるって思っているんだろう。 私の希望としては、しかし、王様の耳はロバの耳と叫ぶ子どもが近年非常に殖えていると言うことだ。YouTubeなどのあたらいいメディアが力を持ってきて、電通が空気を作るのはかつて無くむずかしくなっているのではなかろうか? 甘いかな。 私はあくまで、空気を読まないで、ダメなものはダメ、おかしいものはおかしいと叫び続ける人生を喜んで引き受けてきたし、これからもそうでしか生きられない。いつまでも、空気を読まない子どもでいよう。 繰り返しになるが、空気というのはそれがあると都合がいいと思った資本や、その意を汲む政治勢力が巧妙に作り出しているものに他ならない。 なお、だからといって、単にいまの圧倒的な多数を占める空気にただひたすら●●する、まあ想像力豊かな人たち、つまり陰●論のみなさまの御訴えに味方できるかというと今の段階では残念ではあるがちょっとここでは書けません。 大切なことはやっぱり読書、偏差値とは関係なく、生涯教育とか大学の講座、色々見ていくってのがいいのかも知れない。無料で動画を見られる。あとは良質な仲間集団、コミュニティに入っていることも大事かも知れない。そうしたことで培われる判断力が、空気が正しいものなのか、そうじゃないものなのかを判断するのに不可欠な知識を育てる。 私たちは、たしかに、メディアによってあるいは社会集団の中である種の空気が作られることがわかった。では、作られた空気が全部まずいかっていうとそうで