哲学科卒の男が死ぬまでにあと2,000回近所のオーケーストア梶野町店に行くことを発見し錯乱

 もともと単調なことが苦手である。ところがたまたま、単調な労働(しかも賃金も支払われない)の最たるものである家事労働の担当になっている。

ペイドワークのうちほとんどがこれまた単調な労働である。そして、家に帰ってきてやるアンペイドワークも、単調な労働だ。

わたしが単調な労働に取り組むには一定時間の気晴らしが必要だ(爪を噛んだり、指の皮をヤバい痛みが出るほどむしって血を絞り出す行為を含む、これは最近、指むしりしょうとかなんとか命名された)。以前は気晴らしを「逃避」と考えて、生活のなかでは忌むべきコトで、やらないように自分を鼓舞してきた。いろいろなライフハックで、気晴らし的な時間無しで、タスクをどんどんこなせるように工夫してきた。しかしそうしたことを3日も続けるだけで、朝、いくらたくさん寝ても起きることが出来なくなる。それはウツ病の始まり以外の何物でも無い。何しろ起きてやることと言ったら、タスクだけである。それじゃ起きること自体が困難になる。

気晴らしは、単調さを隠蔽し、じつは死ぬまでずっと単調なタスクがまだ数千、万単位で残っている事実を忘れさせるに十分な程度の娯楽や刺激が無ければならない。たとえば私は週2回、近所のスーパーに買出しに行っているが、平均余命までの20年間続けるなら、あと2,000回程度やらないといけないことになる。ADHDにとってはこれは拷問以外の何物でも無い。

気晴らし、それはインターネットだったり、サブスクの動画視聴だったりいろいろだが、まとまった時間が取れないので短時間で終わるYoutube動画視聴になりがちだ。

油断するとあるいは、1日の中に無理矢理、たくさんの単調労働を詰め込むとヤバいループが回り出す。寝不足と、そして後まわし、先延ばしにした単調労働が終わらないという無限ループだ。

たまればたまるほど、先延ばしにすればするほど、取りかかるのに必要な気晴らしに要する時間は長くなる。すると当然寝不足になってしまう。寝不足になればますます単調労働は増えていくし、また取り掛かりに必要な気晴らし時間も比例して増える。

かといって、気晴らしを全肯定しむしろタスクより優先する勢いでやり過ぎるとどうなるか。当然、単調労働が消化しきれずたまっていく。するとどんどん寝る時間は無くなっていく。

気がつくと頭の中で、死にたいという言葉しかまわっていないことに気がつく。死にたいって思ったらちょっと楽になる。きっとしにたい、じ冊すればラクになるって思っただけで、十分に気晴らしというか、報酬系の何か出ているのかも知れない。危険な状態だ。

気晴らしをちょっと、ほんのちょっと長く、休憩したばっかりに…。回り出す、ヤバいループ。詰んでる。

家事のうちで、特に時間を要するのが買い物と調理器具及び食器洗い、その乾燥だろう。ちなみにこれは家事というよりペイドワークからの流れでやむを得ないのだが、資源ゴミの管理とゴミ出しも負担になる。もちろん、一人ふたりの世帯人数ならばなんとかなるだろう、ちょこっと流行のハックを取り入れたりすればいいだろう。親切であらゆるカテゴリーに膨大に投稿されているハウツー動画も役に立つ。だがなにぶん人数が多いんで。

多分、今のいろんなIT技術を使えばだいぶ省力化できるんだろうけど、皿洗いとかゴミ出しはもう限界だろう。誰かにやってもらう以外にないと思う。皿は、本当は使い捨てに限りたい。洗いたくない。しかし環境負荷が高いだろう。百歩譲って同じサイズ、一人1枚とか、それだったら助かるんだが非現実的だ。楽しい食卓を演出する上で、皿一枚だけで済むはずがない。もしこれを言ったらつまり、皿洗い係の省力化だけを追求すれば、全員胃ろうみたいな感じに行き着くだろう。胃ろうなら、皿も要らないし、買い出しだって要らない。

なにかの外部コストを負担させられている気がしている。いったい誰が得しているんだろ、わたしが、無料で膨大な量の皿をこの20数年洗い続けていることのおかげで。間違いなく言えるのは、それは家族ではないということだ。

ところで、経団連のえらい人が亡くなった記事で、誰かがその人は、趣味はあるっちゃあるが、仕事ばっかりしていたといっていた。

男性企業社会で出世してきた人が、仕事の虫だったって言って、肯定的に評価されるが私に言わせるとそれはずるい。仕事には2種類あって、わたしがもっぱら取り組んでいるような、無料、無報酬、賃金ゼロ、アンペイドの、日々、際限なく押し寄せる単調労働(掃除、家事、日用品や食料の買い物など)仕事と、男性企業社会で評価される、日経新聞の私の履歴書とか、NHKのプロフェッショナルだの情熱大陸だので特集されるような類いのつまり社会的評価を得られる、100%有償の仕事、このふたつだ。

前者の仕事つまりわたしが日々やって死にそうになっているのは、ユダヤ人がナチスドイツのアウシュビッツでヤラされたような、レンガを積んでは崩し詰んでは崩しとか、穴を掘っては埋め掘っては埋め、的な性質の、人間精神を破壊する被虐行為だ。

しかもこの手の仕事は決して社会的に評価されない、つまり承認欲求も満たされない。社会的に孤立したままやる作業である。そしてこれこそが長く女性たちに押しつけられてきたシャドウワーク(イリイチ)、アンペイドワーク、家事育児労働のことである。

これ早くなくなってくれないとどうにもならない。後者の仕事、つまりペイドワークに就こうにも、たちまち寝不足に陥ってしまうのが目に見えている。それで当ブログのタイトルになる。

テレビで、哲学研究者が、ニーチェのことを解説しているのを見た。その教授は自分を全肯定しろという。今の若い人はやりたいことが分からない、見つからないという悩みをかかえている。でも、それは人と比較したり、普通より上を目指すなど、相対的な価値観に自分を置いているから。ニーチェの超人思想は、自分の欲望をひたすら追求し、理性ではなく直感で動けばいいとかなんとか。

私は大学で2年間ニーチェ確かに研究したけど、…。いまは、超人とかはどうでもよくて、とにかく死ぬまでにあと2000回オーケーストア梶野町店に買い物とか、あと数10万点の皿を洗うだとか、そういうのなんとかしてほしいってコトです。もしかしてニーチェは、晩年に、何かこういうループみたいなのを見てしまっておかしくなっちゃったか?

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